外山恒一&藤村修の時事?放談2014.10.22「AKBと現代資本主義」(その3)

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 「その2」から続いて、これで完結〉
 〈全体の構成は「もくじ」参照〉

 福岡の“外山界隈”が誇るインテリ右翼の藤村修氏との対談シリーズの、実はこれが第1弾である。2014年10月22日におこなわれ、紙版『人民の敵』第2号に掲載された。
 現在まで約半年おきに続けている藤村氏との“時事放談”シリーズとは違って、フツーの意味での時事ネタはほぼまったく登場せず、ひたすら藤村氏の“アイドル論”を開陳してもらっている。藤村氏は2011年頃から可哀想にドルヲタ化し、以来その病状は悪化するばかりである。
 しかしインテリというものは、そういった恥ずかしい趣味に関する諸々についても、つい分析的に、さらには思想的・政治的に語ってしまうものでもある。そしてインテリ右翼・藤村氏のアイドル論、めっぽう面白いのである。

 第3部は原稿用紙換算26枚分、うち冒頭10枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその10枚分も含む。

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 演歌もアイドルも“苦労人”ぶりを売る

外山 どうして下層階級はアイドルにハマるの?(後註.「その2」有料部分で、藤村氏がアイドル・ファンの大半は経済的下層階級だと論じている) まあ下層だからってみんながみんなそうってことではなくて、長渕に行く人もいるだろうけどさ(笑)。

藤村 アイドルを追っかけて全国各地に遠征するような人は裕福なんだろうけど、おれは彼らとはあまり知り合いじゃないから何とも云えない。一部にはそういう裕福な人もいるけど、大半は下層の貧乏な人たちだと思う。演歌だって最初から保守的で裕福な人たちが聴いてた音楽ではなくて、『「日本の心」神話』でも演歌はもともとアウトローや反体制派のものだったと書いてあって、それがそうではなくなる契機の一つとして小柳ルミ子を挙げてる。おれはそこにはちょっと違和感があるんだけど、小柳ルミ子って“演歌”って見られてたのかな?

外山 ぼくは演歌のイメージで見てたよ。

藤村 「瀬戸の花嫁」とかも?

外山 今改めて聴くと音楽的には演歌じゃないけど……衣装とか見た目が演歌っぽかったのかなあ、やっぱり演歌だと思ってたよ。

藤村 同世代だから「瀬戸の花嫁」の印象はないでしょ。おれらの世代は小柳ルミ子といえば「お久しぶりね」で、ちょうど当時『白蛇抄』って映画かな、ヌードになったって話題になって、セクシー路線の、最近なら杉本彩に近いような……。もともとダンスも上手い人だし、紅白でも際どい衣装でエロいダンスをしてた。

外山 うーん……そういう“大人の女”みたいなのが演歌っぽかったのかな?

藤村 でも最初は“清純派”ってイメージで売ってたわけでしょ。宝塚出身だし。それが“演歌”ってカテゴリーで見られるかなあ。でもまあ『「日本の心」神話』は相当しっかりした研究書だから、この人がそう云うんならそうだったのかもしれないけど、ただこの輪島(裕介)さんって著者はおれらより若いんだよね。4歳若い。

外山 だけどやっぱり小柳ルミ子は演歌のイメージだったと思うよ。

藤村 そうなのか。

外山 もちろん改めてよく聴いたら音楽ジャンル的にはまったく演歌じゃないとしても。

藤村 だけど例えば北島三郎の「兄弟仁義」みたいに、何だっけ、“親の血を引く……。

外山 “親の血を引く兄弟よりも固い契りの義兄弟”(笑)

