90年代後半の東北大ノンセクト?自治寮委員長に徹底インタビュー(その5)

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 「その4」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 松本勝巳氏は74年生まれで、長崎県佐世保市の高校を卒業後、1浪を経て94年に東北大に入学し、まもなく、いわゆる“自治寮”である「日就寮」を拠点とする熱心な学生運動家の1人となる。95年には寮委員長も務めている。99年に卒業し、就職で福岡市に移住した。

 インタビューは2017年1月20日におこなわれ、紙版『人民の敵』第28号に掲載された。
 第5部は原稿用紙換算23枚分、うち冒頭8枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその8枚分も含む。

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 急速に日就寮の“熱心な活動家”になる

外山 時系列の話は、入学して間もない頃の『共産党宣言』の学習会まで進んでたけど、そこからはもう、急速に日就寮の中でも“熱心な活動家”の1人になっていくの?

松本 寮生総会という、Ⅰ期、Ⅱ期、Ⅲ期それぞれの始めと終わりに開かれる、その期の方針と総括を話し合う場なんだけど、よっぽどの理由がない限りは寮生全員参加で、理由もなく欠席すると糾弾されるぐらいの(笑)。オレが入寮した最初の寮生総会は、当然その直前に敗北した“食堂闘争”の総括が一番大きな議題で、みんなガクーッとなってた。オレらの入寮前の総会で寮委員会が出してきた総括の文章が、「これじゃ総括になってない」って批判されて、「書き直せ!」ってことで改めて再度、総括のための寮生総会が開かれたらしいんだけど、その2回目の総会でも、みんなシーンとして重苦しい雰囲気だったみたい。
 やがて、寮委員会だけではきちんとした総括ができないようだから、寮生全員で総括パンフを作ろうって話になったらしく、“総括パンフ作成委員会”というのが立ち上げられていて、オレが参加した最初の寮生総会で、新入生の“94”の連中もできればその委員会に参加してほしいと云われたんだよね。やる気がある人は挙手してくださいと云うから、これは断乎やらなければと思って(笑)、それに参加した。入寮直後の仮の部屋割りで一緒になってた同じ新入生の奴も、「じゃあオレも」って感じで手を挙げて、つまり1年生からも2人参加することになったんだ。そういうことがあって、「今年はやる気のある奴が入寮してきたぞ」って期待されたんだけど、時間が経つにつれて、「こんなに使えねえ奴だったとは」ってボロクソに云われる(笑)。
 ……それでまあ、総括パンフ作成委員会の会議に毎回出席するようになるんだけど、寮生のレベルも落ちてて、総括するって云っても何をどう書けばいいのか、誰もよく分からないんだよ。「団交を拒否する学生部長・吉田は許せない!」ぐらいのことしか書けない(笑)。ラチが明かないんで、そういえば昔、“負担「区分」闘争”が敗北した時に作られた総括パンフってのがあったぞと云い出して、それを参考にしようってことで引っぱり出して読んでみると、やっぱり昔の学生はすごいんだ。中教審の最終答申の分析から始まって、日共民青への批判があって、壮大なスケールで滔々と論じられてる。

外山 なるほど総括ってのはこういうふうにやるのか、と(笑)。

松本 とくに中教審批判の部分は鳥肌モノだった。それを読んで、オレの高校生活が灰色だった理由も全部分かった気がしたよ(笑)。つまり企業に必要な人材を育成するためだけの“差別・選別教育”がおこなわれていたんだ、って。

外山 謎はすべて解かれた(笑)。

松本 “黄パンフ”って呼ばれてた、「生活を闘争に、闘争を生活に」ってサブタイトルのついた黄色いパンフレットだったけど、それまで存在だけが知られてて、“食堂闘争”総括の参考資料にしようって話になるまでは誰も読んでなかったんだ。日共民青批判の部分もすごかったな。

