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今日も老婆に怒鳴られる。

夕飯のおかずを買って帰ろうと肉屋に立ち寄った。
店先で惣菜を売っている肉屋である。時刻は19時を過ぎ、遅くまで開いていてありがたい。

とんかつ、唐揚げ、メンチカツ……欲張ってしまったとホクホク店を出たら、向こうから怒鳴り声がした。


「また惣菜か!」

老婆だ。道路の向こう側にある公園の植え込み(石段)に一人の老婆が腰を掛けている。
老婆はこちらをまっすぐ見据え、腹に力の入った声で野次を飛ばしていた。

この道路は交通量が多く、目の前には信号がある。
なるほど、身の安全を確保した上で適当な獲物を見つけ、こうして日頃の憂さを晴らしているのか。なんと卑怯な。

労働に疲れた私にとって、惣菜はありがたいものではあるが一抹の罪悪感は付きまとう。
特に肉屋の惣菜、揚げ物をこんなに食べて良いのかという健康への罪悪感もあるし、子供達に手作りでなくてごめんという、呪いのような手作り一番の気持ちから罪悪感が生まれる。

「また惣菜か!」

うるせえ、ババア。自分の金で買って何が悪い。

駐輪場に停めた自転車のカゴに惣菜の入ったビニール袋を入れた。
老婆は赤信号の時に店を出た別の女性をターゲットに怒鳴っている。

そんな老婆を誰も相手にしない。
皆ちらっと見て日常に戻っていく。

交通量の多い道路の向こう側で騒音にも負けず、声を上げる老婆。

青信号になったら老婆の方に行ってみようかとも思った。私を見るなり老婆はギョッとするだろうか。それともさらに怒鳴り散らしてくるだろうか。
いやしかし、私にはお腹を空かせた家族がいる。その時間は勿体無い。

自転車に乗り、揚げ物の匂いをなびかせながら考える。
婆さん、こんな夜に、あんたはなんで一人なんだ。
怒った相手が向かってきたとして、信号が青になる前に逃げ切れる自信があるのか。
それとも寂しいから人に絡んでしまうのか。

婆さん、私は手抜きの主婦だが、仕事が終わって精魂尽きて夕飯を作る力がもうないのだ。

今日は人事発表ですごく絶望的なことが起こったし、理不尽なクレームにひたすら頭を下げまくった時もある。根回しが肝心と慎重に根回ししている時に「私やりたくありません」と文句を言った先輩の仕事が自分に回って来たこともあるし、帰った後に子供に深刻な悩みを打ち明けられたらどんと受け止めねばならない。

適当に家族に惣菜をあてがって、鼻くそをほじっていればいい訳ではなく、疲れて果てて惣菜を買うしかないのだ。

覚えておけ、婆さん。
今度その顔見たら、ただじゃおかない。
猛スピードで自転車漕いで信号渡るからな。
それで、驚いたあんたに、向かいの肉屋で買ったコロッケ一枚押し付けて全速力で家に帰ってやる。


私はこれまでも、よく老人に怒鳴られる。(個人の感想です。)
この前、旅先のビュッフェでポテトの列に並んだら「割り込みしてくんな」と爺さんに怒鳴られた。
いやいや、割り込みしてない。欲しいメニューに各自並べと書いてあった。入り口から並んでグルッと取っていくスタイルはビュッフェじゃない。勝手に俺ルール押し付けてくんな。

その時はびっくりしたし腹も立ったけれど、こうして家で書いていると、歳をとってもお腹から声が出て元気だなあと思う。
公衆の面前で怒鳴る人って何であんなに後先考えないのだろう。年少者が本気で反撃したら一発で負けるだろうに。

まあ、反撃しないけれど。怖いから。

そして今日も私は老婆に怒鳴られる。