2007〜2011、日本で起きた知られざるスクウォット(建物占拠)闘争(その4)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その3」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 ※当記事はもともと有料記事でしたが、スポンサーがついたので無料公開に切り替えます。「多くの人に読ませたい良い記事なので、私が丸ごと高額で買い上げるから、無料公開としてほしい」という奇特な方が現れたわけです。すでに有料で買ったという方には心苦しいんですが……。

 インタビューは2015年12月30日におこなわれ、紙版『人民の敵』第16号に掲載された。

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 いよいよ“海のピラミッド”再建に着手

外山 西港や“ピラミッド”(後註.「その3」有料部分で解説しているように、熊本県・三角半島の突端エリア。三角西港は、このインタビューで語られている一連の騒動後の、2015年に「明治日本の産業革命遺産」8エリア23ヶ所の1つとして世界遺産登録され、“海のピラミッド”はそのすぐ近くの三角東港に建っている)でいろんなイベントをやって、沖合数百メートルの島に巨大カジノを作り、その間の海に実物大の大和を浮かべ……というワケの分からない構想ですが(笑)、市長はどういう反応だったんですか?

有川 市長としては、うまく行くんなら何でもいいんだ。私の話も、すぐにそんな巨大事業なんか始められるわけないし、あくまでそういう壮大な方向性を念頭に置いた上で、とりあえず今の予算でやれることから始めましょう、ってことでしかないし。だけどそういう、夢が膨らむ大構想を前提に小さなことから始めるのと、ただ単に小さなことをチマチマやるのとでは、モチベーションから何から違ってくる。

外山 実際に“ピラミッド”に機材とか搬入して、いろいろ始めるのはいつからですか?

有川 06年のうちに、年末(12月23日)にまず“幻灯祭”ってのをやった。さっそく2千人ぐらい集まったよ。使った予算は30万円ぐらい。30万で2千人集めて、NHKも各民放もテレビで放送したんだから、“ピラミッド”のPR第1弾としては、ものすごく安上がりでしょう。

外山 具体的には何をしたんですか?

有川 “ピラミッド”の中にロウソクを並べただけですよ(笑)。

外山 資料の新聞記事を見ると、「ランタンで彩り」云々とありますけど……。

有川 外にランタンを百個ぐらい並べて、内側には小さいロウソク、1個10円ぐらいのキャンドルをバーッと。内側も円錐の壁沿いに一番上まで、螺旋状の回廊が据えつけてあるでしょ。

外山 外のスロープと比べて、構造的に怖いですよね(笑)。

有川 あそこにキャンドルを3千個ぐらい並べたんだ。

外山 ただそれだけのことで……。

有川 大してお金もかかってない。

外山 それでいきなり2千人も動員したら、市長も「さすがワシが見込んだ男ばい」と?(笑) 予算は市から出たんですか?

有川 九州新幹線(のち11年のまさに“3・11”に全線開業)関連の予算が国交省から県に下りて、それがさらに市に下りてて、その一部から出したみたい。

外山 単に“ピラミッド”を飾りつけるだけじゃなくて、それなりにイベントっぽいこともやったんでしょ? 新聞記事には、合唱団か何かの写真が載ってますね。

有川 聖歌隊かな。実はこの時のメインは、それこそ“結婚式”だったんです。

外山 それは本物の?

有川 たまたま地元の商工会に近く結婚するという人がいて、じゃあそれをこの日に“ピラミッド”の中でやっちゃおう、と(新聞記事によると、結婚式については事前の「幻灯祭」開催告知では一切触れず、当日のサプライズ・イベントとして挙行された模様)。市長は当初、あそこを結婚式場にしてほしいって云ってたわけで、それにとりあえず応えた形だね。


 一家心中事件で市長失脚!

