劇団どくんご2014年福岡公演“終演後の打ち上げ”実況(もくじ)

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 私のイチオシ劇団であり、『全共闘以後』でも当然その活動史を詳述している「劇団どくんご」の、2014年の「OUF!(ウフ)」福岡公演2日目(11月9日)の“終演後の打ち上げ”の場での、いろんな人(劇団員や他の観客)との歓談のテープ起こしである。紙版『人民の敵』第3号に掲載された。
 詳しくは『全共闘以後』に書いたとおりだが、劇団どくんごは83年に埼玉大の演劇部を改編する形で結成され、88年に野外設営テントを会場とする全国旅公演を開始、以後3、4年おきに同様の形式での全国ツアーを繰り返してきた。が、他のテント旅公演劇団がすべてとっくに(03年を最後に)全滅していた09年、あろうことか“毎年ツアーをやる”ことに決めて、劇団ごと埼玉から鹿児島に移住し、現在まで09年の決意表明どおり、リフレッシュのための2015年の休業を除いて毎年約40ヶ所・約7ヶ月間の旅公演を続けている。
 私はその09年(どくんごの初めての福岡公演)以来、福岡(および九州何ヶ所かの)公演での現地スタッフを務めており、その情宣などに際して繰り返し説明してきたように、どくんごの芝居には“ストーリー”も“テーマ”もない。この2014年の演目「OUF!」も基本的にはそうである。が、この時は例外的に、役者として1年間だけツアーに参加した京都の劇団「ベビー・ピー」の主宰者・根本コースケ氏が全体の約3分の1の場面で(“本格SF”などとおそらくは半ば冗談で豪語しつつ)脚本を書いており、したがってうっすらと“ストーリーのようなもの”も感じさせられる気がしないでもないような気もしないでもない、そんな演目ではあった。
 どくんごは今年もツアーを敢行しており、これを書いている2019年11月15日現在、福岡公演が終わって、あとは熊本県荒尾市と、鹿児島市での公演を残すのみである。そのダメ押し的な情宣を兼ねての公開である。
 私があれだけ口をすっぱくして必ず観るよう指令を出しまくっている以上、よっぽどの意識低すぎる系やもはや意識不明状態系の知的・文化的下層階級の者でもない限りは、当然「OUF!」を含めて09年以来の全演目を観ているはずだが、「OUF!」はさすがに5年も前の演目なので、たいていの人は記憶が曖昧ではあろう。しかしそこは“外山コンテンツ”である。観た人はもちろんのこと、観ていないスットコドッコイでさえそれなりに楽しんで読めるよう、テープ起こしの技術を駆使してある。観た人はその幸福な体験を反芻し、「OUF!」どころかまだ1度もどくんごを体験していない重篤状態の者は、これを読んで「こんなに面白そうなものがあるのか!」とようやく意識を回復して、今からでも遅くはない、熊本か鹿児島に観にきなさい。
 打ち上げで何人もの人々と歓談しながら回していたテープからの文字起こしなので当然、話題はあちこちに飛びまくりである。芝居の内容に関わる話ももちろん多く出てくるが、とくに「その2」などでは、京大出身の観客と吉田寮や西部講堂の話などをしていたりもする。オススメは「その3」ラストの、まるで民話のような“ほっこり”エピソードである。

 その1(原稿用紙25枚分・冒頭11枚分は無料公開)
 舞台の上でソデで外でいろんなことが同時進行
 台本のない芝居
 どくんごは長いこと福岡を避けていた
 テレコとワープロ
 福岡音楽シーンの重鎮
 全然“演劇好き”ではない演出家
 政界との接近?
 ついに福岡でもどくんご大ブレイク
 ツアー序盤と終盤では別の苦労が
 ウチの衣装は“ありそうでない”ものだらけ
 劇団名の由来(ウソ説明)

 その2(原稿用紙26枚分・冒頭11枚分は無料公開)
 京大西部講堂、吉田寮
 京大界隈のかつてのテント劇団「魚人帝国」
 構内に勝手に入った公安を副学長が尋問
 京大では構内で学生がバーを歴代運営
 西南学院大に「アナキズム研究会」が!?
 どくんごのテント設営・撤去は少しも大変ではない
 伝説の佐賀県鳥栖公演
 恐るべき鳥栖の“キッズ・ミュージカル”
 西南大アナ研・議長氏登場
 廃止された京大の素晴らしいデタラメな制度

 その3(原稿用紙15枚分・冒頭5枚分は無料公開)
 どくんごの芝居を“解釈”する!
 「OUF!」解釈・山本桜子篇
 「OUF!」解釈・外山恒一篇
 意外な“正解”?
 今回の演目は“SF”ですから
 ツルとどくんご

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