総合もくじ

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九州ファシスト党〈我々団〉座談会

 ① 現代美術シーンという“原子力ムラ”
   (紙版『人民の敵』第3号に掲載)

 ② 〝助成金アートの首領〟を弾劾する!
   (紙版『人民の敵』第11号に掲載)

 ③  “選挙に行こう!”運動を叩き潰すための作戦会議
    ※東野大地&西南学院大生M君との鼎談(2015年12月16日)
   (紙版『人民の敵』第17号に掲載したもの)
 2015年は4月の統一地方選と11月の大阪ダブル選の2度にわたって“ニセ選挙運動”と称する反選挙・反民主主義運動を展開した「九州ファシスト党〈我々団〉」だが、その大阪で、事実上“金銭的利得のチラつかせによる投票推奨”という悪質極まりない“選挙に行こう!”キャンペーンに遭遇、「これは民主主義を愚弄し、破壊するものだ!」と民主主義者じゃないのに義憤に駆られ、今後は「民主主義反対」の運動と「“真の民主主義”を要求する」運動の2本立てで行こう、という謎の方針が打ち出された。それら悪質な“選挙に行こう!”キャンペーンをいかに粉砕するかという謀議に始まり、やがて昨今の“意識高い系”学生らによるハナモチナラン諸運動について、青木大和氏からシールズまで、徹底批判が展開される。ついでに社民党の比例候補として公認されるやいなや大炎上騒動を引き起こしたアーティスト(?)の増山麗奈氏と外山の過去の1度きりの遭遇体験についても詳細に語られるなど、普段はむしろ過去の運動史発掘をテーマとしてきた『人民の敵』誌には珍しい“時事放談”系座談会。

 ④ “助成金まみれアート業界”を叩き潰すための作戦会議
   (紙版『人民の敵』第30号に掲載)
 九州ファシスト党“芸術部門”=『メインストリーム』編集部の2人つまりスタッフS嬢こと山本桜子および東野大地と、2017年3月24日におこなった短い座談会。
 冒頭部分は、この6日前におこなわれた森元斎『アナキズム入門』の読書会の“後日談”的なものとなっているが、話題はやがて“街おこしアート”批判、助成金まみれの現代美術シーンへの批判へと移行していく。最後のほうで延々と続けられる、“アート業界の犬”をめぐる徹頭徹尾くだらない議論は特にオススメ。

絓秀実氏との対談

 ① 2014年9月12日の対談
 (紙版『人民の敵』創刊号に掲載したもの)

 ② 2015年3月3日の対談
 (紙版『人民の敵』第7号に掲載したもの)

 ③ 2016年6月17日の対談
 (紙版『人民の敵』第22号第24号に掲載したもの)
 数少ない非転向の全共闘ラディカリストで文芸批評家の絓秀実氏との、ヘイトスピーチ、日本会議、16年都知事選、同参院選、同アメリカ大統領選、東京オリンピック、吉本隆明、早大全共闘、内ゲバ、中核派のスキャンダル、徴兵制、共産党、シールズ、矢部史郎、華青闘告発、津村喬、共労党、酒井隆史、しばき隊、民進党、野党共闘、プロ教師の会、『宝島』、よさこいソーラン……と話題はあっちこっちに飛びながらの超ロング時事放談。

 ④ 2017年4月17日の対談
 (紙版『人民の敵』第32号に掲載したもの)

 2017年9月12日の対談
 (紙版『人民の敵』第35号に掲載したもの)

 ⑥ 2018年10月1日の対談
 (紙版『人民の敵』第45号に掲載したもの)
 同年9月刊の外山の新著『全共闘以後』のプロモーションを兼ねた京都大学熊野寮での公開トークライブである。

千坂恭二氏との対談

 ① 2014年9月17日の対談
  「なぜファシズムを掲げなければならないのか」
   (紙版『人民の敵』創刊号に掲載したもの)

 ② 2014年12月4日の対談
  「真のアナキズム入門」
   (紙版『人民の敵』第4号に掲載したもの)

