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四文字


以前、noteで「君のことばに救われた」というコンテンストがあった。
人の言葉に救われ、力をもらえたことは実際によくある。
それは相手が私を「救おう」として意識的にかけた言葉だけではなく、誰かがつぶやいた本音をたまたま誰かが拾い、結果的に救われる場合もある。

この文章を読んでくださっているあなたは、誰かの言葉に救われたご経験がおありでしょうか。
そして、その言葉は長かったでしょうか短かったでしょうか。
……何文字か覚えていますか。

これまでの人生、私が救われた言葉の中で一番短かったのは四文字です。今日はそのことについて書きます。



今に始まったことではないが、昔から私は損な役が回って来ることが多く、面倒くさい仕事を押し付けられたり、面倒くさい人と仕事を組まされたり、そんな人生を歩んでいる。なぜそうなるのかについては別の機会に考えるとして、私はその時も「色々ある人」と一緒に仕事を担当することになった。

その人は直接関わる仕事がなければ「ただの社交的な人」で、部署内では一定数人気もあったが、近くで仕事をしている私にとってはやっぱり色々あり、その人のミスをフォローしながら重大な損失が出たらどうしようと気が気でない日々を過ごしていた。「相手はやりたい放題で私はそのフォローに追われ仕事は少しも楽にならない」状況である。しかし、私が愚痴らなければ仕事を近くでしない人にとってはこの状況はそれほどわからなかったと思う。

ここまでの内容はあくまで私の考えであり、当時周りの人はなんと思っていたかはわからない。
その人よりも私の方が非社交的で交友範囲が狭いわけだし、実は問題があるのは私の方かもしれない。根暗な社員(私)が、休日に仕事の愚痴を書いているだけ。
一人称の文章の落とし穴はそういうところであるが、せっかくこの文章を読んでいただいているので、このまま私の立場で読み続けていただけると嬉しいです。

時は流れ、その人が転勤することになった。
送別会も終わりの頃、部署のみんなで餞別の品を渡し、その人が挨拶をすることになった。
社交的なその人が話しだすと涙を浮かべる人もいて、改めて私は、その人は人気があるのだなあと思った。

あいさつが終わりに近づき、「仕事で自分が至らないことは多々あったと思います」という言葉が出た。
職場を離れる人がよく使う、謙遜したフレーズである。でも、その人に複雑な思いを抱えていた私としては「至らないことは多々」の部分に激しく頷き、別れの場にも関わらず「あなたにどれだけ迷惑をかけられことか」と心の中で毒づいた。
まあ、こんなことを思うのはその人と近くで仕事をしていた私くらいだろうとも思った。

私がそんなことを考えていたのと同時に、隣から「だろうね」というつぶやきが聞こえてきた。

横を向くと直属の上司である。
この宴会と餞別の花束まで企画した人が、小さく独り言を言っていた。
聞こえたのは私ぐらいだし、私が聞いていたことに上司は気づいていないと思う。

ああ、彼も同じことを考えていたのだ。
直接相談したことはなかったが、上司はその人のミスを私と一緒にフォローをしてくださったこともあった。上司にも気が気でないことがあったのかもしれない。

別に上司は意図的に私に聞こえるように言ったわけではない。
ただ、あの場で涙も浮かべずに同じことを考え、独り言を言った人がいた。それだけである。
「だろうね」というたった四文字で、自分の複雑な思いが報われたような、救われたような気持ちになった。

その後も私は根暗で貧乏くじばかり引いている。
時々、報われることもあるがその倍は面倒くさいことや割に合わないことばかりである。
それでも、どうにか暮らしている。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
本題から外れますが冒頭のコンテストが開催されていた時、私はnoteを始めたばかりでした。
応募した作品は落ちてしまいましたが自分自身は気に入っているので、以下にリンクを貼ります。読んでいただけたら嬉しいです。


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