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140字小説集

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140字小説だけ集めたもの。コメント欄に設定付き。
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ホッチキスを怖がるような、肝っ玉の小さい弟だった。「ドキドキしちゃうだろうが!」涙目で睨んできた男は今…アイドルになりました。なぜ。当たり前にスポットライトの下、歌い踊り余裕かまして笑う。何も恐れない瞳が画面越し。でも今もドキドキしてんでしょ?バチン!ウインクにホッチキスの空耳。

「しっかり噛んで、一気に食べないんだよ」お餅を口にするきみに何百回このセリフを言ったことだろう。「うぜーな、何歳だとおもってんだよ」鼻で笑って上手に餅を嚥下する、その姿に十数年前の面影もないのに。「じゃああんたがじいさんになったらまた言う」「そんときゃ俺が言う番だろ」喉詰まるわ。

ぐちゃぐちゃの部屋で大晦日の夜、寝っ転がってるわたし。今年もダメだったし来年もダメだとおもう。埃が雪みたい、わたしにも降り積もってるだろうな。リモコン見つからないし紅白観るのも断念する。しいたけ占い2021年上半期の長すぎる文章をスワイプしながら、遠いよ。天井のひかり手を伸ばす。

空を見上げたら魚の骨が浮いていた。季節の移り変わりを告げるがごとく、最近の雲は目に新しい。「ほっけかさばみりんでも焼こうかな」「秋ならさんまじゃないの」「食欲の秋だから食べたいものを食べればいいんだよ」落ち葉を値踏みし、どんぐりを遠投しながら、季節を重ねる。骨が見下ろすこの町で。

行き先に映画を選んだのは私だった。盛り上がり最高潮で手がそっと重なる。荒っぽく振り解き舌打ちした。邪魔するなと。このいっときは観覧車の頂点のそれに値するのだと。劇場に光が戻った瞬間我に返った。混乱のあまり叫んでいた。「映画が好きなんですー!」未だ語り継がれる旦那との初デートの話。

隠れんぼに混ぜてもらえた。どきどきしながら鬼が来るのを待ってたら日が暮れた。誰の声もしない。皆僕を忘れて帰ったんだ。まぬけすぎて涙も出ない。月を仰いだ瞬間、背中を叩かれた。振り返れば汗だくの鬼。「隠れんのうますぎだろ!」「もう帰っちゃったのかとおもった!」二人してわんわん泣いた。

湿気った風がふいてもうすぐ雨が降るとわかった。洗濯物を中に入れなくちゃ。立ち上がろうと五分前から思っている。息子がわたしを呼んでいる。昼寝したはずの娘の泣き声がする。そのどれもが遠い。ぼんやり雨雲を眺めている。大雨警報、大雨警報。土砂崩れ発生の模様。ほんとうのわたしが生き埋めに。

「俺妹いるから三つ編みできるよ」「じゃああたしの髪でやってみてよ」どっと周りが沸いた。「えー…じゃあ触っていい?」わざわざ一言聞くところが好きだ。バカめ、あたしみたいな女の前で隙を見せよって。指が首にかする。ラプンツェルみたいに長くしてたらよかったな。今だけこの手はあたしのもの。

「日向歩いてたら死ぬからさ、影を渡って帰ろう」またいつもの思いつきだ。「えっ、そこ信号渡る意味ある?」「日影がある」遠回りに次ぐ遠回り、寄り道に次ぐ寄り道。きみは効率化の真逆をいく女。待って、そんなとこ何にもないよ!何もない場所?いいえ、世界にはどこにでも日向と日影があるんです。

「出かけるべきじゃなかったんだ」照り返しの熱が足元から立ち昇る。魚焼きグリルであぶられている魚の気分だ。上から下から。焦げ目はしっかり、汁がしたたる。「出かけるべきじゃなかったんだ」「二回言わなくていいから。じゃ帰る?」「いや……運命に挑む」「大げさか」癖で繋ぎかけた手を離した。

昨日虹を見た。隣の息子はへえ。薄い反応。だけど今朝、寝ぼけ眼で「虹の夢見た」と笑った。虹は橋で渡ったら宝箱をもらえてね、浦島太郎の玉手箱の逆で子どもになる煙が出てきて、僕は子どもだから赤ちゃんになってお母さんのお腹の中まで戻ってまた生まれてきたの、楽しかったよ。雨みたいに泣いた。

イルカが高く舞うのを観ていたら、なんだか俺も跳べる気がしたんだ。最近落ち込んでいた様子だったからと水族館に連れて行ったことを完全に後悔した。翌月曜、皆が羨む大企業に辞表を出して、彼は酒蔵の弟子になるのだって。死んだ目のまま側にいてくれたらよかった。知らねえよ、跳べよ。いっちまえ。

行きつけでもない美容室に足を運んだのは、二度と会わない相手なら言えるかと思ったのだ。「おまかせします」と。「要望とかは…」「何も。一切私の意見を入れたくないんです」誰かに壊してほしかった、つまらない私。「…ダメですかね。似合うと思ったんですけど」鏡の中には、いつもの延長線上の私。

付き合って初めて訪れた彼女の家は動物のぬいぐるみで溢れていた。「可愛いね」と言ったら「うつくしいんだよ」と訂正された。「今度動物園行く?」と聞いたら「狭いところにいるのを見ると悲しくなるから」と断られた。「野性の観よっか」とアニマルチャンネルを一緒に鑑賞した。動物に詳しくなった。