見出し画像

【気まぐれエッセイ】二度目ましてが苦手です

私は、「初めまして」は得意だけど「二度目まして」が苦手なタイプの人見知りだ。ただ私が言う「二度目まして」とは、厳密に「二度目に会うこと」を指しているわけではない。お互いのことを認識しているけどこれ以上親しくなれる気がしない人とのコミュニケーション全般を指しているのだ。

だけど配達のお兄さんやよく行くカフェの店員さんのように、顔見知りになってからもずっと初対面のときと同じ距離感で接することができる関係性であれば、毎回楽しく会話できる。また友達になれるくらい気の合う人であれば、二度三度、会えば会うほど親しくなれる。何度会ってもプライベートで親しくなれるほど相性は良くないけれど、ずっと表面的な距離感で接するには無理がある人(例えば職場のなんとなく苦手な人など)というのが誰の周りにも存在すると思うのだけど、私が苦手なのはそういう人たちとの付き合いだ。

要するに私は、ごく表面的で浅い話か、反対にとても深い話が好きなんだ。話の深さを三段階に数値化するなら、1と3レベルの会話は好きだけど、2レベルの会話は苦痛なのだ(3レベルの会話ができる相手となら、2レベルの会話も楽しめる)。

それは私が、相手の深い部分(例えばその人の人生観や恋愛観)に興味を持てなければ、その前段階の話にも興味を持てないからだ。例えばその人が「何を大切に生きていてどういう人生を歩みたいと思っているのか」などを知りたいと思えなければ、その人のゴルフのスコアやカラオケで歌う曲などには、どうしても関心が持てない。自分の話をする場合もそうだ。3レベルの話を打ち明けたいと思えない相手に、2レベルの話をするのがしんどい(1レベルの会話なら苦なくしていられるのだけど)。

昔はこういう自分の性格をダメだと思っていたし、直さなければいけないとも思っていた。でもここ最近、何故か「このままでいいや」と吹っ切れた。別に勝手に性格が変わるのなら変わったで便利だとは思うけど、変わらないのなら頑張って変えなくていいなと。

こんなことを書きながら、私は人との出会いや会話が好きなんだ。だから1レベルの会話をしたときに、3レベルの会話をしたいと感じた人とだけ仲良くなればいいと思っている。3レベルの話をしたいと思えるほど相性が良くないと感じた相手と、無理に2レベルの会話をするのをもう止めてしまおうと決めたんだ(ま、接客業をしているので、頑張らなければいけない場合もあるけどね)

こう決めたことで、そんな生き方がしやすいように、経済的、時間的、場所的な自由を必ず手に入れようという決意もより強固なものとなった。

そして精神的な自由を、先に手にすることができた。

自分の人生なんだから、人の幸せを邪魔しない限り好きに使えばいい。貴重な時間を合わない人との会話に費やす必要なんてない。コミュ力がないと思われたって別に構わない。私が合わないと思った人がどんなに素晴らしい人だとしても、私はその人と話していて楽しくないんだから、私の人生にはその人との会話は必要ない。

だって私は、「楽しい」「幸せ」と思える時間で人生を埋め尽くしたいんだもん。


幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。