栗原康『現代暴力論』“検閲”読書会(2017.3.26、4.2)その4

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 「その3」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 2017年3月26日と4月2日の2回に分けておこなわれた、栗原康の『現代暴力論 「あばれる力」を取り戻す』(角川新書・2015年)を熟読する読書会のテープ起こしである。
 栗原康の『現代暴力論』の現物を入手して、途中ことわり書きが挟まるように、例えば「第一章・黙読タイム」などのところでまず当該の章を自分でも黙読してから読み進む、というのが一番タメになる読み方である。

 第4部は原稿用紙17枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定にはその6枚分も含む。

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 (引き続き「第二章 征服装置としての原子力」をめぐっての議論)

 “知的生き方文庫”呼ばわり!

外山 ……さっきチラッと言及した千坂さんの“暴言”(後註.「反原発派は“原発反対・原発事故賛成”と云わなきゃいけない」)にも関係するんだが、100ページから101ページにかけて、「原発作業員はまともにストライキすらうてない」という話が書いてあります。「原発作業員は、たえず核の脅威にさらされていて、非常事態だ。作業をとめることはわるいことだ、やってはいけない、まわりのめいわくだ。そうおもわされて、ほんきでストライキをうつことを自主規制してしまう」と。ここでもし“自主規制”しなければ、国側が原発を止めるしかなくなるんじゃないの? つまり、まあ千坂さんがわざとちょっと面白く云ってるような、“原発事故賛成”、“原発事故歓迎”という姿勢を反原発派が公然と見せつけることができるようになれば、推進派は慌てふためくはずだ(笑)。

薙野 ちょっと結果を慮りすぎですよね、反原発の側が。

外山 だって原発事故で日本が壊滅したりするのは政府側もきっとイヤでしょ?(笑) 栗原康なんかはせっかく“アナキスト”なんだから、“日本”なんか壊滅しちゃってもいいじゃないか、と開き直ることだって可能なはずだ。そこにこそ勝利の目も出てくるんじゃないかな。

A女史 “死にたくない”とか“事故は怖い”とかいう気持ちはもちろん分かるけど、まさにそこにつけ込まれてるんだから、“死にたくない”のレベルにとどまってちゃダメだよね。

外山 うん。“事故は怖い”という認識を共有させられることによって「自主規制」させられるメカニズムについて、この人は書いてるんだからさ。実際そのとおりだよ。そういうメカニズムがある。しかしこの人はそのメカニズムに負けてるんだ。だから勝てない(笑)。
 ……82〜83ページで、いわゆる“核抑止論”がむしろ自国民を「いまある社会秩序に全面的に服従」させるメカニズムについても書いてある。核戦争なんてことは、もちろん政府の側としてもやりたくないだろうけど、人民もやっぱりやめてほしいと思うから、結果として官民一体で核抑止論のメカニズムを支えていくことになるんだね。これも今の原発の話と一緒で、いっそ核戦争を肯定して「どんと来い」ぐらいに構えていれば(笑)、むしろこっちが政府より優位に立てるんじゃないかという気がするわけだ。つまり“原発事故は恐ろしい”とか“核戦争が起きたら世界は終わりだ”なんてことは、政府の側に云わせときゃいいんだよ。こっちがそれに付き合う必要はない。

薙野 ああ、そうですよね。

外山 こっちもまんまとそれに乗せられちゃうから勝てなくなる、というメカニズムなんだよ、実は。この本で分析されているとおりです。まさにこういうメカニズムなんだから、乗っかってちゃダメじゃん(笑)。

西南大H つまりやっぱりこの人がアナキズムを“個人の生き方”程度のものとして考えてない、だからそういう発想に思い至らない、ということなんじゃないでしょうか。

A女史 いろんなことを内面化しすぎですね。

外山 思うツボで、まんまとハメられてる。章の副題にもあるとおり、原発の存在によって「生きることを負債化させられる」メカニズムについて書いてるのに、この人自身がまさにそうされちゃってるように見える。

A女史 ……栗原さんって、政治学者なんでしょ?

外山 なのかな?

東野 プロフィールに「注目を集める政治学者である」と書いてありますね。

外山 そうなんだ(笑)。

A女史 そのわりにはあんまり“政治の話”っぽくなくない? “戦略”もないし、“内面”の話ばっかりで……なんか“知的生き方文庫”みたい。

外山 なんという暴言を! “知的生き方文庫”呼ばわりというのは、インテリを自負する者にとって最も屈辱的な仕打ちですよ(笑)。
 ……やっぱり“国家権力”というものを強大なものとして見すぎている、恐れすぎているんだと思う。というか、買いかぶりすぎ(笑)。とくに日本の国家権力を買いかぶりすぎですよ。栗原康が書いてるほどには、日本の国家権力は“ちゃんと”してない、っていう(笑)。

A女史 事故への対応を見て愕然としたもん。

外山 アメリカなんかでああいう事故はそもそも起きないよ。起きるとしてももうちょっと“やむをえない”経緯で起きるでしょう。あれぐらいの津波なんか“想定内”で、さんざん警告を発してる地震学者はいたのに、全部無視してただけなんだからさ。“想定内”の自然災害にも対策を立ててないようなアホ国家なんです。原発を動かすなら、ちゃんと“管理社会”をやれ、と(笑)。

薙野 日本社会のいろんなしくみが、全体的に品質低下してますよね。

外山 ……ではそろそろ「第三章」に進んで、“アナキストの生き方”を学びましょうか(笑)。

 (「第三章 生の拡充」黙読タイム)


 “左翼が暴れる”のは良いが“右翼が暴れる”のは悪い?

外山 よろしいですか? では何かあれば。

西南大H ……全面的に否定したい(笑)。

外山 どんなふうに?

西南大H えーと、まず最初にカッときたのが、121ページ3行目の「そうだ、超人になりたい」ってフレーズですね。この人は“超人”でも何でもなく、どう考えてもただのニートですよ(笑)。

外山 まあ、大学の先生として働いちゃいるだろうが、たしかにニートっぽい脆弱な自我って気はするよね(笑)。つまり“弱い自分”を正当化するような“自堕落な自己肯定”と、ニーチェや大杉が云うような“力強い自己肯定”とが、なんとなく曖昧に重ねられてるんじゃないかってことでしょ?

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