“選挙に行こう!”運動を叩き潰すための作戦会議・その5

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 〈「その4」から続いてこれで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2015年12月16日におこなわれた東野大地&西南大M氏との座談である(紙版『人民の敵』第17号に掲載された)。したがって基本的には古い話題ばかりであることはお断りしておく。しかし、“古くなっても面白い!”があらゆる外山コンテンツの自慢である。

 東野大地は我々団の党員、「M」君は、当時「西南学院大学アナキズム研究会」の“議長”で、外山が2014年夏以来、年2回のペースで開催している「教養強化合宿」の第1期生でもある。
 第3部は原稿用紙換算19枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含む。

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  みんな“通史”を書きなさい

 ……野間さんのウェブ連載(集英社新書のサイトでおこなわれている笠井潔氏との往復書簡「3・11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ」)はどうですか?

外山 今日だか昨日だかに発表された野間っちの文章(野間氏執筆の連載第2回「雲の人たち」)は、非常に良かった。内容に必ずしも賛同するわけではないけど、野間さんから見た“00年代以降の運動史”がまとめられてて、ぼくも知らない話もたくさんあって勉強にもなったし、あれが野間さんなりの“通史”であって、もっといろんな“通史”がこのかんの運動に関わってきた人たちによってそれぞれ提出されるべきだと思ってるんで、その1つとして貴重だと思う。
 勉強になったというのは例えば、ぼくは「ツイート・ノー・ニュークス」がどういう経緯で出てきたのかは知らなかったからさ。……一方で疑問が解消しない部分もある。野間さんは03年の“イラク反戦”が源流であるかのように書き起こしてるけど、01年の9・11の直後に突然ネット発信のデモが始まって、たしか「チャンス!」とかいう団体で、要するに“アフガン反戦”だよね。それが2年後のイラク反戦とつながってないはずはないんで、そこらへんを書き落としてあるのはかなり不審。イラク反戦の時には「ワールド・ピース・ナウ」って団体になってて、それは野間さんの文章にも当然出てくるけど、「チャンス!」と「ワールド・ピース・ナウ」はノリもそっくりだったし、何らかの継承関係はあるはずなんだ。
 あとまあ、向こうがこっちを“過去の人”扱いするから対抗的に云ってるんだけど、ぼくは野間さんの“中年デビュー”をよくバカにしてるじゃん。でもさすがに実際には3・11が“デビュー”ってわけでもないだろうと薄々思ってて、やっぱりイラク反戦が最初だったんだね。広い意味では“9・11デビュー”組なわけで、それでもぼくより年上の60年代後半の生まれのくせに「遅せーよ!」ってことにはなるけどさ(笑)。
 いずれにせよ“3・11以降”“9・11以降”に出てきた連中にロクなのはいない。ま、今回の野間さんの文章で、“ろくなもんじゃねえ”運動の系譜がちゃんと整理されてて、それはそれで有意義な仕事だ。

  現代サヨクの3潮流

外山 ……ただ“流れ”はたしかに入れ替わりつつあるんだとは思う。「秋の嵐」や「反原発ニューウェーブ」とかの90年前後の諸運動から始まる系譜が、“9・11以降”“3・11以降”には継承されてない。00年代は、“90年”以来の系譜にある「素人の乱」や「フリーター労組」と、“9・11以降”の新潮流とが並行的に存在してたけど、“3・11以降”は“90年”以来の系譜は潰えた。 実はこの点ではぼくと野間さんの認識は一致してて、違いは、ぼくは“9・11以降”の運動をミジンも評価してなくて、野間さんは逆に“90年”以来の系譜を時代遅れのものと見なし、“9・11以降”の運動に乗り越えられた、と考えてるところだね。

 ぼくが時々聴いてるラジオ番組で“シールズ特集”をやってたんですよ。で、シールズのあの特徴的なラップ調のシュプレヒコール、あれの参照先になったラッパーがいるらしくて、そのラッパーの社会運動デビューもイラク反戦だと云ってました。

外山 それってECDでしょ?

 あ、そうです。

外山 「素人の乱」界隈のデモにもわりと初期から参加してたよ。……正確には3つの流れがあるんだ。ヘサヨの流れと、“90年”以来の我々の流れと、現在のシールズに至る“9・11以降”の流れ。それらが並行的にそれぞれ展開して、たまに遭遇すると反発し合ってきた。個々には活動家の移行もあるし、例えば矢部史郎はもともと“90年”派の1人だけど途中からヘサヨに行った、とか。

 “ヘサヨの流れ”っていうのは?

外山 それは要は60年代以来の新左翼ノンセクトの系譜ですよ。

 この20〜30年にも彼らなりの展開があったんですか?

外山 進化は止まってるけど(笑)、存在としてはずっと細々と生き残ってる。ぼくらが暴れてた“90年”前後というのは、まだ大学の内部ではヘサヨの方が主流で、そういうのが残ってる大学はたいてい内ゲバ党派が仕切ってる大学でもあるし、党派を刺激しない程度にシコシコやってたわけです。
 “90年”派(後註.のちに「ドブネズミ系」と総称されるようになる部分)は、大学生ならもう学内の運動なんかに見切りをつけて、高校生は高校中退して大学進学を放棄して、大学の外、つまり原宿ホコ天や電力会社前の路上を新たな運動現場として見いだす。
 だけどこの時に学外に飛び出さずに、百年一日のオーソドックスな新左翼ノンセクトを続けた連中もいるんだね。ぼくらと同世代で、80年代末から90年にかけては目立たなくて、91年に入ってぼくらの運動が退潮するのと入れ替わりに、その層が最初に顕在化した。湾岸戦争の時の反戦運動がそれ。
 あと「秋の嵐」のリーダーだった見津君(見津毅。故人。紙版『人民の敵』第10号の“発掘インタビュー”参照)が、体質的には“90年”派で思想的にはヘサヨっぽい人で(笑)、92、93年からホームレス支援の運動を始めて、そっちにオーソドックスな新左翼ノンセクトの連中がかなり合流してくる。湯浅誠なんかもその1人(後註.『全共闘以後』で解説したように、湯浅氏は、正確には正統派の東大ノンセクトの“近傍”にいた人物)。

 なるほど!

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