外山 「共産党ってのはこんなに悪い奴らだったのか!」ってことも理解(笑)。

松本 ただそこで書かれてた日共批判は、十九全総以降の中核派にそのまま当てはまりそうな話なんだけどさ(笑)。“社共に代わる労働者政党の建設を!”とか云ってるけど、その結果として社共と同じようになったんじゃ意味ないだろっていう(笑)。


 中核派の筆頭オルグ対象

外山 そういう“中核派への疑問”というのは……いつ頃から芽生えるの?(笑)

松本 もちろん当初はかなりハマりまくってたんだけど、さすがに人を殺したりするのはちょっと……ってところで一線を引いてたぐらいのもので。

外山 内ゲバさえなければ、と。

松本 それでもどこかにミサイルを飛ばしたっていう中核派の“軍報”が寮内に配られると、オレに限らず結構みんな盛り上がってたよ(笑)。

外山 まだギリギリそういうことがたまにあったぐらいの時期か……。たしかに94年ぐらいまでは中核派も三里塚関係ではまだミサイルを飛ばしてた気がする。“皇居にロケット弾”とかはせいぜい91、92年ぐらいまでだと思うけど。

松本 だからそういう路線を95年に捨てちゃった。

外山 でもさっきから話を聞いてると、松本君も中核派に入ってても全然おかしくない感じじゃん。

松本 実際オレが東北大では筆頭のオルグ対象だったみたいだしね。

外山 そりゃそうだろう(笑)。

松本 96年ぐらいまでは、「コイツは全然ダメだ。使えねえ」って評価だったらしいんだけど、それでも寮で2回同室になった中核派の1人は、「なぜ松本君が中核派じゃないのか、まったく理解できん」とその時期も中核派の中で云い続けてたみたい。そのうちオレも中核派の“クラス入り”だとか朝ビラだとかを一緒にやるようになって……それ以前は、オレが入寮した時の寮委員長だった人と、あと例の“はぐれ中核派”の人と、あとオレの3人で川内キャンパス内をデモして、学食とかにも入っていったりしてた。

外山 それは何を掲げてのデモなの?

松本 あんまり内容はないんだけど……。

外山 単に「闘うぞ!」的な?(笑)

松本 「朝鮮侵略戦争を阻止するぞ!」ぐらいのことかな。

外山 で、“3人デモ”を(笑)。

松本 他の寮生も誘って、多い時は7、8人ぐらいにもなるけど、それでも“1列”にしかならない(笑)。

外山 それは何年ぐらい?

松本 94年とか。

外山 じゃあやっぱり1年生の段階で完全に“活動家”になってるんだね。

松本 後で中核派に本格的にオルグされる時に、「あの時の君たちの“3人デモ”が、現在の闘いにつながってるんだ」って妙に“評価”されたりした(笑)。

外山 中核派に入ろうと思ったことは結局ないの?

松本 “13時間オルグ”を受けた時はさすがに……。

外山 それはいつ頃?

松本 97年の新歓の頃だったと思う。


 新入寮生歓迎企画を成功させる

松本 そもそもその前年の96年の新歓は大失敗して、新入寮生のほとんどがあっというまに退寮しちゃったんだよ。寮委員会に新歓を全部任せてたんだけど、もともとあんまり活動的ではないメンバーで構成されてて、自分が確信できてないのにオルグなんて無理だから、ルーティンに一連の新歓行事をやってしまってさ。新入寮生なんて最初から問題意識が高いわけないんで、放っといちゃダメなんだけど、他の寮生も新歓には無関心になってたし、オレもその時期はちょうどバイトに明け暮れてて、たまに反原発の会合に出るとか以外は運動に、とくに寮内のことにはほとんど関わってなかったんだ。
 とにかくそういう失敗をして、やっぱり新歓活動は寮委員会に任せっきりにせず、全寮的に取り組まなきゃいけないという話になった。オレの入寮時の寮委員長だった人が“新歓委員会”の委員長、オレが副委員長で、他の寮生たちもみんな96年の失敗で危機感は持ってて協力的だったし、結果としては97年の新歓は大成功。

外山 それで「なかなかデキる奴だ」ってことになって、中核派にいよいよロックオンされるの?

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