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終業式の日のこと

おとといは幼稚園、今のメンツで最後の日だった。
ふうか氏は別れのことをどれだけ理解していたんだろう。
お別れ会のときはとにかく楽しそうだった。ハグしあったり、手紙を渡しあったりはあったけど、悲しそうな顔はしていなかった。帰りに公園で遊んだときも、最後とか関係なく、かくれんぼの鬼しかやりたくなくてぐずったりしていた。

家に帰ったら、お別れする友達だけ頑張った賞をもらっていたことについて、「ふうちゃんはなんでもらえないの」と言って、はじめて泣いた。
そこー!?と思いながら、いそいそと賞状を作ってあげてみると、満足げに笑った。なんだかんだパンダを素敵に踊れたで賞。これでいいんかい。
どんなにショックを受けるかと心配していたけど、杞憂だったかもしれない。

だけど夜が更けた頃、便座に座っているときのことだった。
「MちゃんとRちゃんはどうしてえいごのがっこういくの?」
と突然ふうか氏が聞いた。
これからもNYに長くいる子は英語の学校に行く子が多いんだよ、と答えた。うちはもういつ日本に帰るかもわからないから、今のままの学校なんだと。それでもふうか氏は納得しない。
「なんでふうちゃんはもう4さいなのにいかないの。ふうちゃんもいきたい。えいごのがっこうにいきたい」
そう言って泣いた。
バレないようにしながらも、わたしもぼろぼろ泣けてしまった。
あーあ、皆ずっと一緒にいれたらよかったのになあ。もう当たり前の毎日が来ない。みんながいる日々が過去にしかない。
トイレットペーパーで鼻をかんでさりげなく一緒に流し顔を洗った。

しばらくして話題が変わると、またいつもの笑顔になるが、ときどき思い出したように「えいごのがっこうにいきたい」とふてくされた顔で言った。

ふうか氏が寝入ったあとだ。だいぶ気分も落ち着いた頃、あれ、とふとおもった。わたしは別れが悲しくて泣いていたけど、ふうか氏は同じだったのだろうかと。
頑張った賞をもらえなかったことに加え、この日ふうか氏がもうひとつ話題にしていたことがあった。それは、図書室の帰り道、本を持ちながら階段を降りるときについてのことだ。「ふうちゃんはもう4さいだからひとりでできるのに、Fせんせいはほんをもっちゃうんだ。Yせんせいはわかってるけど、Fせんせいはわかってない」みたいなことをブツブツ言っていた。
このエピソードを加えて、今日の発言を思い返してみる。あれ、やっぱり、ふうか氏はあんまり別れの悲しさに触れていないぞ……。
みんなができるようになったことが、もしくはしてもらえたことが、自分はなぜできないのかという悔しさなのでは……?
4才になったのだからもっとおねえちゃんとして扱われたい感をひたすらに感じる。
わたしの圧倒的なまでのセンチメンタルフィルターで、ふうか氏をセンチメンタル色に染めて見てしまったかもしれない。

とはいえ、ふうか氏は友達が大好きなのは間違いない。もしかしたら、新学期になって、仲良しの友達がいない事実を突きつけられるのかもしれない。新しい子たちとの出会いの嬉しさのまえで忘れてしまうかもしれない。そのどれでもないのかもしれない。英語の学校行きたいとか言い出したのも初耳だし。まあ、そのときになったら考えよう。

今は夏休みを生きるのだ。今目の前を大切にするのだ。

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