有川 ……そもそも“ピラミッド”を建てた時の、使用目的の1つとして「さまざまなイベントに使う」ってのも入ってたわけで、それが単にフェリー乗り場としてしか使われてこなかったことがおかしいんだ。

外山 せっかく突拍子もない建物をドーンと建てちゃったんですもんね(笑)。

有川 本来想定されていたように我々は使っただけですよ。フェリー乗り場として機能していた時だって、何万人が利用するようなものでもなかったんだし、それだけのために使うんなら小さな事務所がポツンとあれば充分で、あんなバカでかい“うんこタワー”なんか要らない(笑)。やっぱりもっといろいろイベントをやって、町を活性化して、地域発展の拠点として機能するように、ってことが盛り込まれた設計のはずでしょう。だから我々が、まずは“正しい使い方”の例を、しかも大したお金もかけずに提示してみせたわけです。公務員ってバカだよな、ってことを証明したとも云えるんで、やっぱり恨みも買うんだよな(笑)。

外山 「余計なことをしやがって」と快く思わない人たちも、役人や有力者たちの中にはいたんでしょうけど、それでも阿曽田さんが市長でいる間は、そういう声を抑え込んでくれてたんでしょ?

有川 いや、ターニング・ポイントはもっと手前にあるんだ。三角港で一家心中事件が起きるんです。“ピラミッド”をいよいよクラブとして使い始めて1年ぐらい経ったあたりかな、それも資料にあるはずなんだけど……。

外山 ああ、これか。「三角港 家族7人乗り車 海転落」「2人死亡、4人も心配停止」「中学生男子脱出」と。

有川 現場は“ピラミッド”のすぐそば。……この話の何がヒドいって、心中の原因は税金の差し押さえだったんだよ。心中を思い立った父親は、車での移動販売の形で、たこ焼きとかアイスクリームとか売ってた人なの。だけど市税滞納で、宇城市がその移動販売用の車を差し押さえちゃった。商売道具を差し押さえられちゃったら、どうしようもなくなるでしょ。それで絶望したみたい。
 そういう経緯が分かると、マスコミが騒いで、差し押さえられた車の、車輪をロックされて使えなくされてる写真とかも流して、市の責任を追及し始めたんだよね。トップはやっぱり市長だから、市長が叩かれる。もちろん市長がそんな個別の案件についていちいち指図してるわけもなくて、現場の役人の判断で差し押さえしたんだろうけど、たしかにヒドい話だし、市の責任が追及されて、市長がその矢面に立たされるのは仕方ないんだけどさ。税金の苛烈な取り立てで、市民を殺しちゃったんだもん。ヤクザよりヒドいよ。全国ニュースになってたよ。まあそれで、市長が凋落する。

外山 発言力を失うというか……。

有川 政治力がなくなっちゃうよね。求心力を失う。いつの事件だったかな、クラブ営業を始めて1周年とかの頃。

外山 新聞記事には「二十六日午後八時五十分ごろ」とあるだけですが……。

有川 (別の資料を見て)これだこれだ、08年5月26日。亡くなった父親ってのが、実は我々の“ピラミッド”活性化にもいろいろ協力的だった人で、顔見知りでもあったんです。

外山 「亡くなったIさんはイベント開催にも好意的で、逆風の中、苦戦する僕らに『応援するからがんばんなっせ』と言ってくれる人達の中の一人でした。大規模なイベントの時にはたこ焼きを売りに来てくれました」って書いてありますね。そりゃあこういう商売の人なら、若者がいっぱい集まるイベントを三角みたいな田舎で毎週開催してくれるっていうのは大歓迎でしょう。

有川 そもそもクラブ営業を始める時に、市長室で市長に迫ったんだよ。「このまま何もしなければ、町はもっと寂れて、首を縊る人が出ますよ」、クラブ営業をやるって案を提示して、「で、やるんですか? やらないんですか?」と云って、まあ、脅したの(笑)。市長が「やる」って云うなら協力するし、やらないんなら我々は撤退するけど、死人が出ますよ、って。それが云ったとおりになったわけだ。しかも手を下したのは市役所だっていう形で。最悪だよね。実際、“ピラミッド”のイベントが軌道に乗れば周辺も活性化するだろうし、この人もすでにたこ焼きを売りに来てたんだもん。なのにその販売車を市が差し押さえちゃった。キチガイというか、外道だよ。


 「カネは出せないけど何かやってくれ」でクラブ開業

外山 資料によれば、クラブ営業の開始から1年ぐらい経ったところでこの心中事件が起き、だけどその数ヶ月後、08年の秋ぐらいから、何百人も集まるようなイベントがポツポツ出てくるようになりますね。……結婚式もやった「幻灯祭」の後、クラブ営業を始めるまでにはブランクもあるんでしょ?

