森元斎『アナキズム入門』“検閲”読書会(2017.3.19)その3

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その2」から続いてこれで完結だが、別途“後日談”もある〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2017年3月19日におこなわれた、森元斎の『アナキズム入門』(ちくま新書・2017年3月)を熟読する読書会のテープ起こしである。
 森元斎の『アナキズム入門』の現物を入手して、途中ことわり書きが挟まるように、例えば「第一章・黙読タイム」などのところでまず当該の章を自分でも黙読してから読み進む、というのが一番タメになる読み方である。

 第2部は原稿用紙22枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその6枚分も含む。

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 見たくないことは見ない御都合主義的アナキズム

 (「第五章 戦争──暴れん坊マフノ」黙読タイム)

外山 よろしいでしょうか? では何かあれば……。しかし全体的に、何か重要なことがゴマカされてる印象が濃厚な章でしたね(笑)。

山本 この章の冒頭でマフノがブルジョアを相手にやってることと、やがてボルシェビキがマフノに対してやることは、同じじゃないですか?(笑)

外山 そうだよなあ。……例えばラスト近くの250ページに、マフノ軍の実効支配地域で“自由な教育”を実施する、そういう教育システムを人民が“自主的に”組織していく話が出てくるけど、このこと自体を保障する暴力装置が必要で、それがマフノ軍なわけでしょ。マフノ軍という暴力による強制力なしには、こういう試みが可能な空間を維持することができない。で、250ページの4行目にあるとおり、従来の非自由主義的な教育方法はマフノ軍によって「即座に禁止」されるわけだ(笑)。そういう強制力、つまり“権力”がマフノ軍にはある、ということに他ならないよね。そういうことに関してあまりにも無邪気な書きっぷりだよ。
 この章の最初のほうには『必殺仕置人』の話も出てきたけど、仕置人たちの「合議制の下」で「悪人を次々やっつけていく」こと、「元締めがいない」、「自律的な彼らの合議体による決定によって、仕置きがなされる」ことを何か素晴らしいことのように書いてる。たしかにいくぶん理想的な状態かもしれないけど、要は“民主的なヤクザ”にすぎないじゃん(笑)。こういう“民主的なヤクザ”を肯定してもいいし、それを“国家”と呼んでも呼ばなくてもいいけど、何であれこういう強制力の存在を正当化する“国家論”なり“政府論”なり“組織論”なりが構築されなきゃいけないはずなのに、それは放ったらかしになってるんだ。結局、見たくないことは見ないという、ゴマカしまくりの文章であるとしか云いようがない。


 これがアナキズムならボルシェヴィキに虐殺されてろ

外山 ……233ページに「アルシノフ」という人が出てくるけど、千坂(恭二)さんの解説によれば、マフノ軍が最終的にボルシェビキに敗北したことを総括して、やっぱりアナキスト側も“権力”を持つことや“党”として自分たちを組織することを考えなきゃ勝てないんだ、それを最後まで避けてたからボルシェビキに負けたんだ、という結論に至った人らしいんだ。マフノにはもう1人、ヴォーリンという側近もいたそうなんだが、ヴォーリンが「ボルシェビキはヒドい」という“告発”をし続けて、まあ要するに森元斎のように恨みごとを云うばかりだったのに対して、アルシノフは、「そんなこと云っててもしょうがないだろう。なぜ我々アナキストは負けたのかってことを考えなきゃいけない。それはこちらにボルシェビキに対抗し、ボルシェビキを粉砕するだけの組織や理論がなかったからだ。やはりアナキストの側も、ボルシェビキのように“党”として団結し、“権力”の掌握を目指すべきだったんだ」という方向で総括した人であるらしい。
 しかし森元斎は、そういうアルシノフの総括とは対照的に、235ページにあるように、「非常に残念だ」としか云えない(笑)。こんなこと云っててもダメなんだよ。どうすればボルシェビキを叩き潰せたのか、真面目に考えるべきで、そうするとアナキスト側もだんだんボルシェビキに似てきてしまうわけだ(笑)。革マル派の襲撃に対抗してるうちに中核派もだんだん革マル派と“どっちもどっち”になってくるのと一緒(笑)。しかしそうなることを躊躇していては、ボルシェビキに皆殺しにされちゃうんだもん。
 “しかしアナキズムの理念は人民の中に受け継がれている”とか云ってるけど、その“理念”を実現するためにマフノ軍という暴力装置が存在していたことすら直視しようとしてないし、239ページに載ってるマフノ軍の軍旗に書かれてるスローガン、「勤労者の自由獲得に立ちはだかるすべての者に死を」について、「怖いけど、かっこいい」とか、単なるゴマカシですよ。“怖い”ことが必要なんだっていう厳然たる事実を引き受ける気が、森元斎には一切ないわけだ。そんなのが“アナキスト”なら、全員ボルシェビキに虐殺されればいい(笑)。
 さらに云うと、229ページから230ページにかけて……まあナロードニキ運動というのもここに書かれているような、上手いこといった運動では全然なく、理想に燃えた青年たちが続々と農村に入って農民たちを啓蒙しようとしたら、農民たちは保守的で、やってきた革命青年たちをことごとく警察に突き出したという話なんだが(笑)、ともかくナロードニキ運動はそんなふうに大失敗して、“テロリズムの時代”に移行する。で、229ページから230ページにかけて出てくる“アレクサンドル二世は一八八一年に暗殺された”というのが、さっき(後註.「その1」で)話したやつで、つまり森元斎は本当はここでネチャーエフにまた言及しなきゃいけないはずなんだ。この暗殺計画の親玉は実は獄中のネチャーエフなんだもん。森元斎はこの皇帝暗殺を、まあ一応は肯定的に書いてるよね。だったらネチャーエフって存在を再度、検討し直さなきゃいけないはずだ。
 やっぱり一貫して“都合の悪いところには触れないアナキズム運動史”ですよ(笑)。既成の無意味な“アナキズム本”をそのまま踏襲してるにすぎない。千坂さんが繰り返し云ってるとおり、“なぜボルシェビキに勝てなかったのか”を一切総括していない……。

東野 とにかく“ボルシェビキは怖い”、“ボルシェビキは悪い”……。

外山 “そんな奴ら、ファックだぜ”とかまあ、云ってるだけ(笑)。


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