【気まぐれエッセイ】個性的であろうとすると個性は消える

個性が大事だってよく言うよね。そして「個性」という言葉が使われるとき、大抵それには、異彩を放っているだとか、奇抜だとか革新的だとか、そんなニュアンスが含まれる。あぁ、個性ってとっても大それたものだって感じてしまう。私もけっこう長い間、誰にも真似出来ないほど圧倒的に優れているか(←本当はこうなりたくて苦しかった)、それが無理なら圧倒的に変わっていなければならないと思っていた。


でも今は思う。そもそも同じ人なんて存在しないわけで、人は生まれながらに誰もが個性的な存在だって。月並みな言葉だけど、表面的にではなくて心の底からそう思うの。


そしてこうも思う。大勢の人と一緒で平凡な存在でもいいし、一人だけ違っていて浮いててもいいって。私らしくありさえすればそれでいいんだって


心から惹かれたものが、マジョリティでもマイノリティでも、胸を張ってそれを好きでいることで、その人らしさは縁取られていくものだと思うから。そして自分に嘘が無い状態で過ごすことは、自分だけでなく接する相手にも心地良さや清々しさを贈れるから。

一つ一つを取り上げれば月並みなパーツかもしれないけど、その人を構成する要素全てを集めてみると、その組み合わせに一つとして同じものはない。


一面だけを見れば、到底多くの人とは相容れないような変わり者も、誰もが共感するような感情を、必ず持っているものだ。

人は誰しも、個性的で平凡な存在なのだ。
だから皆、自分らしくさえあればいい。



P.S.サッポロビールのCMで、星野源さんが同じようなことを仰っていたよね。←パクったわけじゃないよ(笑)でもあれを見たときも、テレビに向かって一人で頷くくらい共感したんだ。


「エゴっていうものが一番なくなったときに、その人の個性っていうのが出てくると思っていて。こう見られたいとか、そういうものを思っているときって、個性って死んでる」 星野源さん/サッポロ生ビール 黒ラベル CM


〆ようと思ったけど人の言葉で終わるのもアレだから(笑)、最後にもう少し。


個性的かどうかは、人と比較してはじめて分かることだ。つまり意図的に個性を出そうとすることは、意識が常に自分の外側に向いているってこと。自分らしい色を放つには、まずそれがどんなものなのかに気付く必要があって、それには自分の内側と向き合わなければならないのに、ずっと外に意識が向いたままでは、いつまでたっても本当の自分を生きられない。


人と違うアイディアを出さなければならない機会などはたしかにあるし、そのときにライバルと被らないように考えるのは大切だけど、日々そうある必要はないと思う。


って、そんなにも個性的であらねばと強く思っている人の方が少ないのかな? でも私のように芸事や文学に興味のある人には、よくあることなんじゃないかな。まとまりのない文になっちゃったけど、最後まで読んでくださってありがとう。今日もあなたがあなたらしく過ごせますように♡


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