絓秀実氏との対談(2014年9月12日)・その3

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 「その2」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2014年9月12日に東京でおこなわれた対談である。2014年10月に刊行した紙版『人民の敵』創刊号に掲載した。
 文中、単に「註」とあるのは紙版『人民の敵』掲載時にすでにあった註、「後註」は今回追記した註である。

 第3部は原稿用紙24枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその7枚分も含む。

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 “動きすぎてはいけない”=“活動家”ぶってはいけない?

外山 我田引水になっちゃうけど、こないだの京大での“68年”シンポジウムで、廣瀬純がイッパシの活動家みたいな感じでベラベラ喋ってたのに、ぼくがちょっと発言したら急にシュンとなっちゃったじゃないですか。ああいうふうに、実際には“口舌の徒”として社会問題なんかにも口を出してるにすぎないのに、いろいろ口を出してるうちにまるで自分がそういう問題を背負う活動家であるかのような気分になってしまいがちなんだと思うけど、千葉雅也って人はそういうことを戒めてるのかなあと、絓さんの話を聞いてて思ったんですが。

 そういうところもあるかもしれない。千葉くんはゲイだから、そもそも存在として活動家的な側面はあるんだよ。『動きすぎてはいけない』のあとがきに、討論相手としていろいろ吸収させてもらった友人として名前も出てくる柵頼(宏平)くんというのがいるんだけど、彼は東大駒場寮でやってたおれの自主ゼミにずっと来てた人で、ドゥルーズ派ではなくむしろラカン派なんだけど、すごく育ちのいい子でさ。先祖がどこかの藩医で、お父さんも大病院のナントカ部長だという代々医者の家系で。彼もいわゆる活動家ではなかったけど、存在として活動家であるというような人だったな。千葉君にもそういうところがあるんじゃないかな。東浩紀にしても荻上チキにしても、“存在として活動家”という感じではないから、活動家みたいに振る舞うのがどうもチャラチャラした印象になってしまう。

外山 鈴木謙介もそんな印象ですよね。

 そうですねえ。最近あまり名前を聞かないでしょう。彼は関西大学に職を得ちゃったんですよ。そしたら自分のこと結構有名だと思ってたのに、関西に行くと誰も知らなくて愕然としたらしくて、そんなことでどうすんだと思うけれども(笑)。

外山 あとは、大澤……信亮?

 あれはもっとバカですけどね。活動はもう全部やめちゃったんでしょ。

外山 一時期はフリーター労組の界隈でよく名前を見たけど。

 そうそう。なんか雑誌もやってたよね。大澤君はよく知ってますよ。だって鎌田哲哉の子分でしょう。『重力』の同人に入ってきた。

外山 福田和也ゼミの出身だと聞いたけど。

 うん。その後に大塚英志のところへも行ったりしてて。で、『重力』の同人を公募したら、小説を書いて応募してきた。鎌田を好きで、鎌田も好かれると嬉しくなっちゃう人だから(笑)。それで同人に入れたんだよな。今はもう切れてるみたいだけど。大澤も日本映画大学に職を得て、准教授だかをやってる。もう活動みたいなことは何もやってないですよ。『新潮』で小林秀雄についての大連載をやってて、それもヒドいんだけども。

外山 まさに千坂(恭二)さんの云う“一本釣り”(後註.優秀な若手活動家やその周辺の若者が、大学教員やコメンテーターとしてアカデミズムやジャーナリズムに回収されること)みたいな感じなんですかね。

 そうだね。日本映画大学では昨年、問題が起きたんだよ。鴻英良さんっていうおれの知り合いが……。

外山 あ、何か誓約書を書かされて云々という。

 それそれ。学内で政治的活動をしないっていう誓約書を書くことを拒否したら教員に採用されなくて、そんなのオカしいだろって問題になった。今でもある意味ではくすぶってる問題とも云えるかもしれない。大澤も当時ブログに「この問題については私が責任を持って発言します。読者の皆さんを裏切るようなことはしません」とか書いてるんですよ。ところがその後何も書いてないし、さらには「教授会声明」っていうのが出て、要するに「(誓約書問題は)大した問題じゃありません」って内容なんだけど(笑)、それは大澤が書いたらしい。教授会の声明と云いながら、大学のホームページに載ってるんだよ。何なんだそれは、御用教授会じゃないかっていう(笑)。とにかくヒドい。あっというまに保守に転向しちゃった。


