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【気まぐれエッセイ】「何者かにならなくては」という強迫観念と、どう付き合っていくか

以前にも書いたかもしれないけど、最近まで私は、世の中はこの3種類の人で構成されていると本気で思っていた。

1:何者かにならなくては(何かを成さねば)と思っている人
2:何者かになった(何かを成した)人
3:何者かになる(何かを成す)ことを諦めた人

私は長年ずっと1の人だ。

だけど冷静に周りを見渡してみると、諦めているのではなく、はなからそれを望んでいない(そもそもそういう概念がない)人 という4つめの人種が、どうやら案外多いようなのだ。考えてみれば私の両親や妹はそうだ。妹はまだ現代の影響を色濃く受けている分、両親よりは私に近い考えを持っている気もするけれど、私ほどではない。両親には、私が何者でもないことで劣等感を抱えている理由が分からないと思う。父に至っては、きっとまったくと言っていいほど、私の苦しみは理解出来ないだろう。


家族の中でどうして私だけがこんなにも強烈に、このように感じてきたのかはわからない。でもとにかく私は、第二反抗期を迎えた9歳(小学三年生の二学期)の頃からずっと、“何者かにならなくては(何かを成さねば)” という強迫観念に駆られてきたのだ。

うじうじと愚痴ばかり書いていても仕方がないから、たとえネガティブな気持ちを吐き出したとしても最後は前向きに〆られるときにだけnoteを綴っているのだけど、正直なところ、どうしようもない虚無感と焦燥感に襲われる日は多い。


あぁ、だから今日もまた、noteを更新出来ないな。そんな風に思っていたとき、久々に聞いたイケダハヤトさんのVoicyに、ちょっと励まされた。彼の奥様のお話が面白い。


何者にもならないことに “覚悟” を要するイケハヤさんの奥様は、きっと本来4種類目の人ではない。知名度も、好きなことで稼ぐ術も手に入れた、つまり何者かになられたご主人の傍で、きっと私や多くの1種類目の人と同じように、色んな想いを巡らされたことだろう(もちろんお会いしたこともない方だから、本心は知る由もないけれど)。

そんな末に導かれた答えが、「何者にもならない覚悟を持って寄り道をしよう」だなんて、素敵だと思った。


『piece』という少女漫画に出てくる、大好きなセリフを思い出した。

本当に大切な物って「無駄な物」なんだよ。一見ムダに見えるけど本当に大好きだって思えるものが、その人を形どって彩って豊かにするんだよ。ーpiece/芦原妃名子 より引用ー


これをやることが、ここへ行くことが、これを学ぶことが、この人に会うことが、何になるのか。

そんな風に全ての行動に対して目的意識を持つのは、なんだか味気ない。

子どもの頃のように、「ただ楽しいからやる」「好きだからやる」そんな瞬間で溢れている人生は、とても豊だ。私はそんな風に生きていきたい。


だからと言って、何者かになること(何かを成すこと)を諦めるわけじゃないけどね。私はやっぱりどこまで行っても1種類目の人なのだと思う。2種類目の人になるまで、ずっとそうなのだろう。だったらそれを叶えてあげるしかないじゃない。誰でもない私のために、私自身がさ。


ただこれからは、“今” を犠牲にはしない。一見自己実現に役立ちそうもない、ただ好き、ただ楽しい、を味わうことに、もう罪悪感なんて持たなくていい。


その “好き” こそが、私 なのだから。


それをかなぐり捨てて寒々しい道を愚直に進んで得たものは、私を幸せになんかしてくれないって、もう知っているから。




幸せな時間で人生を埋め尽くしたい私にとって書くことは、不幸を無駄にしない手段の1つ。サポートしていただいたお金は、人に聞かせるほどでもない平凡で幸せなひと時を色付けするために使わせていただきます。そしてあなたのそんなひと時の一部に私の文章を使ってもらえたら、とっても嬉しいです。