有川 「幻灯祭」が06年12月23日で、2千人も集めたわけだし、やろうと思えば可能性があることは分かったでしょうって、いったん向こうに投げたというか、戻した。年末の地元の飲み会で、他にもいろいろアイデアだけ示して、あとは地元の人たちでやってみませんか、と。その場では「やりましょう」って話になって、「頑張ろう!」って一本締めとかしてたけど、しばらく経っても誰も動き始める人がいなくて、「またお願いできませんか?」って、翌07年の2月だか3月だか、市長がまた云ってきた。県にかけ合って予算を取るから、と市長は云ってたんだけど、結局県は出してくれなくてさ、最終的には「カネは出せないけど何かやってくれ」っていうムチャクチャな話だよ(笑)。で、こっちとしては消極的な選択として、クラブでもやるしかないだろう、ということになった。“ジャマイカ化計画”を全部やっちゃうには予算何千万とかでもムリだけど、クラブを開業するぐらいだったらね。そもそも“ピラミッド”の活用法として、音楽ホールにしたらどうですかって案も提示してたんだ。だけど音響とかを考えて本格的に改装するとなると、やっぱり数千万はかかるんだよ。クラブとして使える程度に改装するだけなら、そこまでの投資は必要ない。

外山 純粋に音楽を聴く空間としては、やっぱり使いにくいんじゃないかな。コンクリートのだだっ広い円錐状の空間だし、音が反響しすぎる上に、反響の仕方も複雑でしょう。

有川 うん。本格的に音楽ホールとして使うには、吸音板を設置したり、かなりいろいろやらなきゃいけない。

外山 そもそもやっぱり使いづらい空間なんだよなあ。なんであんなの作ったんだ(笑)。

有川 ただそこまでこだわらなければ、クラブ・イベントぐらいには使えるんだよ。音響にメチャクチャこだわる人とかだと「使えない」って云うだろうけど、逆にそういう人たちの中にも、面白いと思ってくれるような人もいなくはない。もちろん数千万の予算が出るなら本格的に改装するけど、カネは出さないって云うんだからさ(笑)。だったらこっちも提示できる案が限られてきますよ、クラブならやれますよ、と。クラブなら初期投資はせいぜい数百万、抑えようと思えばもっと抑えられるし、実際には百万ぐらいに抑えたかな。とにかく、「クラブだったらやるけど、どうしますか? このまま無策で町が寂れるのを放置して、人が死んでもいいんですか?」って市長を脅したわけだね(笑)。

外山 で、いよいよクラブ営業を始めるのは……。

有川 07年の6月23日。準備にかけたのは正味1ヶ月ぐらい。

外山 でしたよね。ぼくが都知事選をやって、熊本市議選をやって、一段落したぐらいのところで話が急に動き始めた印象。

有川 Sさん(クラブ営業の初期の中心的スタッフの1人。有川氏らが94年頃、エイズ問題啓発イベントを計画していた時にそのスタッフに志願してきたシステム・エンジニアの青年で、以来うっすらと外山とも面識があり、04年、外山が“2年間の獄中生活”を終えて出所する際に有川氏と共に外山を福岡刑務所まで出迎えに来てくれた3人のうちの1人でさえあるのだが、まもなく今度は入れ替わりに、ネットを使った詐欺事件でフツーの刑事犯として逮捕され、外山もその刑を軽減させるために裁判過程での諸々の工作に奔走した)が出所する時、小倉の刑務所まで一緒に迎えに行ったでしょ? 現場の仕切りを任せられる、しかも当面ヒマな人が身近に帰ってきたわけだし(笑)、あそこからが本格的なスタート。

外山 ああ、あれが07年の5月ぐらいでしたっけ? だけどその後すぐ今度はぼくが原付の交通違反で捕まって、Sさんとシャバで会う機会が少ないなあと思った(笑)。“ピラミッド”をクラブにする計画が本格的に進む過程で6月中旬に捕まって、ちょうど1ヶ月ぐらいして釈放されて出てきたら、もう営業が始まってたんだな。

有川 だからやっぱり準備も1ヶ月ぐらいだったんだよ。“墨俣一夜城”みたいに、突貫工事であの巨大なクラブを誕生させた(笑)。予算も少ないし、人員も少ないのに、我ながら感心だ。


 “話が違うじゃないか”ってことばっかり

外山 それからは毎週のように開けてましたよね?