 最近の若手はどうしてこう打たれ弱いのか

外山 あの世代の人たち、鈴木謙介もそうだけど、ぼくより10ぐらい下の、80年前後生まれの人たちって、威勢よく登場しても何かすぐ腰砕けになっちゃう印象がある。

 そういう中では千葉くんはまだマトモな方だよね。

外山 彼はぼくと同じぐらいじゃないですか?

 まだ30ちょっとじゃない?

外山 そんなに若いんだ。

 せいぜい30代半ばだったと思いますよ(註.千葉は78年生まれ。大澤・鈴木は76年生まれ)。

外山 あ、思い出した。大澤信亮たちの雑誌、『ロスジェネ』だ。

 そうだそうだ。あれも『ロスジェネ』だったでしょ、宝塚の芸大の学園祭に外山君たちと一緒に呼ばれた時の、あのバカ女(後註.「“選挙に行こう!”運動を叩き潰すための作戦会議・その3」参照)。

外山 増山麗奈(笑)。『ロスジェネ』はたしか4人、同人がいましたよね。雨宮処凛もいた(後註.間違い。雨宮氏は創刊号に登場して話題作りに貢献していただけで、同人はおそらく増山氏の他には浅尾大輔、大澤信亮、杉田俊介の各氏)。

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外山 とくに『ロスジェネ』の界隈とか、いろんな人が出てきたけど、どうも今ひとつパッとしない。というか、みんな打たれ弱すぎる(笑)。フリーター労組、“プレカリアート”の運動が盛り上がってハシャいでたのはいいけど、どんな運動もずっと盛り上がり続けられるわけじゃないし、いつか盛り下がる時もくるわけで、ただその盛り下がり始めた時に簡単にシュンとしちゃいすぎる。

 自分だけの小さな巣を作ってその中で自足し始めて。

外山 ぼくも91年に運動の突然の失速を経験して、それは当然それなりにショッキングだったしいろいろ悩みもしたけど、だからといって運動を離れようとは少しも考えなかった。

 それは外山君が高校中退だからだよ。

外山 そうか(笑)。

 退路が断たれてるからなんですよ。彼らはみんな大学まで出てるから……。

外山 なるほど、帰る場所があるのか。

 そう思っちゃう。実はないんですよ(笑)。だけどあると思っちゃうんだ。大学にもないし、ジャーナリズムにもない。大澤なんかは例外的にうまくやって、非常に限られた、ジャーナリズム方面の狭い枠をゲットしたわけだけど、その途端にダメになっていっちゃう。

外山 福岡の小野君(後註.小野俊彦氏。「フリーターユニオン福岡」の創設者だが、2010年だったかに離脱)もなあ。

 ああ、小野君なんかにはもっと頑張ってほしいな。大学は出てるとはいえ、小野君はそういう退路はもう断ってるはずなんだから。

外山 なんか打たれ弱いんだ(笑)。フリーター労組に限界を感じて辞めたまではいいんだけど、その後ずっと将棋ばっか打って(笑)。

 小野君にはそんなに会ったこともないけど、元気もいいし、なかなかいいと思ってたんですよ。

外山 元気だし、生意気だし。

 そうそう、生意気な活動家で(笑)。

外山 物怖じしないし。

 勉強する意欲もあるし、なかなかいいと思ってたのが……将棋ばっかりやってるんだ(笑)。

外山 典型的な挫折というか、“青春の蹉跌”みたいな感じで、そんなことでいいのかと(笑)。

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