絓秀実氏との対談(2016年6月17日)・その2

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 〈「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 標題にもあるとおり、2016年6月の対話である。場所は絓氏の地元に近い埼玉県の居酒屋。
 第2部は原稿用紙換算21枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含む。

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 また都知事選やるの!?

外山 ……ツイッターでちらほら流れてくるのをちょっと見ただけですが、桜井誠(在特会のリーダー)は都知事選に出るとかいう話ですね。

 参院選じゃなくて都知事選だっけ?

外山 だったと思う。舛添が辞任することはもう確定したんですか?

 それは確定です。

外山 福岡の自宅を離れると、いつも以上にニュースを見ないもんで、何がどうなってるのかほとんど知りません(笑)。じゃあ都知事選はいつになるんですか?

 7月の末に投票。

外山 ってことは、参院選が終わったら今度はすぐに都知事選ですか?

 うん。それにしても今回の舛添問題ってのもつまんない“問題”でしたねえ……。しかしあれが“直接民主主義”ですからね(笑)。何か“問題”が起きて、「いったんチャラにして選挙で決着つけろ!」ってのが民主主義なんだからさ。“健全な民主主義”が機能したとさえ云っていいと思う。今回の舛添の追い落としは、シールズの国会前デモなんかよりよっぽど成功した“民主主義”の運動ですよ(笑)。

外山 しかしどうするつもりなんだろう。都知事選をまたやることが決まっただけで、誰が有力候補になりそうだとかって話には、まだなってないんでしょ?

 蓮舫だ、櫻井翔の親父(櫻井俊。元・総務省事務次官)だ、ってポツポツ名前は挙がってるけど、決定打と云えるような名前はまだ挙がってないと思う(後註.もちろん、やがて小池百合子が登場して当選することになる)。でもまあ……誰がなったって同じじゃないですか(笑)。

外山 うん、そうですね(笑)。

 都知事なんて誰でも同じですよ。それに少なくとも舛添よりマシな奴は今度の都知事選には出ない(笑)。

外山 舛添はまあ……比較的マシですよね(笑)。

 マシですよ。少なくとも猪瀬や石原より、知事としてずっとマシ。今回のカネの話だって、べつにたいした問題じゃないんだしさ。

外山 これだけ叩かれりゃあ、少なくとも今後は自粛するでしょうし。

 あれぐらいの“役得”があったって、べつにいいじゃんと思うけどなあ。回転寿司に行くぐらい、べつにいいじゃないか。知事に回転寿司ぐらい食わせてやれよ(笑)。たしかに“やや高級な回転寿司”だったらしいけど(笑)。


 このブルジョア民主主義以上のものは“ない”?

外山 ……ツイッターで書いてた、藤村君との対談について「細部には若干の異論もあるが」ってのは、具体的にはどのへんですか?

 何だっけな(笑)。

外山 “ネトウヨの源流”に関する話ですか?

 いやいや、そこではなくて……“民主主義”の評価をめぐってかな。もちろん民主主義がろくでもないってのは当たり前の話なんですが(笑)、例えば今回の舛添騒動というのはまさに日本における民主主義メカニズムの発動なわけで、“直接民主主義プラス代議制民主主義”が最も円滑に機能した事例であって、それは民主主義がいかにくだらないものかってことでもある(笑)。しかしその“くだらない民主主義”以外の理想的な社会システムは、今のところ見出せないわけですよ。
 外山君たち九州ファシスト党の“人民の敵”ってスタンスは非常に良いし、正しいと思ってるんです。“党”ってのは基本的に“人民の味方”であることを標榜しますよね。“人民の意思”を我が党こそが体現しているのだ、というのが普通は“党”ですよ。それは必ずしも“現在の人民”ではないかもしれないし、たとえ“現在の人民”が即自的にはダメでも、革マル的に云えば“即自的かつ対自的に云々”って形で……。

外山 “あるべき人民の意思”を体現しているのだと云いますよね。それは左右を問わず。

 うん、自民党であろうと共産党であろうと。しかし“人民の意思”が本当のところどうなのかってことは、“人民投票”によってしか証明し得ないんです。もちろんそれは“ある時点”でのものですけどね。
 しかしたとえ随時“人民投票”をやったところで、全員一致ということはあり得ないわけで、必ず“余剰”というか、投票で否決される側の意見の持ち主たちがいて、そういう人たちは抑圧されるしかないし、それが社会のひずみになるんだけど、ひずみがあること自体は許容されなければならない。そこを許容する制度はやっぱり今のところ“ブルジョア民主主義”しかないんです。独裁政治ではそういう“ひずみ”の存在自体が否定されて、独裁政党が体現していると称する“人民の意思”というのはどんどん架空のものになっていってしまう。
 自民党なんかが相対的に優れているのは、そういう余剰は必ず生まれるんだということを、あらかじめ想定しているところですよ。そこらへんを全部ふまえた上で“多数決の政治”をやってる。今回のように直接民主主義がたまに発動されるような事態も許容するというのが、現在のブルジョア政党が相対的に優れているところだと思う。
 それに代わる方策を我々はまだ編み出していないんじゃないか。ブルジョア民主主義で実現される“人民の意思”がいかにくだらないものであろうと、そもそも“人民の意思”それ自体がもともとくだらないんだから(笑)。だから外山君たちが“人民の敵”を称したり、あるいは「我々は少数派である」という立場を宣言し続けるのはそれはそれでいいんだが、それは“永遠の少数派”であることを良しとするか、あるいは“暴力革命”でも何でもいいけど……。

外山 “少数派による権力奪取”を考えるのか、ですね。

 古い言葉で云えば“共産主義論”というか、つまり現在のブルジョア民主主義を打倒した後にはたしてどういうシステムを構想しうるのかという問題だけど、やっぱりブルジョア民主主義以上のものはまだ編み出せていないと思う。


 世界が中国に“市民社会”なんか作らせない

外山 ……創刊号で話してくれた“中国の状況”というのは、その後どうなってるんですか?

 どういう話だっけ?

外山 今の習近平というのは実は“新左派”と呼ばれる毛沢東主義者で、汪暉というイデオローグがいて云々という……(紙版『人民の敵』創刊号参照)。

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