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浴びせられた心無い言葉を乗り越えるために


作家のエージェント、遠山怜です。今日はどんなクリエイターも遭遇する、自分の作品や活動に寄せられる「批評」ではなく「非難」をぶつけられたときの話。

何かを生み出し、人に見せて評価される行為には、必ず真っ当な批評や感想以外の心ない言葉や非難、ときにはクレーム、当て擦りが伴います。

自分にとって都合の良い感想ばかり得られるなんて、望むべくもないし、あり得ないことでしょう。多くの人に知られれば、多様な価値観や見方、異なる環境の人に届く訳ですから、好意的ではない感想や反応が得られる可能性の方が高い。

非難の中にも正しい指摘や慧眼な意見は隠れているもので、それは見失わないようにしたい。心ない言葉をときには受け入れることも、自分の成長のためだとも分かっている。

しかし、これまでの人生や見てきたもの、価値観をさらけ出して自分の時間も命も削って生み出したものを否定されることは、自分の存在自体も拒否されたように感じる。胸の奥の見えない場所に、透明な打撃を受けたような気すらする。透明な衝撃は目に見えないから、被害を受けたなどと言いにくい。それを吐露することも、気恥ずかしいことだと感じる人もいるだろう。

また、世の中には「僕(私)は何とも思わなかったよ。これぐらい普通でしょ」と自分の感覚を表明することで、「あなたもそのように感じるべきではない」と無意識的に人の感じ方を封じようとする人間もいるので、敏感な人間ほど気軽に口にはしない。

だから、多くの場合はこうした打撃に対する葬いは、一人で行われる。これはその、孤独な葬いのための漫画だ。

悲しみに目を背けず、目を閉じて深呼吸。

向こうからやってくる、目に見えない攻撃に怯まずに、前に進もう。何のことはない、これは次に進むためのうってつけのステージなのだ。悲劇から喜劇へ転換するための、舞台装置にすぎない。踏み越えた先には新しい幕が待っている。

私たちが何者なのか、彼らに教えてあげよう。この次の展開を見せてあげよう。

今はまだ途中だ。死という本当の終わりが来るまでは、すべてはまだ、まだ、まだ、途上なのだ。

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