90年代後半の東北大ノンセクト?自治寮委員長に徹底インタビュー(その2)

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 「その1」から続く〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 松本勝巳氏は74年生まれで、長崎県佐世保市の高校を卒業後、1浪を経て94年に東北大に入学し、まもなく、いわゆる“自治寮”である「日就寮」を拠点とする熱心な学生運動家の1人となる。95年には寮委員長も務めている。99年に卒業し、就職で福岡市に移住した。

 インタビューは2017年1月20日におこなわれ、紙版『人民の敵』第28号に掲載された。
 第2部は原稿用紙換算19枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含む。

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 日就寮と有朋寮

外山 東北大って、寮は他にもいくつかあるんでしょ?

松本 8つぐらいあったかな。

外山 へー、そんなにあるのか。そのうち中核派が拠点にしてるところと、ノンセクトが拠点にしてるところが、それぞれ1コずつあるんだよね?

松本 オレが入った時点では、日就寮がノンセクトで、有朋寮も元々はノンセクト系だったんだけど、ある時期以降は中核派がドバッと増えたっていう。

外山 他の寮は?

松本 明善寮っていうところが本来は東北大の寮自治運動の中心だったらしいんだけど、建て替えられて全室個室になって、自治が崩壊して全然闘わない寮になってしまった。

外山 それはいつ頃の話だと聞いてるの?

松本 だいぶ昔だと思う。80年代半ばとかじゃないかな。それ以降は日就寮が中心になった。有朋寮はそもそも民青(=共産党)の拠点で、ずっと“闘わない寮”だったんだけど、92年にその民青自治会を追放して、ノンセクトの“闘う自治会”が誕生したんだよ。1人の寮生がかなり優秀な活動家で、そういう改革を中心的に担ったらしい。ただ有朋寮には当時、2年間しか在寮できないっていう規則があって、オレが94年に日就寮に入った時に、その人も日就寮に移ってきた。その後は有朋寮にも“2年間”という規則はなくなるんだけど、あっというまに中核派の拠点にされてしまう。

外山 松本君が入寮した時点では、どれぐらい前の先輩たちから残ってることになるのかな? さっきの“核燃料輸送阻止闘争”の話(後註.「その1」冒頭部参照)を直接聞けたということは、“89年”の代はいるんだよね?

松本 うん、“89”の人たちはいた。一番古い人としては、“84(はちよん)”が1人いたなあ。それから3年空いて“87(はちなな)”も1人いて、その人は医学部だった。“84”の人は中核派で、今はもう亡くなってるらしい。

外山 その中核派の人は、何度も受験して入り直して拠点を維持してたような人?

松本 いや、たしか単にずっと粘って学籍を維持してる人だったと思う。休学とか留年の制度をフルに活用すれば最長で12年いられるはずだよ。……とにかく“84”と“87”が1人ずついて、あとは“89”が何人か残ってて、それから“90(きゅうまる)”の中に大山尚行さんがいましたね。

外山 誰それ?

松本 今の中核派全学連委員長。

外山 今は齋藤(郁真)君でしょ。その前は織田(陽介)君。

松本 そっか。じゃあ今やもう、だいぶ前の委員長ってことになるのか。

外山 織田君も東北大だよね。松本君とも在学期間が重なってるの?

松本 有朋寮が入寮募集停止になって廃寮になる時に(残存抵抗者を06年に強制執行で排除)、最後まで残ってた人じゃないかな。オレが卒業した後の話としてチラッと聞いてるぐらい。


 入学直前の寮食堂闘争敗北

外山 松本君がそのテの運動に関わり始めるのは、つまり日就寮に入ったのがきっかけ?

松本 うん。寮に入るとまず……。

外山 でも寮は8つぐらいあるんでしょ? その中からあえて日就寮を選んだの? それともたまたま?

松本 たまたま。オレが手にした入寮案内パンフがたまたま日就寮のもので、それを読んだらもう「ここに入るしかないな」と思った。で、兄貴と一緒に初めて寮を訪ねてみると、いきなりバリケードが築かれてて……(笑)。

外山 日就寮は大学のすぐ近くに建ってるの?

松本 いや、結構遠い。かなり郊外のほうにある。とにかくそこに初めて兄貴と一緒に行ったら、兄貴が、「こんなところに住むのは、いくらなんでもお前が可哀想だ」とか云い出した(笑)。

外山 “学生運動がどうこう”ってことではなく……。

松本 ただ単にオンボロすぎるから(笑)。兄貴はそれがバリケードだってことも分かってなかったでしょう。

外山 木造なの?

松本 いや、鉄筋。建てられたのは74年ぐらいだったと思う。

外山 その道の人たちが云うには(『デルクイ02』掲載の三浦哲史氏インタビューなど参照)、寮問題では「旧寮」とか「新寮」とか「新々寮」とかって区分用語があるらしいじゃん。

松本 それで云うと日就寮は新寮。有朋寮は木造で、建て替える話がずっとあって、その時に新々寮にするという当局側の意向を受け入れるわけにはいかないってところで長いこと揉めてた。で、日就寮では例の“食堂問題”があって、オレが入った時期はちょうど寮生側が敗北した直後で……。

外山 それはどのくらい続いてた闘争?

松本 “負担「区分」闘争”の後だから……(区分そのものが不当だとの意味で寮生側はカギカッコを用いていたらしい)。

外山 ん? また新しい用語が出てきたね(笑)。それは何?

松本 たしか86年だったと思うけど、寮の暖房がストップされたんだよ。寮の暖房費をどこまで大学側が負担するか、その比率の問題で揉めてて、つまり大学側としては、共用スペースの暖房費は負担するけど、個々の寮生が使う部屋については負担しないって云い出した。寮生側は、寮は全部共用であって“私的に”使用してるスペースなんかそもそも存在しない、っていう論理で抵抗を続けたんだけど、結局は交渉がまとまらずに暖房費は全額カットされてしまった。
 その後に今度は“食堂問題”が出てきたはずだから、80年代後半からだね。元々は8人ぐらいの“公務員炊フ”がいたんだけど、どんどん減らされて4人になって、最後はさらにその4人を寮生側で雇うようにしろって当局が云い出したんだったと思う。オレの入寮時点では全員もう“寮生雇い炊フ”(後註.「その1」で註記したとおり、炊夫の“夫”の字が性役割分担を自明視する差別表現として忌避され、カタカナ表記されていたとのこと)だった。

外山 そういうふうに“決着”したのが、つまり松本君が入学する直前、と。

松本 そうだね。

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