外山恒一&藤村修の時事放談2016.12.03「“総しばき隊化”するリベラル派」(その5)

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 「その4」から続き、これにて完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2016年12月3日におこなわれ、紙版『人民の敵』第27号に掲載された対談である。
 第5部は原稿用紙換算22枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読めます。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその7枚分も含みます。

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 野間易通の“相対主義批判”は数周回遅れ

外山 ……ところで相対主義って本来、リベラルなものであるはずだよね。

藤村 そうだよ。だから野間さんはちっともリベラルじゃないんだ。

外山 ヘイトスピーチなんかしてる連中は、むしろ相対主義の対極でしょう。ほんとの相対主義者は、日本人であるとか朝鮮人であるとか、そんなのどうでもいいじゃんって云うはず。

藤村 つまり野間さんは周回遅れなんです。“相対主義批判”なんて、90年代にさんざん繰り返されたこと。

外山 浅羽(通明)を読め、と。

藤村 西部邁もやってたし、小林よしのりもやってた。そういう右寄りの人たちばかりでなく、左派系による(左派の“正義”も相対化されてしまうことへの反論としての)相対主義批判だってたくさんあった。それが今はもうあんまりやる人がいないのは、単に意味ないからだよ(笑)。それぞれに絶対的な価値観を持つ島宇宙がいっぱいあるような状況なんだもん。
 野間さんは、今のようにヘイトスピーチが蔓延するようになったのは、90年代の“何でもアリ”的な相対主義のせいだと思ってるみたいだけど、00年代に入ってこのかた、互いに交渉のない島宇宙の併存状態が空気のように当たり前の状況になってる。別の島宇宙では、趣味嗜好や価値観、ふだん目にするものまで全部違う。だからこそ加藤典洋や竹田青嗣のような、“なんとなく分かるでしょ”的な直感的批評の言葉なんか通用しなくなってる。“なんとなく分かるでしょ”というのは、島宇宙の内側の人どうしで云うぶんには“うん、とてもよく分かる”ってことになるけど、別の島宇宙にいる人にはまったく通用しない。むしろそれぞれの島宇宙の中でしか通用しない原理主義的な絶対的価値がはびこってる状況で……。

外山 野間さんが批判的なレッテルとしてよく“冷笑主義的相対主義”って云うじゃん。野間さんが批判すべきなのは相対主義ではなく冷笑主義のほうだと思うんだ。冷笑主義はたしかにヘイトスピーチの蔓延と関係ある。

藤村 しかし(後註.2016年7月11日の対談イベントで)野間さんが外山君を批判するやり方も、完全に冷笑主義だったよね(笑)。オレにも野間さんが何を云いたいのかさっぱりわからなかったのが……外山君がツイッターで、「桑田圭祐より長渕剛のほうがよかった」って書いたら、なんか野間さんがムキになって突っかかってきたことがあったでしょ?

外山 ああ、そんなこともあった。一昨年だかの紅白でのパフォーマンス評をめぐって……。

藤村 あの時はさすがのオレも野間さんが何を云ってるのかさっぱり分からなかった。あの時も外山君のことを「サブカルどうしようもねーな」とか書いてたけど、そういう云い方がすでに冷笑主義だよ。野間さんがなぜ冷笑主義的な振る舞いをすぐやっちゃうかと云えば、それは野間さんが島宇宙の中の人間だからだ。特定の島宇宙の中にいる人間は、その外にいる人間とのコミュニケーションの仕方が分からないし、そもそもその必要性すら感じていないから、何かのきっかけで接触してしまった時には冷笑主義的に対応することしかできない。彼らには、相手の云うことに耳を傾けてみようという気が一切起こらないんだもん。
 冷笑主義って、相手の話を聞く気がないってことでしょ。だから野間さんの云う“冷笑主義批判”は、そっくりそのまま野間さんに返します、って感じだよね。当たり前だけど野間さんなんかまだマシなほうで、野間一派の連中はみんな冷笑主義者じゃん。それに野間一派は“ろくでなし子”を攻撃してツイッターを炎上させたりしてたけど、べつにそういう振る舞いは野間一派だけのものじゃないんだ。野間さんの嫌いなキモヲタの連中もよくやってる。つまり「しばき隊」とキモヲタ連中は似たようなもんだよ。

外山 “どっちもどっち”である、と(笑)。

藤村 自分がいる島宇宙の外の人間には冷笑的にしか接触できないってのは、もちろん反「しばき隊」の側も一緒。外山君の云うように、もはや「しばき隊」も反「しばき隊」も、“どっちもどっち”という状況になってると思う。しかしそういうふうに評することが、野間さんに云わせれば「相対主義だ!」ってことになっちゃう。


 島宇宙化した社会では冷笑主義が必然的に蔓延する

藤村 我々と野間さんたちとでは、見ている問題が違うんだよ。野間さんは野間さんのいる島宇宙の内側での“正義”に添うか添わないかを問題にしてて、我々は個々の島宇宙を出ることや、社会全体がたくさんの島宇宙で覆い尽くされた状況を打破することを考えてる。

外山 野間さんって、冷笑主義と相対主義をイコールにしてしまってない? そりゃ“冷笑主義的な相対主義”もあるけど、“冷笑主義的ではない相対主義”もあるんであって、後者ならべつにいいじゃん。

藤村 オレの理解では、00年代以降の島宇宙化した世界で、島宇宙同士の共存を肯定しているのが相対主義。一方で、“世間”という島宇宙まで含めて、ある島宇宙に住んでいる者が、住んでいない者を見下して笑うのが冷笑主義。で、「しばき隊」が問題にしてる冷笑主義というのは、デモとかに対して、「そんなことやっても意味ないよ、バカじゃないの?」とかってバカにして笑うような振る舞いのことでしょ。これは“世間”という島宇宙の住人が、デモをやっている人間を笑っているんだから「冷笑主義」で間違いない。
 でも、例えばオタクの多くは、別の例えば“パンク”とかの島宇宙の人たちのことを冷笑したりしないじゃん。単に自分たちとは趣味の違う人たち、自分にはよく分からないことに夢中になってる人たち、ってことでしかない。

外山 自分たちとは関係ないし、とくに関わる必要もない人たちってことだよね。それは向こうからも自分たちのことはそう見えるだろうな、という自覚さえあれば、ある種の健全な相対主義でもある。

藤村 しかしおそらく、社会全体がたくさんの島宇宙に分断されるような状況では、冷笑主義が必然的に蔓延するんだと思うよ。……宮台真司が『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(幻冬舎・14年)という本で、アキバ系つまりオタク系と、渋谷系つまりイケてる系とのヒエラルキーが消失したのは96年のことだと云ってる。昔はオタクなんてのは、いわゆるスクール・カーストの最下層だったでしょ。

外山 渋谷系とアキバ系って、「サブカルチャー」と「サブカル」ってことだよね。

藤村 その両者が等価になった。まさに相対主義が完成したわけだ。渋谷系とアキバ系の差異がなくなったのではなく、差異は厳然としてあるんだけど、渋谷系が上でオタクは下という上下関係が96年に消失した、と。

外山 “96年”というのは何を指標として云ってるの?

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