 ③ 2015年3月7日の対談
  「真のファシズム入門」
   (紙版『人民の敵』第8号に掲載したもの)

 ④ 2015年8月16日の対談
  「人民が笑顔で暮らせるファシズム社会」
   (紙版『人民の敵』第12号に掲載したもの)

 ⑤ 2015年11月21日の対談
  「ファシズムと民主主義」
   (紙版『人民の敵』第15号に掲載したもの)

 ⑥ 2016年8月2日の対談
  「左も右も行き着く先は“反帝反スタ/反米反共”=ファシズム」
   (紙版『人民の敵』第26号に掲載したもの)

“検閲”読書会シリーズ

 昨今の比較的売れてる文化人たちが“外山恒一抜きで”どれほどクダランことを論じ合っているのかを“検閲”し、その軟弱ヘナチョコぶりを高みから嘲笑する趣旨の読書会である。

 ① 森元斎『アナキズム入門』“検閲”読書会

 ② 栗原康『現代暴力論』“検閲”読書会

 ③ 東浩紀・市川真人・大澤聡・福嶋亮大・佐々木敦・さやわか
  『現代日本の批評』“検閲”読書会(無料記事)

 ④ 北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智
  『現代ニッポン論壇事情』“検閲”読書会

 ⑤ 北田暁大・白井聡・五野井郁夫
  『リベラル再起動のために』“検閲”読書会

“精読”読書会シリーズ

 上記“検閲”読書会シリーズとは異なり、ケンキョな気持ちで臨む読書会である。主に絓秀実・千坂恭二・笠井潔といった偉大な先人たちの著作に学ぶ。

 ①絓秀実『1968年』超難解章“精読”読書会

藤村修氏との“時事放談”シリーズ

 紙版『人民の敵』の人気(かどうかは知らんが、まあおおむね高評価)コンテンツだった、福岡在住の天皇主義右翼(!)である藤村修氏との“時事放談”シリーズ。藤村氏は私と同い年で1970年生まれ。ファシストとなった現在でこそ“右方面の友人知人”もだいぶ増えたが、藤村氏は私がまだ“異端的極左活動家”だった頃からの、数少ない(他には東京の大石規雄氏ぐらい)そっち方面の友人で、しかも政治的・思想的な諸々に関して当時からなぜか、他の多くの左方面の友人たちを差しおいて“最も意見が合う同世代”だった。
 毎回あちこち話題が飛ぶので、全体を一言でまとめるキャッチーなタイトルはつけにくく、以下“日付”のみの味も素っ気もない標題になっているものもあるが、「もくじ」に小見出し一覧があるので参考にしていただきたい。

 ① 2014年10月22日の時事?放談
  「AKBと現代資本主義」
   (紙版『人民の敵』第2号に掲載したもの)

 ② 2015年11月26日の時事放談
  「しばき隊“闇のキャンディーズ”事件を語る」
   (紙版『人民の敵』第15号に掲載したもの)

 ③ 2016年6月2日の時事放談
  「しばき隊リンチ事件を語る」
   (紙版『人民の敵』第21号に掲載したもの)

 ④ 2016年12月3日の時事放談
  「“総しばき隊化”するリベラル派」
   (紙版『人民の敵』第27号に掲載したもの)

 ⑤ 2017年6月8日の時事放談
  「ファシスト&天皇主義者、Fラン国家ニッポンを憂う」
   (紙版『人民の敵』第33号に掲載したもの)

 ⑥ 2018年4月25日の時事放談
  「〝いい人〟安倍ちゃんは政治家には向いてない」
   (紙版『人民の敵』第42号に掲載したもの)

