世界最過激思想家・千坂恭二氏との対談2014.09.17「なぜファシズムを掲げなければならないのか」(後編)

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「前編」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 日本最過激というよりもおそらく世界最過激の思想家・千坂恭二氏との対談である。2014年9月17日に大阪でおこなわれ、紙版『人民の敵』創刊号に掲載された。
 「マスター」として時々登場するのは、今はもう閉店したが、一時よく「外山恒一を囲んで飲む会」の大阪会場に使用させてもらってもいた、大阪市の天六にあった飲み屋のマスターである。

 前編は原稿用紙換算24枚分、うち冒頭11枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその11枚分も含む。

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 外山流ファシズム道の“秘技伝授”

千坂 そうそう、私塾を家元制度みたいにするといいかもしらんよ。柔道の講道館みたいなもの。あれやったら「初段、2段、3段」とか認定していったらいい。

外山 「免許皆伝」とか(笑)。

千坂 「革命3段」とか云うて、ワケのわからん……(笑)。

外山 “外山流家元”になればいいんですね。

千坂 免状をもらうためには特別にナントカ金を納めにゃならんわけよ。お茶とかお花もそうらしい。自分の稽古場を開こうと思うたら家元に上納金を払わなならん。
 また「秘技伝授」とかもある。和歌とかで、偉うなってきたら最後に師匠の部屋に呼ばれるらしい、「秘技伝授」とか云うて。何してんのかと思うたら、単に師匠と2人で名歌を鑑賞して「ええなあ」とか云い合うてるだけなんやね(笑)、一緒に酒でも飲みながら。その時に上納金もガバッともらうんや。そういうのが和歌の世界では昔からあったらしいよ。そういうふうにやったらいい。
 そのうち九州に行ったら凄いビルが建ってて、「我々団ビル」とか書いてある(笑)。浄土真宗とかだってそうやないの? 親鸞は貧しい坊主で、南無阿弥陀仏と唱えとれば悪人だって救われるんやと云うとったら、信者がいっぱい集まってあれだけの大教団になったわけや。

外山 そういうふうに組織化したのは蓮如なんでしょうけどね。

千坂 やっぱり組織を作らな仕方ないからねえ。そしたら本なんかでも自前の出版部を作ればいいんだから。

外山 今回は冊子を作ろうと思って(後註.紙版『人民の敵』創刊号)、こうやって録音してるんだけど、こないだ絓さんと話した内容(後註.同じく紙版『人民の敵』創刊号に掲載された、すでに公開済みの対談)って、絓さんが伝え聞いた論壇のゴシップというか、公開できない話が多いんですよね。その部分も一応テープ起こしはするけれども、冊子に載せる時には削除する。
 そこを読みたければ九州に移住してファシスト党の党員になっていただかないと(笑)。党の機密文書として、持ち出し禁止で党員にかぎって閲覧のみ可、と。

千坂 「秘技伝授」やね。

外山 ショボい(笑)。


 柄谷行人の“氏素性”

千坂 ところで、柄谷行人の本を読んでたら、どうも柄谷はマトモに本を読んでるようには見えない。いろんな本から引用があるんやけど、柄谷がたまたま読んだ箇所を引用してるような文章ばっかりなんよ(笑)。引用する部分の選択に必然性がない。ちょっと読めば、さすがに柄谷さんは博識やなあと思うんやけど、違う。あれはたまたま読んだ本を引用してるだけや。一度絓に「柄谷ってマトモに本を読んでるのか?」って訊いたら、「彼は思いつきで書いてるよ」って云うとったわ(笑)。

外山 たしかに云ってることがコロコロ変わりますよね。『終焉をめぐって』とかでは、これから自由主義と民主主義の相克が顕在化してくるだろうと書いてて、その時に柄谷自身は自由主義の側に立って民主主義の横暴と対峙しなければいけないと立場表明してるんだけど、数年すると何の説明もなく同じ図式で民主主義の側に立ってるんですよ。

千坂 柄谷は群像新人賞かなんかを受賞して文芸批評家になったけど、アカデミズムの世界では不遇だったわけやんか。アカデミズムの世界ではしょせん語学教師であって、いわゆる専門を持った研究者ではない。だから彼の文章は文芸誌にしか載らない。思想や哲学の学術誌には載らない。

外山 つまり在野の思想家に近いんですよね。

千坂 そうそう。アカデミズムの世界からは、ずっと素人として見られてたわけだよ。そのことにイヤ気がさして書いたんが『トランスクリティーク』とか『世界史の構造』とかやと思う。
 『世界史の構造』を読んだ時には、柄谷は評論家を辞めたんかなと思ったよ。交換様式には4つある、とか云うてる。順々に3つ挙げていって、一番最後に「高度の互酬制」とか云いだす。それが要するに資本主義を超える経済のあり方やと云う。互酬制というのは要は物々交換やろ。そしたら、何やねん一体、「高度の互酬制」というのは(笑)。

外山 高度な物々交換(笑)。

千坂 マルクスでさえ未来のことに関しては実体的なことは何も云うてないわけで、「これでない、これでない、これでない」と消去法的な云い方しかしていない。ところが柄谷は初めて「こうなんや」と云うたわけ。これは麻原彰晃の空中浮遊と一緒だなと思ったよ(笑)。

外山 柄谷もずいぶん思い切ったな、と(笑)。

千坂 評論家であり続けることがオモロなくなって、イデオローグになろうとしてるんだと思うた。ダボラを吹きだしたぞ、と(笑)。それ以降の柄谷の文章って、妙にアジテーションぽいわけよ。何かを分析して解き明かす、というのとは違うて、何か一所懸命アジってる。イデオローグというのは基本的にアジりやからね。

