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誰かにとっての「なんかカッコ悪い」

こんにちは。
新年度明けの週末、いかがお過ごしですか。
私は新しい雰囲気をまとった家族を含む身の回りに
早く環境の変化に慣れると良いです。

前回良い匂いのするハンドクリームが欲しいと書きましたが

奇遇なことにラベンダーの香りのハンドクリームをいただきました。
定年退職のお祝いで、お世話になった上司にお花を贈ったところ、そのお返しにと。
お手紙にはこれから1年は仕事をせず遊びたいとありました。充電完了した上司のご活躍を陰ながら思っています。

さて、今週も他愛もない話におつきあいください。



先日、電車に乗ったら優先席に5人の家族連れが座っていた。1つの座席に赤ちゃんを乗せたベビーカーとその母親。反対側に父親と小学生低学年と4〜5歳の兄弟。彼らは通路越しに大きな声で話していた。さながら特急のボックス席のようだった。
目的の駅に着き、その家族連れがにぎやかに降りようと出口に移動した時、近くの男性の足元にベビーカーがぶつかった。母親はすみませんと大きな声で謝り降りて行った。

家族連れが降りた後、車内は静かになった。
優先席が空いたので下の娘が座りたいと言ったけれど優先席だし、あっちに空いている席があるから座りたいなら座っておいでと私は話した。次の駅で私達も降りた。

何ということもない出来事だ。
でも何だかもやもやした。 


その家族連れは1つも悪いことをしていない。
私がもやもやしただけだ。
なぜなら、優先席はあくまで「優先」席なのだから、車内が空いていて周りに優先すべき人がいなかったら座って良いし、むしろ赤ちゃんは優先すべき人だろう。また通路越しに話してはいけない決まりは恐らくない。勢いよく押し出したベビーカーに誰かがぶつかっても、母親はきちんと謝っている。
彼らは悪いことをしていない。
でも何だかもやもやするのだ。

身の回りには他にも、もやもやすることがある。
例えば、私の住む建物の駐輪場はこの頃、自転車が増えて自由に置ける場所が少なくなった。この駐輪場は、空いているところに各自が置く仕組みで指定席はない。状況に応じてとめる場所が変わる。だから、仕事から戻るといつも置けていた場所が他の自転車で使えないこともある。
そんな時は置ける場所を探してとめている。

ある時、駐輪場に三輪車が置かれているのに気がついた。どこかの子供が置いたのだと思っていると、自転車が入ってきた。
父親は自転車を置き、子供を降ろすとその子は三輪車を自転車置き場から取り、遊び始めた。空いた場所に父親が自転車をとめた。
そんなことが数回続き、その場所は日中は三輪車が、夜間は自転車が置かれていることがわかった。つまり三輪車は日中他の住人にその場所を取られないために置かれているのである。

規則に場所取りは禁止と書かれていないので、他人に咎められることはない。

でも私はもやもやする。

以上、2つの出来事についてどう思うか。
私のようにもやもやする人と、悪いことしてないのだから良いではないかと思われる人と様々だろう。これが価値観や考え方の違いなどと言われるのだと思う。

身の回りのもやもやは、職場にもある。
文句ばかり言う人に振る予定だった仕事が案の定、文句を言わない私の所に来たり、そんな人達の尻拭いが回ってきたりする。
頼みにくい人には仕事が回らず、頼みやすい方に仕事が集中する。それが今の私の職場である。

先日、不満がたまり「私も文句ばかり言う人になろうかな」と愚痴ったところ、ある同僚から「周りに困った人認定されて、戸山さんはそれで良いのですか」と言われた。

困った人認定される人とは、表面的には普通に接してもらっても影で「ほら、あの人は仕方ないから」と言われる人や、どうせ心良く引き受けてくれないだろうからと仕事を配慮される人のことである。

「私なら耐えられないです」と相手は言っていた。

しかし、この頃私はそれでも良いのではと思ってしまう。
「もやもやする」ということは、心のどこかで自分もそうしたいと思っているからだろう。
もしくは少なからず我慢しているからもやもやするのだ。普段から必要以上に自分を良く見せ、許容以上の仕事が回ってくるから困るのだと思う。

本当の私はもっとちっぽけだ。
穏やかでも優しくもないし、損得勘定ばかりで仕事分担にピリピリする。余裕がない。
それなのに周りによく思われたいがために、遠慮したり親切にしたりする。断って嫌われるくらいなら面倒を引き受けようとする打算もある。

今は許容オーバーで疲れているから色々なことに、もやもやするのだろう。

「良いと悪い」を決める基準の周りにはギリギリセーフとギリギリアウトがあって、どれを選ぶかは個人の考えによるものだ。

先ほどの優先席や駐輪場のことを、気持ちにゆとりのある休みの日に考えるなら、それでも「なんかカッコ悪いから私はやらない」と答える。

全て私が好きか嫌いかの問題である。何となくカッコ悪いと感じるから、私はしないだけだ。
どちらも他の人のことを考えず、自分を優先しているところが私は好きではないし、なんかカッコ悪いと思うのである。
同じように、満員電車で化粧をする人にも、ホームの階段に近い所に降りたいからと電車の中を人をよけて移動する人に対しても何かカッコ悪いと私は思う。どちらも明らかな被害を他人に与えていないし、規則違反でもない。ただの好き嫌いだ。(例えが電車ばかりになったのは、この頃電車で通勤したからです)追記 夫はホームの階段に近い所に降りたいからと電車の中を歩く派らしくこの後は軽く主張のし合いになった。やはり個人の好き嫌いだと思う。

反対に私の何気なくしていることが、誰かにとっては「なんかカッコ悪い」ことになるだろう。

その証拠に身の回りには気の合わない人が少なからずいるし、Twitterでも一度も絡んだことのない人からブロックされている。理由なく嫌われ理由なく好かれるのが世の中である。

仕事について、今後は本音と建前のバランスを取りながら、必要な時は自分の意見を伝え無理な時は断りたい。本の題名のように「嫌われる勇気」が今の私には必要である。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。まだまだ4月は始まったばかりです。
自分に多少甘いくらいで乗り切りましょう。
また元気にお会いできますように。