藤村 つまり実の家族関係よりもアウトローの団結の方が大事だって歌でしょ。それに対して「瀬戸の花嫁」は“父さん母さん大事にしてね”とか歌ってる。

外山 だけど一方でそういう“ふるさと”みたいなイメージもやっぱり演歌っぽいじゃん。

藤村 うん。だからまあ、輪島さんが書いてるように、演歌はそういう形で体制側に馴致されていったのかもしれない。アイドルの場合はシステムとして体制に取り込まれるんだけど……。“総選挙をやるんだ”と云われたらファンはそれ自体を疑うことはできないし、運営側を批判することはあったとしても運営そのものを否定するってことにはならないから、完全にアウトローにはならない。

外山 藤村君の云う“演歌とアイドルの相似”で、その“アウトロー性”ってとこだけが今ひとつピンとこないんだよなあ。さっきの「でんぱ組」ならまあ、引きこもりとかオタクとか、ある意味では“アウトロー”的な側面を前面に打ち出してるってことなのかもしれないけど、アイドル全般がそういうわけではないでしょ。

藤村 たしかにおれの整理の仕方だとロック・ミュージシャンもアウトローってことになっちゃうか。あらゆる表現者、表現の欲望を持ってる人たちはみんなアウトローだってことになっちゃう。じゃあロックも演歌だ、ってことにはならないし……。
 『「日本の心」神話』では藤圭子は演歌の始まりの1人であると同時にアイドルの原型でもあるってされてる。アイドルというのは自らの生きざまを商品化する人であるってのが、最初読んだ時にはピンと来なかったんだけど、藤圭子の場合は“アウトロー”っぽさというか、ある種の“不遇な人生”を歩んできたというイメージを売りにしてたというか、“キャラ設定”にしてて、そんなふうに何らかのキャラ設定の上で自らを商品化するのが“アイドル”である、と。そういう意味で藤圭子こそまさに“アイドル”の原型だったという話なんだけど……。

外山 演歌の場合はヤクザ者が主題になったりすることも多いし、“アウトロー性”って云い方でピッタリくるとこもあるけど、藤村君がアイドルと演歌の共通性としてくくり出そうとしてる要素は“アウトロー”というより“苦労人”のイメージなんじゃないかな。

藤村 あ、そうかもしれない。“苦労人”だ。

外山 社会の片隅で“苦労”してる人たち。

藤村 そうだそうだ。“苦労”を経て這い上がるという物語設定。だからアングラっぽい、狭く汚ない会場からスタートするのも……。

外山 “場末”?(笑)

藤村 そうそう。演歌歌手がキャバレー回りしたり、“流し”で酒場回りしたりするイメージと似てる。うん。やっぱりこの4点目の要素は“アウトロー”より“苦労人”という言葉の方がいいな。


 アイドルの“恋愛禁止”は受験生がそうであるのと一緒

藤村 で、次に5点目の“古くさい音楽”ってのは後回しにして、6番目の“精神論”の話を先にするけど、アイドルは例えば“恋愛禁止”でしょ。なぜアイドルは恋愛をしてはいけないのか。一般的には、ファンにとってアイドルは疑似恋愛対象だから、そのアイドルに彼氏がいちゃマズいってことだと考えられてるだろうし、もちろんそういうファンもいるだろうけど。やっぱり“禁止する”ってところに主眼があると思うんだよ。そりゃ小泉今日子が(後註.85年の「なんてったってアイドル」で)歌ったように「スキャンダルはノー・サンキュー」で「イメージが大切」で「清く正しく美しく」がアイドルなんだから、アイドルが恋愛することは望ましくないんだけど、なぜ“禁止する”のかってところがポイントで、それはやっぱりこれまで話してきた“物語形成”に関わってくることなんだ。なんだかんだ云ってもアイドルは“可愛い”んだから彼氏の1人や2人いて当然なんだけど……。