 ⑦ 2019年6月9日の時事放談

 ⑧ 2019年12月12日の時事放談
 「進次郎を総理にしてサミットから追放されよう!」

運動史発掘インタビュー・シリーズ

 ① 日本で起きた知られざるスクウォット(建物占拠)闘争(無料記事)
   (紙版『人民の敵』第16号に掲載)
 有川理(ありかわ・おさむ)氏は熊本の企業経営者である。67年生まれで、外山の3つ上ということになる。外山は90年代半ばに知り合い、実は有形無形のさまざまな支援をしてもらってもきた。インタビュー中でも明らかにされているが、東大在学中に一瞬(1年間ほど)中核派の活動に参加したこともあるそうだ。ちょうど外山と知り合った前後から、熊本で有川氏が経営するレストランは成り行きでインディーズ系?の結婚式場に路線変更していく。
 06年、当時の熊本県宇城市長が、有川氏の経営手腕を見込んで、どうにも使い途がなくて困り果てている、バブル期につい県が地元に建ててしまった前衛建築「海のピラミッド」をどうにか活用してくれと泣きついてくる。有川氏は話に乗り、熊本駅から電車で1時間のまさに僻地にあるそのヘンテコ物件を、“西日本最大級のクラブ”としてリニューアルし、驚いたことに毎週末、数百人の若者たちがつめかける謎の新名所へと、あっというまに変貌させてしまう。
 大成功、のはずである。
 が、やがて有川氏の試みを後援していた市長が失脚、新しい市長は、前の市長がやったことをことごとく忌み嫌い、“西日本最大級のクラブ”も当然、目の敵にされ始める。以後、なぜか(屋内に)ゲバラやマルコムXやレーニンの肖像が飾られ、「想像力が権力を奪う」などのスローガンが大書されていたりする「海のピラミッド」は、2012年11月の強制代執行(!)による退去に至るまで、事実上の“スクウォット”状態となる。
 この奇人・有川氏のそもそもの生育歴から、本題の“「海のピラミッド」スクウォット闘争”の一部始終まで、根掘り葉掘り、徹底的に訊いてみた!

 ② 90年代後半の東北大ノンセクト?自治寮委員長に徹底インタビュー
   (紙版『人民の敵』第28号に掲載)
 松本勝巳氏は74年生まれで、長崎県佐世保市の高校を卒業後、1浪を経て94年に東北大に入学する。高校時代からうっすらと左傾し初めていた松本氏は、たまたまパンフレットを手にして住み始めた「日就寮」(もちろんいわゆる“自治寮”である)の独特の(笑)雰囲気にも完全に感化されて、ほとんど入学するなり東北大の熱心な学生運動家の1人となる。95年にはその日就寮の寮委員長も務めている。99年春に卒業し、就職で福岡市に移住した。
 標題に「?」を付したのは、松本氏は主観的には“ノンセクト”(無党派)の活動家だという自己規定で一貫していたのは間違いない事実であるようなのだが、話を聞けば聞くほど、「いやいやそれは客観的には“ほぼ中核派の人”なのでは?」という気がしてくるからである。つまり単に“入党”して正規メンバーとはなっていなかったというだけで……。そこらへんは松本氏自身も、回想しているうちにだんだん自覚が出てくる流れになっている。
 ただし、4回生だった97年に法政大の松本哉の運動を知って大いに影響を受け、“自主学園祭”めいたイベントを開催し始めるなど、ようやく“普通のノンセクト”っぽい側面も出てくる。

「素人の乱・前史」山下陽光インタビュー(無料記事)
  山下氏は、松本哉と並んで素人の乱の“もう1人の中心人物”であり、素人の乱を始める以前に彼が10年近くにわたって高円寺で展開してきた一種の(しいて云えば)前衛美術運動は、素人の乱の運動の展開や作風を大きく規定した。
 というか実態としては、そもそも高円寺には山下氏を中心とした、独特のセンスを共有するそうした若者たちのシーンが2000年代前半に形成され、そこに、それまで別の場所でやはり数年の年月をかけて独自の運動展開をしてきた松本氏が合流してくる形で、素人の乱が誕生するのである。
 にも関わらず、素人の乱はたいてい、例えば毛利嘉孝あたりがやっていたように、要するにしょーもない凡庸な左翼的文脈に回収する意図のもとに語られがちで、山下氏に象徴されるような文脈はハショられてきた印象があり、インタビューに同席している小笠原慶太氏やノラネロ氏ら、素人の乱のむしろ非左派的・非政治的な部分と親しくしていた私はそのことに大いに違和感を持っていた。
 この、2009年6月のインタビューは、そのあたりを私なりに形にしたいという思いからおこなったものである。

