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3月31日の夜に

こんばんは。3月31日です。
今日は桜吹雪の中、自転車で帰りました。本当に春だなあと。
今夜はちょっと燃え尽き気味です。呆けております。疲れて気持ちが沈んでおります。年度末の夜、そんな更新ですがよろしければお付き合いください。


担当している仕事の中でこの数年、合わない人と進めなければならないものがあった。仕事のやり方から性格、何から何まで合わない人だった。

毎日意地悪されるような激しい苦痛ではないものの、日常的に仕事の分担に不満を感じていたし、意見を言いにくい人(私の性格としても不満を相手に伝えるのが苦手)だったので本当に辛かった。

この数年、私のツイートがどことなく荒んでいたのもそのことが原因かもしれない。そんな仕事を抱えていることを具体的に呟いてこなかったが、何かを感じて心配してくださる方もいらっしゃり…いつも読んでくださり本当にありがたいと思った。

自分ばかりを正当化するつもりはない。向こうも私を合わない人間だと思っていただろう。
相手には相手の言い分もあるし、同じように不満もあったと思う。お互い表面的には円満な関係を保ちつつ粛々と仕事をしていた。

この度、その仕事が無事に終わり、晴れてその人と距離を置けるようになった。この他にも仕事はあるが、その仕事がストレスの大部分だったので本当にホッとしている。

話は少し変わり、3月。
部署内で配置換えもあれば転勤もあった。そしてこの度、親しくしてくださった先輩が異動になった。寂しいけれどこれからのご活躍を願って、この前お昼をご一緒していただいた。

先輩とご飯を食べながら、話題はその仕事のことになった。
「戸山さんの仕事、ほらあの人と一緒の。大変だったね」
「無事終わってホッとしてます」
「特にあの時のあれ、酷かったよね。他にもあれとかこれとか…」

先輩はその案件にまつわるエピソードを出して私のことを労ってくださったのだが、私の方はなぜかふつふつ怒りが込み上げて来た。
「そういえば、そんなこともありましたよね。心の奥にしまい込んで忘れていました!」
私は辛かったあれこれを、昼食を取りながら改めて思い出したのである。

相手に感じた不公平さ、不満。心底軽蔑していたこと、相手が他の仕事でトラブルを抱えている時は自分の仕事にしわ寄せが来ることをわかりつつも正直ざまあみろと思ったこと。そんな自分の醜い部分を毎日見なければいけなかったこと。
同時に私は心の奥底で、このつらい仕事の一部分を都合良く忘れて「終わり良ければ全て良し」で済ませるつもりだったらしいことにも気がついた。我ながらたくましいと、少し呆れた。

「忘れること」は自己防衛の1つだと思う。
嫌な記憶を全て消すことはできないが、時間と共に出来事をところどころでも忘れられるとしたら、近い将来「何となく嫌だった思い出」として済ませることができるかもしれない。
長い時間を必要としたとしても、いつか心の傷を和らげることができるかもしれない。

実際、私は終わったばかりのあの仕事を「あの時は大変だった」と美談として収めようとしている。「時は薬」とはよく言ったものだ。
一番最近味わった辛い出来事でさえ、私は刻々と忘れつつある。

これから先も立ち直れなくなるほどの辛い思いをすることはあるだろう。心の傷が残ったとしても、時が経てば辛い記憶の全てを寸分違わず再現することは難しいはずである。
ある程度再現できたとしても、ある程度は必ず忘れていく。思い出すこと忘れることを繰り返し、心を少しでも平穏に近づけながら、私はこれからもどうにか生きて行くのだろう。

今回の仕事は終わったが、次の仕事もやっぱり難しいらしいことを今日になって知らされた。
困難を乗り越えたら楽になるどころか、それを上回る困難が近づいてくる。だからといって教訓を得られるわけでも給料が上がるわけでもない。不毛な仕事である。

とはいえ、我慢ばかりでは心が壊れてしまう。仕事を一緒にする相手とは協力して、可能ならば意見を伝えて、周りに助けてもらいながら時に休んで愚痴をこぼし、上司に相談し、他の仕事も進めることで気分を変えながら…そんな風にこれからを乗り切りたい。



長々読んでくださりありがとうございました。
すっきりするわけでも、得をする文章でもなくてごめんなさい。終わりの見えない悩ましい日々を過ごす人間がここにもいますということをお伝えできましたら幸いです。

明日からもお互い、図々しく生きて行きましょう。そしてまた読んでいただけたら嬉しいです。