外山 しかし柄谷ともあろう人が何でまた、あんなに9条なんかにこだわるんですかね。

千坂 こだわっとるねえ。

外山 あれさえやめてくれればなあ。

千坂 もう一つ、柄谷のポジションで不思議なのは、彼は一体どの時代に属する思想家なのかが不明なんや。浅田彰が出てきてニュー・アカデミズムのブームがあって、その延長線上に東浩紀やなんかがいるとする。じゃあ柄谷行人は何なん? 彼はニュー・アカデミズムやなくて、もっと前からいてる人でもある。「1968年」闘争の思想家かというと、そうではなくて、やっぱりその前からいてる。彼は一体何者なのか、ということや。
 つまり柄谷行人の思想の氏素性というんかな、それを暴いていったら面白いんちゃうかと思うよ。柄谷こそ文化左翼の胴元だ、と云って(笑)。初期に書いたマルクス論とか文学論とか、あるけれども、あのへんを丹念に読んでいったら、柄谷の思想的な氏素性が分かる気がするんだけど、誰かやらないかな。

外山 神話暴きを(笑)。

千坂 吉本だってそうやんか。吉本隆明も、結局は徴兵忌避者だったのと違うんかという疑惑がある。柄谷はそこらへんが分からん。他はたいてい、どういう時代を背負ってるんだな、ということが分かる。吉本ではないけど、やっぱりそれぞれに経験や時代背景があるはずなんよ。
 しかし柄谷はそこが見えてこない。彼はどの時代の子なのか。時代を超越した思想なんてまずありえないからね。柄谷の文章って、読んでてなるほどなあと思うと同時に、なんか胡散臭いと思ってしまう。なんかウラがあるぞと。本人の意図は知らんで。本人にも無自覚なウラっちゅうか、あるはずなんよ。それを本人に教えてやりたいんよ、「君の正体はコレなんだよ」と(笑)。


 “現代思想”は実はファシズムの可能性を云々している

千坂 自覚ということで云えば、さっきのファシズムの話だって、ファシズムを云々すれば必ず過去の話を持ち出される。例えばイタリアがどうこう、ヒトラーがどうこう、その上でファシズムに可能性があるとかないとかって話になる。そんなもの、どうだっていい(笑)。ヒトラーもムソリーニも、その他、過去のことなんか。

外山 構造改革派には与しない、という決意表明なんだから(笑)。

千坂 決意表明であると同時に担保。つまり全面否定されていることを肯定することにおいて、もう逃げ道がなくなるわけで、逃げ道がないということが担保になる。担保のない言説はすべて口先だけの言葉になる。借金するにも担保は出さないかん。思想だってそれが単に口先だけのものではなくて現実性を持つためには担保がいるんよ。その担保が、全面否定されてるものを肯定するということで、つまり踏み絵や。君もファシストになるんか、さあ踏め、や(笑)。
 そこらへんを丹念に分析していったら、これまでのものとは違うファシズム、ヒトラーがどうムソリーニがどうという話ではない、過去ではなくこの現在においてファシズムがどういう意味を持ちうるのかというところでのファシズム論が書けると思う。そっちの方が大事なんと違うか。極端な話、過去なんかどうでもいいじゃん、という話になる。知ったことか云うて(笑)。「そらいろいろあったでしょ、良いことも悪いことも」で終わりだからな(笑)。
 例えばフランスの現代思想について、おれは普段コキおろしてるけれども、あれだって好意的に解釈すれば、現代のフランス思想ってのは何を思想しているのか、と考えていくことができる。例えばドゥルーズでもデリダでもフーコーでも誰でもいいけど、あえて云えばニーチェとハイデガーの解釈をしてるだけではないか。

外山 そうですね。

千坂 じゃあニーチェとハイデガーは何をしたのか。どっちもファシズムに関係してくるわけやんか。つまり現代のフランス思想が思索してるのは何かと云うたら、ファシズムの可能性なわけよ。それはドイツ人にはできない、当事者やったから。ドイツ人がやれば「反省してへん」ということになるから。フランス人は「ぼくたちは被害者です」ということで、後ろ指をさされない。
 20世紀の思想の中で今もなお本当に考えるに値するものはファシズムしかないわけよ。あとは全部、文化左翼的な、資本主義の延長みたいな思想になってしまう、結局は。本当に思想的に考えるネタというのはファシズムしかないんやと思う。
 ホロコーストだってものすごく極端に考えたら、人間を皆殺しにすれば資本主義もなくなるぞ、ということでもある。人間がおるから資本主義なんかが蔓延るんだと。しかもユダヤ人というたら当時は金貸しのシンボルやんか。つまりあのホロコーストというのは、資本家を殺すんや、反資本主義闘争なんやというダンゴ理屈もつけられる。ところがそんな云い方をすると差し障りがあるから、もうちょっと思想的なオブラートをかぶせたような云い方をしてるんと違うかな。ミシェル・フーコーなんかも……。

外山 「人間の終焉」と(笑)。

千坂 そうそう。

外山 それはホロコーストとどこが違うのかと(笑)。

千坂 ドゥルーズだって、読んでみると「ファシズムと全体主義は違うんだ。全体主義はダメだけどファシズムには可能性があるんだ」みたいなこと云うてるよ(笑)。ジジェクは「ドゥルーズはファシストだ」と云うてる(笑)。だから意外とそういうふうに、よく見えにくいところで現代の思想にもそういう問題意識があるんやと思う。

外山 フランスの思想家たちの一部はそういうことに自覚的で、だけどあえてそれは表立っては口に出さずにやってる感じだけど、口に出さないもんだから、日本でフランス現代思想を研究してる人たちは全然そういうところに気づいてなさそうですよね。

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