外山恒一&藤村修の時事放談2016.06.02「“しばき隊リンチ事件”を語る」(その7)

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 「その6」から続き、これにて完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2016年6月2日におこなわれ、紙版『人民の敵』第21号に掲載された対談である。

 対談時点ですでに「しばき隊」は「クラック」と改称しており、対談中では正確に「クラック」の語が主に用いられているが、一般には「しばき隊」の名称のほうが浸透しているから、まず「もくじ」などでおおよその内容を把握したい人の存在を念頭に、小見出しなど本文以外の部分には「しばき隊」の語を用いた。

 第7部は原稿用紙換算23枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読めます。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含みます。

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 ロフトプラスワン、マル共連……90年代サブカルの腐臭

外山 ……『危ない1号』(データハウス・95年創刊。「1号」まで含めて誌名。途中から『危ない28号』と誌名を変えつつ、99年まで不定期に刊行されていたようだ)って雑誌とか知ってる?

藤村 いや、知らない。

外山 グロテスクなものというか悪趣味なものというか、そういうものばっかり扱ってた雑誌。ドラッグとか、殺人とか、あるじゃん、そういうグロテスク趣味、鬼畜趣味って。ああいうのも大嫌いだったんだよな。そのテのものもサブカルの1つのジャンルとして成立してるでしょ。“死体写真”だとかさ。

藤村 あるね。

外山 そういう“趣味”のバリエーションとして“左翼”を云々する流れがあると思うんだ。鳥肌実なんかもそれに近い。何というか、“アブない人たち”を遠巻きに観察して笑いものにしたり、怖いもの見たさというか、覗き見して楽しむような文化。そういうふざけた態度で“左翼”をネタにできるのも、左翼がすっかり凋落して、どんなに嘲笑的に扱おうが、バールで襲ってきたりしないだろうって安心感があるからだけどさ。
 そういう“趣味”の連中って、本人は少数派でマニアックなセンスの持ち主だと思い込んでるんだろうけど、そんなもん典型的な多数派のメンタリティでしょ。反撃してこないと分かってる相手をからかって楽しむっていう、単なる“いじめ”のノリにすぎない。まさに“堕落したサブカル”だよ。

藤村 その“危ないナントカ”って雑誌は、出版元はどこだったの?

外山 知らない(前述)。

藤村 まだ出てる?

外山 もう出てないんじゃないかな。……あ、あれに近いよ、『GON!』って雑誌(94年創刊・ミリオン出版。現在も発行されている『実話ナックルズ』の前身)。

藤村 ああ、一時期ああいうの、ほんとにたくさん売られてたね。90年代の後半ぐらいかな?

外山 半ばから後半にかけて。……そうそう、さっきからぼくが云わんとしてる流れの典型的なやつが“ロフトプラスワン”だよ。

藤村 なるほど!

外山 それで当時、鹿島拾市を首班とする、ぼくらラジカル陣営の少数派青年たちは、ロフトプラスワンへの嫌悪感を声高に叫んでいたんですけどね(笑)。あんなもの単に、もはやすっかり“過激”でも“危険”でもなくなった左右の元“過激派”たちを演壇に上げて、珍獣を見るようにして酒の肴にするっていう、シニシズム文化の最たるものだもん。

藤村 さっきから外山君が云ってるのは、つまり“冷笑主義の系譜”だね。

外山 うん。“宝島”系よりコアなサブカルの潮流があって、それは『ガロ』的なものと親和性があると思う。……あと“マル共連”だよ。あれも大嫌いだった。

藤村 “共産趣味者”ってやつか、ネット上の。

外山 ロフトプラスワンにせよマル共連にせよ、自分たちが冷笑の対象にされてることに気づかずに接近する左翼もたくさんいたし、ぼくだって次第にそういうものと無縁ではいられなくなってしまったけどさ。

藤村 オレはそういうのと縁遠かったからよく知らないんだけど、“共産趣味”とか云ってる人たちって、うっすらとであれ左翼的な価値観を持ってるんじゃないの?

外山 そこは微妙。ロフトの平野(悠)社長だって、当人には冷笑主義の自覚はないと思うし(笑)。マル共連を始めた人たちも、たしか元活動家だったと思う。「秋の嵐」の周辺に出没してたと聞いたことがある。ただ、運動に挫折した結果、ヘンにこじらせてシニシズムに走ってしまう
 “内ゲバ”とか“爆弾闘争”を一種のグロテスク趣味や鬼畜趣味、残酷趣味、要は“アブないもの”としてネタにするような冊子を90年前後にコミケで売ってた人たちが、やがてマル共連のサイトを立ち上げたらしい。……こういうノリのことをさっきから云ってるんだ(と、宝島社『左翼はどこへ行ったのか!』08年、の表紙を見せる)。

藤村 あ、これは完全にバカにしてるね。

外山 この本は、中身はそこそこちゃんとしてるんだけどね。あくまで表紙のイラストを“グロテスク趣味”的な覗き見視線での扱いの例に挙げてるだけで。……鳥肌実の右翼への受容のされ方にも、左翼がロフトプラスワンを受容したのと同じような勘違いがあると思う。
 鳥肌実の芸って、右翼を“アブないもの”としてお笑いのネタにしていじってるだけでしょ。当人は右翼でも何でもない(後註.鳥肌実の“その後”のベタな右傾化ぶりはまた別の話)。冷笑主義的に“右翼”を笑いものにしてるだけ。鳥肌実とシニシズムを共有してるサブカル連中と、実はバカにされてることが分かってない右翼が、鳥肌実イベントの客席に半々ぐらいで同居してる。鳥肌実が右翼にテロられないってことが、右翼がすっかりダメになってる証拠だと思うよ(笑)。

藤村 右翼は自分がバカにされることをそんなに怒らないけどね。

外山 それはそれで右翼の美学だろうけど、バカにされてることに気づいてもいないのは情けないでしょう。

藤村 それはそうだ。


 彼らが最初にオウムを攻撃した時……

藤村 ……外山君は、オウム事件を契機に“マジメ”を茶化す文化が生まれたって云ってるの?

外山 いや、そういう志向はそもそもポストモダン思想やサブカルチャーの中に最初から備わってるんだけど、初期においては、そういう振るまい自体がかなり覚悟のいるものだったはずなんだ。マジメな人たちを茶化したら怒られるし、ヘタすると鉄パイプやバールで襲撃される(笑)。ところが“マジメな連中”がすっかり圧倒的少数派に転落すると、単なる“いじめ”としてそういう振るまいを楽しめるようになるわけでしょ。それが90年代。

藤村 オウム事件で決定的になった?

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