雑記:ブログの中に在った「凪」。「フリー久保ユリカ」が終わり、「久保ユリカのフリー」が顔を出す。

2019年10月1日、気が付けば区切りの2020年まであと100日程度。増税だの下半期スタートだの、我々がバタバタしている中ニュースが飛び込んできました。

久保ユリカさん、事務所へ所属。


久保さんの最近の動きといえば、

・ファンクラブ終了、事務所フリー、SNS復活
その時に書いた記事

・胃痛ラジオ終了
その時に書いた記事

・VIVID VIVID LIVE 実施
その時に書いた記事

・30歳になった
区切りを感じてみなさんと出した本

などがありました。

なんとなくこの1年半くらいはこれらが地続きになっているようなイメージで、よりわかりやすい部分としては「30歳」を軸にした久保さんの一つの期間があったような気がします。


またそれとセットでVIVID VIVID LIVE をもってその期間がひと段落していたような気も同時にしていて、「これから2019年下半期ってなんかまた新しいこともありそうだよねえ」と友人各位と話していたことを思い出します。

結果、それは事務所に改めて所属という極めてわかりやすい変化をもって「なんかありそう」に対する回答に本日相成ったわけです。


本日19時現在、特段新しい活動は示されていませんがこのまた始まる新しい久保さんの期間がどうなっていくんだろうという漠然とした思いは私も含めたファン一同が持っている共通感覚なのではないでしょうか。


そんな折、ブログが更新されました。(そういえばブログ再開というのもこの暫くの動きでしたね。)


さて今回のこのブログ、とても構造的に趣深いものになっていました。


かつてのオフィシャルブログ「ならづけ」。リアルタイムで閲覧していた方、後から検索などして見た方、いろんな接し方があるこの「遺跡」ですが各記事はある共通フォーマットをもっていました。

タイトルにその時々に取り上げられる曲の歌詞の一節、そして文末にその楽曲のタイトル。

この構成は久保さんがその時の気分で曲を選んでいるだろうという気ままな空気感と「こういう曲聞いてるんだ」というファン心理をくすぐる要素、そして何より「フォーマットで縛る」ことによる何となくの尖りっぽさがあり、当時の久保さんのクオリア的なものを感じられる素敵な要素でした。


それを踏まえて、今回のブログ。タイトルに楽曲が登場しますがならづけのそれとは違う構成になっていました。

「聴きながら」とわかりやすく明示し、今の感情とリンクさせていることを隠さず、文章の表現上にもしっかり入れ込む。

ならづけの時にあった「フォーマットにして、ある意味で空中に放り投げている」ソリッドな尖った感じはそこにはなく、丁寧に柔らかくトスをあげるような変化を私は感じました。


そもそも今回のブログはよく読むと強烈なのです。


自由な部分が多そうだなという印象を持ちがちな「フリー期間」を「満身創痍」という言葉で振り返る一説はなかなのインパクトがありました。

でも不思議と読後感はシリアスではなく、少し穏やかさすら感じるような文章になっています。

構造上も感覚上もならづけとは違う穏やかな何かがそこにあるような気が私には強く感じられました。

文脈や状況のシリアスなテンションをコントロールする、この「凪」の構造がこれからももしかしたら何度も顔を出すのかもしれません。だとしたらこれは結構な変化なんだろうなとなんとなく思うのです。それは満身創痍だった「フリー」が終わってある意味では「フリー」になるというような感覚上の変化なのかもしれません。

フリーではないけどフリー、それを表現していく中に在る「凪」の空気感。そんな要素に勝手に注目をしながら、また引き続き1人のファンとして応援させていただければと思っております。


そしてこんな1500文字の駄文の確からしさなんてどうでもよくなる「あー、やっぱどんな時も久保は久保だなー」を感じられればと思うのです。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?