外山 分かった。“頑張ってない”ことになっちゃうんだ。

藤村 そうそう。そういうこと。

外山 色恋なんかに“うつつをぬかしてる”ようでは……(笑)。

藤村 今はまだこんな小さい会場でしかやれないけど、いつか天下を取って武道館でやれるようになりたい、とか云ってるわけだから。

外山 それが彼氏を作ってたりしたら、おまえ何やってんだと(笑)。

藤村 つまり“恋愛禁止”というのは“禁欲”の表現だと見なすべきなんだよ。『AKB48白熱論争』(2012年・幻冬社新書。小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史の座談会本。以下『白熱論争』)の中で中森明夫は「アイドルは現代の巫女であり、何ちゃらかんちゃら」とか、もっともらしいキレイゴトを云ってるけど……。

外山 あの人はそういう言説を紡ぐのが仕事だから(笑)。

藤村 まあね。読んでると中森明夫って人はほんとにズル賢い人だなあと(笑)。むしろ立派でさえある気がする。

外山 立派な“シニカルの人”だよ。

藤村 まったく。話がズレちゃうけど、この本では宇野常寛と、バカで有名な濱野智史の2人が……。

外山 いや、“バカで有名”かどうかはよく知らんが(笑)。

藤村 とにかく一刻も早くアイドル業界からは姿を消してほしいとぼくが切に願っている濱野智史。

外山 そもそも何の人だっけ? 宇野常寛と同じような立ち位置の論客?

藤村 アーキテクチャ論か何かが専門の人。

外山 人文社会系の若い論客だよね、もともとは。それが突然AKBにハマってアイドル論を書き始めたの?

藤村 アタマがオカしくなって(笑)。もともとは……(と本棚を漁り)こんなとこで浅田彰と一緒に登場してたりするんです。

外山 ん? ああ『思想地図』か。

藤村 まあこの人の話は後回しにしよう。それで何の話だっけ。あ、“精神論”だ。だからアイドルの“恋愛禁止”は“精神論”の文脈で考えるべきことで、自分たちが努力してるってことの表現の一つなんだ。

外山 要は受験生が“恋愛禁止”なのと一緒って話だね(笑)。

藤村 “恋愛禁止”をわざわざ公言することによって努力の物語性が強化されてるわけです。演歌の“苦節何年”と本質は一緒。ただし演歌は“苦節15年”でもかまわないんだけど、アイドルは15年も“苦節”してちゃマズい。

外山 そうだね(笑)。


 “国民的アイドル”なんか成立しない時代

藤村 だからファンは焦る。なんとかして彼女たちが若いうちに全国的な存在にまで押し上げなきゃいけない。ただしこのファンの夢は百パー叶わない。なぜなら今はAKBですら“全国的”な、あるいは“国民的”なアイドルではないでしょ。そんなキャッチフレーズが通用するのはAV業界だけだよ。元アイドルがAVに出る時だけ、そんな大したアイドルじゃなかったとしても“あの国民的アイドルが”って堂々と使える。

外山 ぼくもさんざん云ってるように、今のヒットチャートは売れてる実数じゃないもんね。1人で何枚も同じCDを買わされるようなシステムのものだけがトップ10入りする。

藤村 あるいは紅白歌合戦の視聴率が今や50%を切るんだから。昔はそんなこと考えられなかったでしょ。いつだったか“ついに50%台にまで落ちた”ことが衝撃だったぐらいなんだし。59.2%だったかな。

外山 昔は国民の8割ぐらいが見るものだったからね。今は何%ぐらいなの?

藤村 それでも40%台でしょうね。とにかく大晦日に家族揃って紅白を見るっていう文化がなくなったわけで。

外山 たぶんあれだな。もし一連の選挙制度改革がおこなわれずに、昔と同じように不在者投票の要件も厳しく、期日前投票とかさせず、投票時間も夕方5時ぐらいで締め切るっていう“正しい選挙制度”が続いてたとして(後註.投票時間はべつに20時までであっても問題はない。他の論点については「九州ファシスト党〈我々団〉の選挙制度改革案」参照)、その場合の国政選挙の投票率と紅白の視聴率はほぼ同じぐらいで推移してるような気がするな。

藤村 あ、そうだね。それは面白い視点かもしれない。しかもかなり因果関係がありそうな話だし。因果関係というか……。

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