【気まぐれエッセイ】ずっとコンプレックスだったこと 〜中学生日記〜

「羨ましい」を
「嫌い」で誤魔化す。

弱いな……
わたし……



これは中学生の頃、日記に書いたこと。

誤解されることも覚悟のうえで端的に言うと、あまり良くない家庭環境で育った人が、私は昔から苦手だ。

例えば、幼い頃お腹が空いているのに食事を用意してもらえなかった記憶が多いとか、夜中にしょっちゅう子どもだけで留守番させられていたとか、親の不倫相手との情事を見たことがあるとか、しつけではなく親の気分で怒鳴られてきたとか、親に抱きしめられたことがあまりないとか。

どうして苦手かって、育った環境がまるで違うからどう接していいか分からないし、私の「普通」が通用しないからだ。私にとって普通の振る舞いが、彼等には「いい子ぶりっ子」に映るらしく、毛嫌いされたり嘲笑されたりするからだ。

ぼーっとしていても自分の居場所があると思っていた幼い私には、彼らが突きつけてくる「自分の居場所は自分で確保しなくては」という現実が、耐えがたいほど厳しく感じられた。「これが社会?こんな中で私はこれからサバイブしていかなければならないの?そんなの無理。彼、彼女等と獲物を取り合って勝てる気がしない」そんな風に思った。


私は自分の恵まれた環境が、コンプレックスだったのだ(恵まれたと言っても、愛情にという意味で、経済的にはごく普通の家庭だったけど)

周りの大人たちから溺愛され、過保護気味に育てられ、自分では何もできないと思っていたから。そんな訳で、反抗期が早かった(小3の二学期から)。


「いい子でいなさい」と言われるより、「いい子だね」と褒められると、その期待を裏切れなくなる。

注いでもらった愛情は宝物だし今となっては感謝の気持ちしかないけれど、第二反抗期を迎えた9歳の頃から22~23歳までは、幸福の分だけ重荷と息苦しさを感じていた。

心の中ではこんなに格闘しているのに、現実的なことは一人じゃ何もできない。結局親や周りの大人を頼ってしまう。そのくせ自立への願望だけは強いから、中途半端に自分でやりたがる。でも結局最後まではできなくて尻ぬぐいしてもらう。そんな自分が恥ずかしくて、「こんなんで生きていけるのか」とたまらなく不安だった。


だから、物心ついた頃から否応なしに自分の力で生き抜いてきた子たちが恐かったし、ある意味羨ましかったのだ。


ずっと「嫌い」で誤魔化してきたけれど。


日記に書くくらいなので、当時から自分の本音には気づいていた。だけどこんな風に気持ちを整理して書くことはできなかった。今こうして書けるのは、コンプレックスだったことも含めてまるっと自分の生い立ちを受け入れ、すべてに感謝しているからだと思う。


人は人、私は私。

たしかに私が経験してこなかった苦労を彼等は知っているだろう。けれど彼等が知らない恥ずかしさや自己嫌悪を、私はこうして味わった。私たちの経験は、すべて幸せのための肥やしだ。


人もOK、私もOK。

30代になって、ようやく心底そう思えるようになってきた。

心が動いたとき、例え少し痛みを伴っとしても、もう「嫌い」で誤魔化しはしない。「羨ましい」と素直に言えたら、その想いは昇華して、今自分が手にしているものの有り難みにも、ちゃんと気付けるから。

幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。