90年代後半の東北大ノンセクト?自治寮委員長に徹底インタビュー(その4)

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 「その3」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 松本勝巳氏は74年生まれで、長崎県佐世保市の高校を卒業後、1浪を経て94年に東北大に入学し、まもなく、いわゆる“自治寮”である「日就寮」を拠点とする熱心な学生運動家の1人となる。95年には寮委員長も務めている。99年に卒業し、就職で福岡市に移住した。

 インタビューは2017年1月20日におこなわれ、紙版『人民の敵』第28号に掲載された。
 第4部は原稿用紙換算20枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含む。

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 中核派主催の『共産党宣言』学習会

外山 その“学習講演会”というのは、寮内の企画ではなく?

松本 キャンパスで開催されてた。それでいざ行ってみると、席についてるのが全員、中核派の人たちなんだ(笑)。「あれ?」っと思って、「これは中核派の集まりなんですか? オレなんかが参加しちゃマズいですか?」って訊いたら、「いやいや、中核派の集まりではない。誰でも参加していいんだ」って云われてね。

外山 そりゃ向こうはそう云うだろう(笑)。決して“中核派の集会”ではない、結果的にそうなっちゃってるだけだ、と(笑)。……もちろんそれは中核派が主催する学習会だったわけでしょ?

松本 中核派以外で参加したのはオレだけで、事前に『共産党宣言』も読んできたと云ったら、ものすごく感心された。

外山 いいカモが来たぞ、ってことになるわな(笑)。

松本 講師役に東京から呼ばれてる人が、実は中核派の大幹部でさ。ポスターなんかでは偽名というか、違う名前になってたけど……。

外山 ぼくなんかでも名前を知ってそうなぐらいの人?

松本 川武信夫っていう人。

外山 知らないな。

松本 大幹部だよ。本多延嘉(75年に革マル派に殺害された、中核派の創設者で最高幹部)と一緒に活動してたような人。

外山 じゃあ当時は50歳ぐらい?

松本 そうだね。で、他に参加してる中核派の人たちは、畏れ多くて質問とかしないんだけど、オレはその人がそんな大幹部だとか知らないから、「ソ連も崩壊しちゃいましたし、やっぱり共産主義というものには問題があるんじゃないでしょうか?」とか平気で質問する(笑)。最初は川武信夫も一所懸命いろいろ説明してくれてたんだけど、それを聞いても全然納得できなくて、「でもやっぱり共産主義政権は必ず腐敗するんじゃないですか?」とか……。

外山 恐れを知らぬ勇敢な学生(笑)。

松本 だんだん川武信夫の表情も険しくなってきて、他の中核派の人が、「私が後でちゃんと云って聞かせますから」とか気を遣って取りなし始めたりして……。

外山 中核派も一応は新歓企画のつもりでそういう学習会をやってるんだろうから、もっとちゃんとした人を講師に派遣しなきゃダメじゃないか(笑)。

松本 べつに波風を立てようと思ってそんな質問をしてたわけではないし、オレも延々と食い下がったりはせずに、その場はテキトーにナアナアで終わったんだけどね。寮に戻ってみると川武信夫も来てて、次は交流会だというんで、そっちにも参加した。「君はさっきの……」って川武信夫に声をかけられて、人柄としては結構いい人だったよ。中央闘争に行っても、川武信夫は大幹部にしては珍しく現場にもちゃんと顔を出してたしね。

外山 日就寮に中核派の幹部も出入りするんだ?

松本 中核派は自由に出入りできる。解放派は出入り禁止。オレも詳しいことはよく知らないんだけど、だいぶ以前に三里塚関係の集会を日就寮で企画したら、講師の人選が解放派の気に入らなかったらしくて、襲撃をかけてきたということなのか、とにかく集会を破壊しにかかったというんだ。

外山 70年代とかの話なのかな?

松本 たぶん70年代後半とかだろうね。とにかくそれで日就寮の特別決議が出て、以後は解放派は出入り禁止になった。

外山 じゃあ解放派は寮ではなく、さっきの「アジア研究会」だか、サークル棟に入ってるサークルを拠点にしてるんだ?

松本 うん。

外山 有朋寮も92年とかまで民青が仕切ってたという話だし、それ以前は日就寮が中核派もノンセクトも含めた新左翼の拠点だったということなのかな?

松本 そうなんだろうね。


 仏核実験反対でポリネシア人民と連帯!?

外山 松本君の頃は、民青は勢力的にどうなってたの?

松本 全然いない感じだったな。

外山 だって有朋寮も教養部自治会も、民青が仕切ってたのは松本君が入学するちょっと前なんでしょ?

松本 でもオレは話に聞いてるだけで、“民青との闘い”というのはまったく経験してない。中核派とノンセクトで結託して民青にずっと対峙してきて、92年にようやく民青を追い出したというんだけど、そしたら今度は中核派が民青みたいになっちゃうんだよね。そもそも95年に中核派は路線転換をして……。

外山 ああ、なんか聞くね。何とかテーゼだったか、出したっていう。

松本 “十九全総”といって、それまでの“テロ・ゲリラ路線”をやめて、“労働者政党の建設”を目指すとか云い出した(革命とは何のカンケーもない極めてどーでもいいことではあるが、91年に中核派は「5月テーゼ」と呼ばれる路線転換の宣言をおこない、95年の「第19回全国委員会総会」という会議でその新路線への転換を本格的に固めたものであるらしい)。
 で、その新路線の一環として、95年にポリネシアでおこなわれたフランスの核実験への反対運動に力を入れるとかで、そもそも中核派は反原発運動にはあまり熱心に関わってこなかったくせに、急に“核の問題”を、しかも“ポリネシア人民との連帯”なんてワケの分からないことを云い出してさ。“ポリネシア人民”って一体誰なんだ(笑)。

外山 脳内人民だね(笑)。

松本 “アジア人民との連帯”ならまだしも例えば、従軍慰安婦問題でも指紋押捺問題でもしょっちゅう会ってるけど、“ポリネシア人民”なんて……。

外山 会ったことも、見たこともねーぞ、と(笑)。

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