栗原康『現代暴力論』“検閲”読書会(2017.3.26〜4.2)もくじ

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 2017年3月26日と4月2日の2回に分けておこなわれた、栗原康の『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書・2015年)を熟読する読書会のテープ起こしである。紙版『人民の敵』第30号および第31号に掲載された。
 この前段として、冒頭でも触れられているとおり、まあ同じ枠の人と云ってよかろう森元斎の『アナキズム入門』を熟読する読書会を同3月19日におこなっており、そのテープ起こしは、やはり紙版『人民の敵』第29号に掲載されたが、そちらもいずれこのサイトで公開する予定である(後註.のち公開…「森元斎『アナキズム入門』“検閲”読書会」)。
 この読書会の際にはまったく失念していたが、実は栗原康は外山が実質提起して2014年10月から翌15年2月にかけて計3回、東京で敢行された、長渕剛を大音量で流しながらの“サウンドデモ(笑)”である「男たちの脱原発デモ」に参加していたらしく、そういう志向性あるいはアンテナの持ち主であることは断乎支持しつつ、しかしそれはともかくとして森、とくに栗原を象徴とする昨今の“メンヘラ・アナキズム”の潮流に対しては、「ばかもん! そんなものが“アナキズム”か!!」と釘を刺しておかざるをえない(なんとこの後さらに天下の岩波新書から18年11月に同工の栗原『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』なる駄本が刊行され、まあもともと明白だった岩波のヘナチョコぶりというかトンデモぶりに拍車がかかっているのである)。
 こういうものにダマされてはいけない、と正統派のアナキスト=ファシストとして云うべきことは云って、若い諸君を良導する責務が私にはある。

 ちなみに他のサイトで全文公開した(後註.閲覧できなくなったので2019年12月にnote内に移した)東浩紀らの『現代日本の批評 1975-2001』『現代日本の批評 2001-2016』読書会のテープ起こしや、北田暁大らの『現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史』(イースト新書・2017年)の読書会のテープ起こしもそうだが(ただし前者については単行本版ではなく初出の掲載誌『ゲンロン』第1号第2号第4号を読書会では使用)、この読書会についても、栗原康の『現代暴力論』の現物を入手して、途中ことわり書きが挟まるように、例えば「第一章・黙読タイム」などのところでまず当該の章を自分でも黙読してから読み進む、というのが一番タメになる読み方である。

 もくじ

 その1(原稿用紙換算18枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 森元斎と栗原康
 「シチュアシオニスト」とは何ぞや
 なぜ今さら“大杉”?
 平仮名を多用する独特の文体

 その2(原稿用紙換算22枚・冒頭7枚分は無料で読めます)
 “3・11以降”の反原発運動
 どうも矢部史郎一派の一員であるらしい
 ブルーハーツの引用
 今も昔も人民はマスコミにいくらでも煽動される
 国家権力とは“洗練されたヤクザ”にすぎない

 その3(原稿用紙換算18枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 誰に向けて書かれてるのかよく分からない
 自らがヘナチョコであることをむしろアピール
 内容より文体が気になる
 ある種の“自己啓発本”としてのアナキズム本
 “原発反対・原発事故賛成”と云わなきゃ勝てない
 日本政府が“悪”としてちっとも優秀でないことこそ問題

 その4(原稿用紙換算17枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 “知的生き方文庫”呼ばわり!
 “左翼が暴れる”のは良いが“右翼が暴れる”のは悪い?
 人民は“革命の瞬間の悦び”とかどーでもいい
 “大正時代は良かった”みたいな話にしかなってない
 想定読者が“フツーの人”になったり“左翼”になったり

 その5(原稿用紙換算15枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 “お仲間”のアナキズム論しか読まないアナキスト
 自己承認欲求のツールとしての“アナキズム”
 今度はラノベ呼ばわり
 “今なぜ”とくに暴れにくいのか、という分析がない

 その6(原稿用紙換算19枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 この人はなぜすぐフラレてしまうのか?
 “修羅の国”から来た検閲官は“仁義”に厳しいのである
 “生き方を変えろ”的な話で“権力と闘え”ではない
 “ダメな自分”を克服する努力を放棄するための物云い
 相手に同化を迫るような口説き方
 “あの女のほうが悪いんだ、ボクは間違ってない”

 その7(原稿用紙換算17枚・冒頭5枚分は無料で読めます)
 すべて“生き方”論に流し込まれて終わっちゃう
 外山のかつての“自由恋愛論”とどこが違う?
 人はこうして東浩紀化する!?
 無自覚なジャコバン主義

 その8(原稿用紙換算17枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 これじゃあギロチン社の人たちはまるで栗原康の同類
 “アナキズム”に興味がない人にその魅力を伝えなきゃ
 名探偵・外山恒一の冒険(謎は解けた!)
 ブルーハーツから長渕へ、という流れ

 その9(原稿用紙換算18枚・冒頭6枚分は無料で読めます)
 “長渕の人”が“アナキズム”に入れこんじゃうとこうなる
 “階級脱落者”こそが蜂起の主体となる
 矢部史郎ならムチャクチャな主張もマジメに書く
 反原連への反感の表明だけでロジカルな批判がない

 その10(原稿用紙換算15枚・冒頭5枚分は無料で読めます)
 “暴れられない”のは意志や決意の問題ではない
 狭い共同体の中だけでモノを考えてる“土人アナキスト”
 「あばれる力」をむしろ奪う本


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