絓秀実『1968年』超難解章“精読”読書会(2017.4.9)その6

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その5」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 絓秀実氏の『1968年』(06年・ちくま新書)の“精読”読書会(の一部)のテープ起こしである。
 2017年4月9日におこなわれ、『1968年』の中でも最も難解だと思われる「第四章」と「第五章」を対象としている。紙版『人民の敵』第31号に掲載された。
 絓氏の『1968年』の現物をまず入手し、文中に「第何章第何節・黙読タイム」とあったら自身もまずその部分を読んでから先に進む、という読み方を推奨する。

 第6部は原稿用紙14枚分、うち冒頭5枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその5枚分も含む。

     ※     ※     ※


  (「第五章 2.レーニン主義の廃墟と
              グラムシ主義の廃墟」黙読タイム)


 “目的”を見失うのがポストモダン的な主体

藤村 えーと、確認したいんですが、つまり“中核派vs革マル派”の内ゲバでは、革マル派の側は華青闘告発と無関係であったがゆえに、いわば“近代的な主体”であり続けることができて、したがって中核派のトップである本多(延嘉)を殺ればそれで内ゲバは終息するに違いないと思い込んでいた、と。ところが華青闘告発に直面してそれを受け入れた中核派の側は、「ポスト・フォーディズムの時代」(282ページ)にふさわしい主体というか、要するに東浩紀が云うところの“動物”と化していたというか……。

外山 ポストモダン的な主体ね。

藤村 うん。だから中核派のほうは、最高指導者を殺されようがどうしようが、すでにドゥルーズ=ガタリ云うところの“戦争機械”みたいになってて(笑)、やられたら単にやり返す、“倍返しだ!”的な……(笑)。

外山 つまり目的を見失ってる(笑)。明確な“目的”を持っているのが近代的な主体であって、“目的”を見失ってるのが“華青闘告発以後”のポストモダン的な主体だもんね。

藤村 内ゲバが延々と続いた背景にはそういう構造があった、と。

外山 あと、281ページから282ページにかけて書いてあるような事情もある。つまり、華青闘告発を受け入れれば本来ならグラムシ路線に転換するはずなんだ。それが良いか悪いかはともかく、そして絓さん自身はグラムシ路線には反対だろうけど、華青闘告発を受け入れて、レーニン主義的な“前衛党による国家権力奪取”路線を禁欲せざるをえなくなったんなら、市民社会のさまざまな領域で、“前衛党”とかではないさまざまな主体がヘゲモニー闘争をやるというグラムシ路線に転換するのが自然な流れになるはずです。
 じっさい他の西側先進国では、華青闘告発のような明確な分岐点があるかどうかはともかく、やっぱり“68年”の一連の過程でさまざまなマイノリティの運動が前面に出てきて、それがやがて「ポスト・フォーディズムの時代におけるグラムシ主義」(281ページ)たるネグリ&ハートの“マルチチュード”路線となって現在に至る。しかし日本の新左翼運動においては、“68年”以前の段階で、グラムシ路線=構造改革主義が否定されていた、と。そういう特殊な歴史的経緯があって、華青闘告発をどんなに“真摯に”受け止めたとしても、グラムシ主義に転換するという方向は、日本の新左翼にはあらかじめ閉ざされていたわけですね。だから“華青闘告発以後”の運動を非グラムシ的に、つまり引き続きレーニン主義的に展開するにはどうすればいいのか、というそもそも無理スジなテーマ設定をせざるをえなかったという、そういう事情も“内ゲバの常態化”の背景にはある、と絓さんはどうも云ってるみたいです。


 連合赤軍の“同志粛清”へのトンチンカンな反応

藤村 ……286ページに出てきた“たとえ”は面白かった。連合赤軍の“同志粛清”について、「『企業戦士』がセミナーで過労死したようなものだ」っていう(笑)。たしかにそうだよな。“あさま山荘事件”はまがりなりにも“武装闘争”だろうけど、“同志粛清”は、その武装闘争の“準備”としての訓練過程で起きたことだもん。

外山 だから仮に“あさま山荘”での銃撃戦が例えばお粗末すぎたというんで“武装闘争には展望がない”って反応になるなら合理的な反応だけど、銃撃戦はむしろ当時の新左翼活動家やシンパの多くには“よくやった!”と好評だった。その後で“リンチ殺人”が発覚して“武装闘争はダメだ”という雰囲気がバーッと拡がって、新左翼運動は一気に停滞する。それは「トンチンカン」な反応だ、という話ですね。
 ……287ページに、華青闘告発以降に「革命党派のおちいったディレンマ」という言葉が出てきます。「それは、第四章で述べたような偽史的想像力が爆弾で乗り越えようとしたディレンマであり、なおかつ、それが囚えられたものでもある」とありますが、そのちょっと後に「武装蜂起を謳う党派が、その手前にとどまりながら『暴力』を実践するアイロニカルな方途」という云い方があり、さらに288ページ1行目には「『壁の前』での擬似戦争」という云い方もされている。“壁”を越えようとすることは、華青闘告発以後、もはや禁欲しなきゃいけないことになってるわけですよ。にも関わらず、グラムシ主義に転換することもできなくて、レーニン主義的な“武装闘争”を云い続けなきゃいけない。その結果、「『壁の前』での擬似戦争」を延々と続けることだけが唯一可能なことになって、“内ゲバ”も“爆弾闘争”も実はそういうことだったんだ、と絓さんは指摘しています。

ここから先は

3,606字

¥ 140

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?