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勝手に百冊チャレンジ【12冊目】「産業人の未来」

いろんな論点を導き出せる本だとは思うけど、私がまずは伝えたいことをまとめてみた。(私が読んだのは、「新訳」の方なので、下記エターナルコレクションのとは微妙に違うと思います。)

初版(~前後はこんな感じで、まで)

にしても、全9章の本の、第6章「自由な社会と自由な政府」だけで、これを論じてるのよね。敵わんなぁ。。

ドラッカーさん、自由と責任を論ずる

私は、こういう考え方、結構好きかも。

自由とは解放ではない。責任である。楽しいどころか、一人一人の人間にとって重い負担である。それは、自らの行為、及び社会の行為について自ら意思決定を行うことである。そして、それらの意思決定に責任を負うことである。(P.125)
キリストに対して、人間は責任ある自由人たるよりも泰平な奴隷たることを好むと論じた大審問官の主張が正しい。(P.126)

自由とその責任を引き受けるのかどうかが、エリートと大衆の境目なのかも、と思ったり。(こう定義すると、結構、世間の常識と逆かもな、とも感じたり。)

そして政府を論ずる

人間を完全無欠なものとして認め、あるいは人間は完全無欠になるための方法を知りうると認めるならば、必然的に専制と全体主義がもたらされる。(P.127)
自由とは、人間自らの弱みに由来する強みである。自由とは、真理の存在を前提とした懐疑である。あるものが完全無欠の善であるとするならば、そのものが支配すべきであって、 自由は存在しえない。あるものが完全な悪であるとするならば、そのものが支配の力を握ることになる。(P.130)
自由は、いかなる形態の支配といえども、優れた政府あるいはより優れた政府を保証しえないとすると、はじめて可能となる 。(P.152)

この本が出たのが、戦時中の1942年。戦争は、人を愚鈍にも英邁にもするのだな、と感じる。で、ドラッカーさんを(妄信しないにしても)師匠とする以上、私がJGPを今一つ好きになれない理由がよく分かった(^^;

それが正しいかどうかは別として、その起源が判明した、というところ。

この流れで行くと、ルソーを第7章でケチョンケチョンにけなすのも分かる気はする。ただ、そう言えるのは時代が下がったからだとは思うけど(^^;

前後はこんな感じで

この本の前段は、1933年に書き始めて1939年に出した「経済人の終わり」、そして1993年に「ポスト資本主義社会」へと続きます。



団塊Jr。エンジニアを生業としつつ、経済学→経営学→心理学へと関心が移ってきた変な人。ついに退職し、「知識志本主義社会」へ旅立つ。夢(妄想?)は、アダムスミスやドラッガーのように結果として新たな学問領域を打ち立てること。SF:戦略性/学習欲/内省/慎重さ/着想