 ④ 『ブードゥーラウンジ』への道
  (“福岡音楽シーンの重鎮”ボギー氏インタビュー)
 インタビューは2020年2月7日におこなわれた。
 ボギー氏の長年の活動の成果として、福岡の音楽シーンの現在がどれだけトンデモないことになっているのかについては、2020年1月に刊行されたばかりの鹿子裕文氏のレポート『ブードゥーラウンジ』(ナナロク社)に活写されている。同書はどちらかと云えば、〝現在〟に焦点を当て、それと直接関係する範囲で〝過去〟のボギー氏の活動史にも多くの言及がある。当インタビューでは、〝現在〟については『ブードゥーラウンジ』を読めば分かるのだから、そこに書かれた以前の諸々、つまりボギー氏が音楽に目覚め、路上デビューし、またステージにも立ち、90年代初頭の福岡のオルタナ系ロックのシーンの中から、ボギー氏が単に演じ手としてのみならず、さまざまなイベントの仕掛人として登場してくる過程に焦点を当てた。
 鹿子氏の本と併せて読むことをオススメする。

 ⑤ 中大ゲリラ祭・縁起(90年代中央大学学生運動史)
 中央大に92年から97年まで在学し、いわゆる〝赤C(あかしー)〟つまり本来はブント(共産主義者同盟)系だったものが70年代から80年代にかけて次第に事実上ノンセクト化していった勢力の一員として活動した、72年生まれの樹宇崇二氏に、『全共闘以後』刊行直後の2018年9月17日に、引き続き〝全共闘以後〟の運動史を探るために敢行したインタビューである。
 中大には、93年から09年まで毎年(初期は年に何度か)、「ゲリラ祭」という一種の〝自主学園祭〟が公式の学園祭とは別に開催されていたそうで、樹宇氏もその立ち上げに関わった1人であるという。


劇団どくんご“終演後の打ち上げ”中継シリーズ

 ① 2014年「OUF!」福岡公演2日目(2014年11月9日)
   (紙版『人民の敵』第3号に掲載したもの)

その他

 ① 反共ファシストによるマルクス主義入門
   (紙版『人民の敵』第23号第24号第25号第26号に掲載)
 2014年夏から毎年、学生の長期休暇に合わせて福岡で開催している10日間合宿(初期は1週間合宿)のためのテキストとして執筆したものである。
 合宿では初日にマルクス主義の何たるかを学生たちに1日で理解してもらった上で、翌2日目から、ではそのマルクス主義に基づいて数十年前の学生たちが展開した諸運動がどのように展開したのか、という話が始まる。
 初期の合宿では、エドワルド・リウスというメキシコの風刺漫画家らしき人が書いた『フォー・ビギナーズ マルクス』という本(私が18歳の時に読み、その“1を聞いて100を知る”天才的読解力によって、今から思い返してもそう間違ってはいないマルクス主義理解のもと、その後3年間ほどマルクス主義者となるきっかけとなった本でもある)を、その初日の“マルクス主義入門”のテキストに使用していた。しかし諸事情あって、そのリウスの本に依拠しつつ私が話して付け加えている情報も全部まとめて、いっそ独自のテキストを2016年夏に作成してみたものが、これである。

 ② 自称福岡県警との闘い
   (紙版『人民の敵』第43号に掲載)
 2018年5月、コインパーキングに街宣車を停めて昼寝をしていたら、窓をドンドン!と叩かれ、起きてみると8名ほどの制服警官(もしくは警官コスプレ集団)に取り囲まれていた! まあよくあることなんだが。
 何ら違法なことはしていないのに、いきなり(まあこれもいつものことなんだが)「免許証を見せなさい」と不当要求を始めた警官もしくはニセ警官の集団と対峙し、一歩も退かず、詭弁を駆使……いや華麗な弁舌で警官たちをやり込めて、結局、当然にも免許証など見せてもらえないままスゴスゴと撤退を余儀なくさせるまでの30分強の応酬をノーカットでテープ起こしした、とてもタメになる教育的コンテンツ。諸君もどんどんマネしなさい。

