栗原康『現代暴力論』“検閲”読書会(2017.3.26、4.2)その2

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2017年3月26日と4月2日の2回に分けておこなわれた、栗原康の『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書・2015年)を熟読する読書会のテープ起こしである。
 栗原康の『現代暴力論』の現物を入手して、途中ことわり書きが挟まるように、例えば「第一章・黙読タイム」などのところでまず当該の章を自分でも黙読してから読み進む、というのが一番タメになる読み方である。

 第2部は原稿用紙22枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその7枚分も含む。

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 (引き続き「はじめに」をめぐっての議論)


 “3・11以降”の反原発運動

外山 ……で、ぼくのほうからこの“はじめに”の部分に関連して説明しておきたいことも何点かあって、まず7ページから11ページにかけての、著者が体験した反原発運動のことですね。“3・11以降”の反原発運動は、もちろん事故直後はみんなパニックに陥ってるし、反原発運動どころではなく“とにかく避難を!”というような状況だったとは思いますけど、“運動”的にはしばらくは異様に静かだったんですよ。反原発デモはそれなりにあちこちで呼びかけられるのに、まったく盛り上がらない。“これだけの事故が起きたのになぜ?”という無力感が従来からの反原発派の間に拡がってたんですけど、なぜ盛り上がらなかったかと云えば、“まだそれどころじゃない”という以上に、まさに“従来からの反原発派”つまり“また例によっていつもの左がかった人たち”が呼びかけてたからです(笑)。で、7ページにあるとおり、事故から約1ヶ月後の4月10日、松本哉の率いる「素人の乱」が中野・高円寺で主催した反原発デモに、いきなり1万人以上の人たちが集結して、やっと盛り上がり始める。
 松本哉という人は、みなさんご存じでしょうか? 一応説明しておきますと、90年代後半に首都圏の“運動シーン”に彗星のごとく登場してくる人ですが、初期の活動はハショるとして、00年代後半には高円寺を拠点に「素人の乱」というグループを結成して、さまざまな“バカバカしいデモ”を繰り返してたような人です。放置自転車の撤去に抗議する“オレの自転車返せデモ”とか、“家賃反対デモ”とかですね(笑)。で、その松本哉がまた何かヘンなデモをやろうと思って、内容は後から考えることにして、“3・11”以前からこの4月10日のデモ申請を通してあったらしいんですよ。そこへ原発事故が起きて、しかも他の反原発デモは全然盛り上がってなくて、じゃあせっかくだし“反原発”のデモにしようって話になって、それが“1万人”の反原発デモになっちゃうわけです。原発反対の声を上げなきゃと思ってはいたけど“左翼のデモ”には参加したくないという、ごくフツーの人たちが、サブカル・シーンでも元々かなり注目されてた松本哉みたいな“無思想のお祭り男”が呼びかけてるデモになら参加してもいいかな、と考えた結果としてそういうことになっちゃった。
 「めちゃくちゃ解放感があった」と著者も書いてますが、そもそも素人の乱のデモというのは“お祭り”なんです。06年の“家賃反対デモ”にはぼくも参加したけど、酒を飲みながらのデモなんだ(笑)。2、3百人のデモだったと思うけど、デモの先頭から最後尾まで酒樽を積んだ台車がしじゅう往復してて、参加者たちにどんどん酒を配るの。デモの後半はみんなもうベロベロになってて(笑)、ワケ分かんなくなってハイテンションでいろんなことを叫び散らしてる。サウンドカーからはカッコいい今ふうの音楽ばかりじゃなくて、松本君のセンスで森進一とか前川清とかもたまにもちろん大音量で流れるし、バカバカしくて楽しいんだ(笑)。この11年4月10日のデモは多少はマジメだったでしょうけど、それでもそういう“松本哉カラー”は随所に出てただろうし、著者が“解放感”を味わったというのも当然でしょう。
 ところが、この4月10日の最初のデモですでに予兆があったことが8ページに書いてあることで分かるんだけど、「ところどころ日の丸をかかげた右翼みたいな人たちもいるのだが、いかつい坊主の兄ちゃんが、バカでかい黒旗でそいつらをバシバシとたたき、日の丸をひっこめさせたりしている」とある。「日の丸をひっこめさせたりしている」ということは、これはまず間違いなく、沿道から罵声を浴びせてくる在特会みたいな連中ではなくて、同じこのデモに参加してる中に日の丸を掲げてる人たちも混じってたってことでしょ。そもそも在特会が反原発デモに“カウンター”をかけるようになるのはもうちょっと後の時期だしね。
 著者は「右翼みたいな人たち」と書いてるけど、“みたいな”であって本当に右翼だったかどうか判断しようがない。反原発派の右翼であった可能性もゼロではないけど、簡単に「日の丸をひっこめさせ」られたりしてるし、たぶん違うだろうな。うっすら保守的なメンテリティを持ってはいるだろう程度の、要するに普段あんまり原発がどうこうとか考えたことがなかったのが、事故のショックで“原発を止めなきゃ!”と熱い気持ちになった、ごくフツーの人たちだったんだろうと思います。想像つくでしょ? ごくフツーの人が、生まれて初めてデモに参加するって時に、“原発を止めるために日本人よ起ち上がれ!”ぐらいの感覚で日の丸を持ってくることもたぶんあるだろう、ぐらいのことは。で、そういう無邪気で素朴な人民を「バカでかい黒旗」を掲げた「いかつい坊主の兄ちゃん」が「バシバシと」シバいてるという状況なわけですね(笑)。
 で、松本哉はこういうことをしないんです。松本君も一応、自分では“左翼”のつもりだろうし右翼も日の丸も嫌いだろうけど、基本的に細かいことを云わない親分肌の大らかな人で、しかも少なくともこの4月10日という“事故直後”の局面では、“原発反対なら右でも左でも大歓迎”というスタンスであるはずです。しかし松本君の界隈にはこういう何というか“偏狭な”(笑)、ゴリッとした左翼原理主義者みたいな連中がそもそも最初から多少含まれてる。4月10日以降、そういう人たちが“反原発デモから右翼を追い出せ”と強硬に主張するようになるんですね。素人の乱の反原発デモの第2弾が、約2ヶ月後の6月11日にあるんですが、この時にこの問題が焦点化して、“右翼を追い出せ”という一派と“右翼でも反原発なら歓迎すべきだ”という一派が、デモ出発前の集会で小競り合いを起こす。それはどっちも素人の乱の、“コア”な部分ではないけど、もともと“取り巻き”ぐらいではあったような周辺部分です。

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