有川 毎週土曜日にやってた。オープニングの日は、さんざん宣伝も打ったし、フェリー廃止で今後が危ぶまれてた建物がクラブに生まれ変わったというんでマスコミも取り上げたし、150人ぐらい来たね。だけど毎週続けてると、そうすぐに軌道に乗るわけでもないし(資料によれば、07年中は、稀に百人を超えるものの、だいたい40〜80人の間で推移している)、いろいろ風当たりも出てくる。文句を云ってくる連中って、要は“総論賛成、各論反対”みたいなことなんだよな。

外山 どういう文句を云ってくるんですか?

有川 やっぱり夜中じゅう音を出してるし、“ピラミッド”の界隈を若者が徘徊するようになるし、市役所に苦情を云ってくる奴もいるんでしょう。

外山 夜中まで音を出す、というのは?

有川 防音工事はしてるから、音よりも、夜中にヨソから来た若者がウロウロしてるってことの方だろうけどね。とにかく公務員は、メンドくさいことをイヤがるんだ。さっきの、結局心中しちゃったような人は、何かやって地元に人を呼んでほしいんだよ。だけど人が集まれば問題が起きるかもしれないし、何も起きなくても、起きるかもしれないと不安を訴える奴も出てくる。何もしなきゃそういうこともないわけで、公務員は何もやらないことを良しとするんだね。……住民にも温度差があるでしょ? 地元で商売をやってる人は、地元に人が来てほしい。だけど単にベッドタウンとして三角に住んでて、仕事は熊本市とか、都市部に働きに出てる人にとっては、地元は静かな方がいいし、ましてヨソから得体の知れない若者たちなんか呼び寄せてほしくないわけだ。“地元を活性化させましょう”ってことに反対する人はいないよ。でも具体的に何かをやり始めると、それが何であっても誰か文句を云う奴が出てくる。そこらへんの利害を調整することなんか不可能で、力を持った奴が反対意見を抑える以外に解決法はない。やっぱり民主主義はダメなんだ。一種の“開発独裁”みたいなことをやらないと、みんなの意見を聞いてどこからも文句が出ないようにしてたら、何もできない

外山 「入場無料」って書いてありますけど、運営費はどうやって賄ってたんですか? 市からは援助がないんでしょ?

有川 1銭もない(笑)。入場は無料なんだけど、ドリンクを1杯5百円で売ってて、それで運営してた。スタッフの人件費なんかも、全部ドリンク代で賄ってる。

外山 つまり形式的には、“海のピラミッド”という公共の建物に、テナントとして有川さんたち民間の業者が入ってクラブを運営してるような体裁になってたんですか?

有川 それも当初は「タダで使っていいよ」って話だったんですけどね(笑)。たしかに最初のうちはタダで使ってたけど、すぐに「やっぱり使用料を払ってくれ」って云い出して……。

外山 “話が違うじゃないか”ってことばっかりだ(笑)。そもそも向こうから「町のために一肌脱いでくれないか」みたいな話だったはずなのに、いざとなると予算は出さないわ、逆にカネを払えと云い出すわ……スタッフも全部こっちで揃えて、回転資金もドリンク代で自力救済、と。

有川 うん。

外山 それでもとにかく毎週やっていくわけですね。

有川 しばらくは、少ない時は20〜30人の時もあったけど、続けてれば認知もされるから、そのうち「使わせてくれ」って云う有名なDJも出てきたりするんです。実際、かなり変わったハコであることは確かだから、興味を持つ人はそりゃ出てくるよ。

外山 最初のうちは、“有川さん選曲”ですか?(笑)

有川 そういう時もあったし(笑)、まあ周りの、DJをやれる人に頼んだりしてました。入るDJによって当然、音楽ジャンルも違うし、ヒップホップだったり、レゲエだったり、トランス、テクノ系だったりする。集客もそれぞれ違うよね。

外山 オープンから約4ヶ月目の、07年10月13日以降は毎週、イベント名がついてますね。この頃から、本職のDJが入り始めるのかな?

有川 年末にはもう、貸し切りというか、そういう人たちに完全に任せる日がほとんどになってた。

 「その5」へ続く〉

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