 ③ 余は如何にして東京都知事候補となりし乎
   (紙版『人民の敵』第6号に掲載)
 2007年に書いた〝都知事選回想記〟の前半部で、都知事選出馬を決意するまで、を振り返っている。本篇とも云うべき後半部、つまり都知事選そのものに関する回想期は結局、現在に至るまで書いていない。いずれ書く気はあるのだが、すでに13年も前のことになるし、記憶もほぼ曖昧であり、困ったもんである。
 肝心の都知事選については書いてないわけだが、私の最初の選挙出馬体験である2005年の鹿児島県霧島市議選に関しては詳細に振り返っており、貴重な記録かと思う。また、2002〜04年の獄中でそもそも〝外山流〟の独自の選挙戦術が着想された経緯などについても、これが最も詳細な回想となっている。実は、かの有名な(笑)政見放送も霧島市議選の時にはすでに一字一句あのまま完成しており、したがってその〝誕生秘話〟にも触れられている。

 ④ 1988年の反原発運動・全史
   (紙版『人民の敵』第3839号に掲載)
 単行本『全共闘以後』の「第3章・第3節 反原発ニューウェーブと札幌ほっけの会」にあたる部分の〝オリジナル全長版〟。原稿用紙換算で約290枚の大冒険活劇的ノンフィクションだが、単行本ではたった42枚に圧縮されている。

 ⑤ 『良いテロリストのための教科書』刊行記念トークライブ
   (紙版『人民の敵』第35・43号に掲載)
 2017年9月13日に東京・高円寺のイベント・スペース「パンディット」で開催された『良いテロリストのための教科書』(青林堂!)の〝刊行記念トークライブ〟の模様である。〝司会〟的な役目を〝反体制おもしろ知識人〟を標榜する中川文人氏が務めており、観客として来場していた〝ヘイト・アーティスト〟の佐藤悟志氏も半ば〝ゲスト〟的に発言を強要(?)されている。

 ⑥ 私の〝公有地闘争〟前篇後篇
 主には劇団どくんごの九州各地の公演場所を確保するための、そのような特Aクラスの文化事業に公共の公園を使わせるわけにはいかないと考えてしまうFラン行政の役人どもとの交渉=〝公有地闘争〟を引き受けてきたほぼ全体験の回想録。地味だが意外と面白いのである、〝公有地闘争〟ってのは。

 ⑦ 『全共闘以後』刊行記念トークライブin東京
   (紙版『人民の敵』第47号に掲載)
 2018年9月18日にに東京・高円寺のイベント・スペース「パンディット」で開催された『全共闘以後』(イースト・プレス)の〝刊行記念トークライブ〟の模様である。それぞれ同書の主要登場人物でもある中川文人氏(半ば司会役)、佐藤悟志氏、山本夜羽音氏も登壇している。

 ⑧ コロナ問題の第一人者!? 清義明氏に訊く
 コロナ騒動に際して外山は〝自粛粉砕〟の果敢な闘争を展開した。
 その大きな山場をなした5月1日〜6日の東京・高円寺駅南口広場における〝独り酒闘争〟を終えた翌日、実は外山に〝コロナ恐るるに足らず〟と判断させるに至らせ、かの中川文人氏にも〝令和の立花隆〟とまで絶賛させた、コロナ問題に関する秀逸なツイートさらにはニュース・サイトでのルポを次々と繰り出してきたジャーナリスト・清義明氏にさらに教えを乞うた。

 ⑨ 大著『全共闘』
 コツコツ書き進めている『全共闘以後』の〝続編〟。予定では、「第1部 全共闘以前」「第2部 全共闘」「第3部 全共闘以後」の3部構成となる(第3部の内容は『全共闘以後』とはほとんど重ならない)。大著すぎていつ書き終わるのか見当もつかないので、1章ぶんを書き上げるごとにnoteで切り売りしていく。


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