反共ファシストによるマルクス主義入門・その11

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

  「その10」から続く〉
  〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2014年夏から毎年、学生の長期休暇に合わせて福岡で開催している10日間合宿(初期は1週間合宿)のためのテキストとして2016年夏に執筆し、紙版『人民の敵』第23号から第26号にかけて掲載したものである。
 ともかく、これさえ読んでおけば(古典的)マルクス主義については大体のことは押さえられるという、我ながら良い入門書ではある。

 性質上、他人の本からの引用部分も多い(とくにこの第11部と次の第12部は『共産党宣言』からの引用がやたら多い)のだが、面倒なのでそういった部分も含めて、これまでどおり機械的に「400字詰め原稿用紙1枚分10円」で料金設定する。とにかく“これだけで大抵のことは分かる”素晴らしい内容なんだから、許せ。
 第11部は原稿用紙25枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその8枚分も含む。

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   15.『共産党宣言』(承前)

 1848年に共産主義者同盟の綱領として「共産党宣言」が書かれる以前に、1847年、前身の正義者同盟の綱領草案としてエンゲルスによって問答形式の「共産主義の原理」が書かれている。

 問1 共産主義とはなにか?
 答 共産主義とは、プロレタリアートの解放のための諸条件についての学説である。
 問2 プロレタリアートとはなにか?
 答 プロレタリアートとは、労働を売ることだけによって自分の生活をささえ、資本によって生み出された利潤によっては、自分の生活をささえていない社会的階級のことをいう。プロレタリアートの禍福、その生き死に、総じて彼らの全生存は、労働に対する需要のあるなし、したがって景気の良し悪しや、制御することのできない景気の変動によって左右される。ひとことでいえば、プロレタリアートまたはプロレタリア階級とは19世紀における労働者階級のことなのである。
 問3 それでは、プロレタリアートは、これまでいつでもいたというわけではないのか?
 答 そうだ。貧しい人々や労働する階級はいつでも存在していた。労働する階級は、大部分が貧乏であった。しかし、いまいったような状態で生活していた貧乏人、労働者、すなわちプロレタリアというものは、いつでもいたわけではない。それはちょうど、競争がいつでも自由で、無制限であったわけではなかったのと同じことである。
 問4 プロレタリアートは、どのようにして発生してきたものか?
 答 プロレタリアートは産業革命によって発生した。産業革命は18世紀の後半にイギリスでまず起こり、そのあと世界中のあらゆる文明国でつぎつぎに起こった。この産業革命は、蒸気機関や、さまざまな紡績機械や、力織機、その他膨大な数の機械装置が発明されたことによってひき起こされた。これらの機械は高価なものであり、したがって、大資本を持った者だけが備えつけることができた。機械の導入はこれまでの生産の方法を完全に変えてしまい、これまでの労働者を追い払ってしまった。機械は、職人的な労働者が不完全な紡ぎ車や手織り機でつくるよりは、安価で良質な商品をつくりだすことができたからである。こうして、これらの機械は、工業を完全に大資本家の手にひきわたし、職人的な労働者が持っていたわずかな財産(道具、手織り機、等々)をまったく無用のものにした。
 問7 プロレタリアは、どういう点で奴隷とちがうか?
 答 奴隷は一度売られたらもうそれまでである。プロレタリアは、時間ごとに日ごとに、自分の労働を売らなくてはならない。奴隷ひとりひとりは、主人の直接の財産で、たとえどんなにみじめな生存の仕方をしていたにしろ、この奴隷所有者の利益という点だけから言っても、とにかく生きることは保証されている。しかし、プロレタリアひとりひとりは、いわばブルジョア階級全体の所有物であって、プロレタリアが依存するブルジョア階級が必要とするときにだけ自分の労働を買いとられるのであって、ひとりひとりにはなんら生存の保証もない。この生存は、プロレタリア階級全体として保証されているだけである。奴隷は競争から除外されているが、プロレタリアは競争のなかで、競争のあらゆる変動を身に感じる。奴隷は一個の物とみなされていて、市民社会の一員とはみとめられないが、プロレタリアは一個の人間として、市民社会の一員としてみとめられている。奴隷は、プロレタリアよりもよい生存の条件を保証されることもあるが、プロレタリアは、とにかく、奴隷よりは社会のより高度な発展の段階の産物である。奴隷がみずからを解放するためには、すべての私的所有関係のなかで奴隷関係だけを廃止し、これによってみずからプロレタリアになればよいのだが、プロレタリアは、私的所有一般をなくすことによってはじめて解放されうるのだ。
 問16 平和的な方法で、私的所有が廃止できるだろうか?
 答 それはいちばん望ましいことである。共産主義者は世界中でいちばん強く、平和的な解決を主張するものだ。共産主義者は、あらゆる陰謀は無益なばかりか、むしろ有害でさえあることを知りすぎるほど知っている。また、革命というものは、故意に、また思いつきで起こされるものではなく、いかなる場所、いかなる時代にあっても、個々の党派とか諸階級の意志や指導にまったく左右されない情勢の、必然的な結果として起こるということをも、共産主義者は知りすぎるほど知っている。しかし、共産主義者はまた、ほとんどすべての文明国で、プロレタリアの成長は力によっておさえつけられていること、そしてまた、共産主義の反対者が革命を遠ざけることに全力を投入していることも、よく知っている。このために、抑圧されているプロレタリアートがついに革命を起こさざるを得なくなったときには、我々共産主義者は、プロレタリアの正義のために結集し、いま言葉でもって主張していることを、即座に実行に移すであろう。
 問17 一挙に私的所有の廃止ができるだろうか?
 答 いや、できない。それは、いま現にある生産力を、共同社会をきずき始めるために必要な程度にまで一挙に、何倍にもふやせないのと同じ様に不可能なことであろう。プロレタリア革命の可能性は深まりつつあるが、それはこのような理由から、現にある社会をじょじょに変革することによってのみ可能である。そのための生産手段が十分につくりだされたときにはじめて、私的所有を廃止することができる。

 資本主義社会での「搾取」が巧妙なのは、それが一見して「等価交換」と見えるところにある。労働者は自由意思で資本家と契約を結び、自分が資本家に提供した労働力に相当する額を賃金として受け取っているかに見える。賃金の額に不満ならそこで働かない自由もあるのであって、労働者たちは決して当人の意に反して強制労働をさせられているわけではない。しかし、生産手段を所有していない者は、結局は生産手段を所有している者に雇ってもらう以外になく、雇われれば必ず剰余労働が発生し、剰余価値分を搾取される。働かない自由とは飢える自由でしかない。

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 1848年の『共産党宣言』は、「1つの妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪が」という巻頭言の書き出しで殊に有名だが、本文の書き出しである「今日まであらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」というフレーズもよく知られている。マルクスとエンゲルスは、過去のさまざまな“働く階級”(古代の奴隷や、中世の農奴や職人、そして産業革命以前の初期資本主義における工場制手工業の労働者など)と近代的な労働者階級すなわちプロレタリアートとの違いを説明し、また資本主義の進展に伴って社会の全成員がブルジョアとプロレタリアの2大階級へと分断整理されていき、これは人類史における最後の階級対立であって、プロレタリアの団結によってブルジョアの支配を打倒することで、数千年続いた階級社会はついに最終的に終焉することを述べる。『共産党宣言』の末尾は、「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」の一文で締めくくられる。

 「マルクス主義」が強い影響力を持ったのは、とくに『共産党宣言』などによって、資本主義社会の始まりと展開、そして終焉を“必然的”なものとして描き出したためである。

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