北田暁大・白井聡・五野井郁夫『リベラル再起動のために』“検閲”読書会(2018.10.14)その1

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 すでに公開した森元斎『アナキズム入門』(ちくま新書・2017年)、栗原康『現代暴力論』(角川新書・2015年)、東浩紀ほか『現代日本の批評 1975-2001』(講談社・2017年)および『現代日本の批評 2001-2016』(同)、北田暁大ほか『現代ニッポン論壇事情』(イースト新書・2017年)に続く「“検閲”読書会」シリーズの第5弾である。『アナキズム入門』読書会『現代暴力論』読書会はnoteで有料公開、『現代日本の批評』読書会および『現代ニッポン論壇事情』読書会はweb版『人民の敵』で無料公開した。
 この北田暁大・白井聡・五野井郁夫の共著というか座談会を単行本化した『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版・2016年)の読書会は、2018年10月14日におこなわれ、紙版『人民の敵』第46号に掲載された、比較的新しいコンテンツだが、とりあえず「“検閲”読書会」シリーズをすべて公開してしまうことにする。
 このシリーズでは毎回そう注記しているとおり、まず『リベラル再起動のために』の実物を入手し、「第一章・黙読タイム」などとしてある箇所で読者諸君もいったんパソコンやスマホの画面から目を離し、テキストを読んでから画面に戻って続きを読む、というのが、自身もまるでこの読書会に参加しているかのような臨場感が楽しめる、このシリーズの最も正しい読み方である。

 読書会参加者というか“検閲官”外山の他、外山と同世代でほぼレギュラー的な福岡在住の天皇主義右翼・藤村修氏、ほとんど喋らないが九州ファシスト党〈我々団〉の東野大地、「その3」から参加する福岡在住の劇評家・薙野信喜氏(御年72歳!)である。

 第1部は原稿用紙換算22枚、うち冒頭7枚分は無料で読める。ただし価格設定(原稿用紙1枚分10円)にはその7枚分も含む。
 なお、全体の構成は「もくじ」参照。

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  “検閲”の主旨

外山 昨今の軟弱ヘナチョコ知識人どもを次々とアレしていく“検閲読書会”を久々にやります。これまで、ウェブ版の『人民の敵』では、東浩紀や北田暁大といったポストモダン系というか現代思想系というか、同世代知識人のいわば主流派どもをエジキにし、紙版の『人民の敵』では栗原康や森元斎といった、これまた昨今ショーケツを極めている“メンヘラ・アナキズム”系の若い論客たちを叱り、次はどの方面に襲いかかろうかと迷っていたんですが、やっぱり“リベラル系”というか、“シールズ同伴知識人”あたりかなあと思い始めていたところ、なんと向こうから、五野井郁夫なる、まさにシールズ絶賛派のFラン政治学者がツイッターでぼくに突っかかってきたんで、ちょうどいいや、ミノホドを思い知らせてやるかということで、五野井の本を何か、『「デモ」とは何か』(NHK出版・12年)あたりをやりましょうと提案したわけです。そしたらソッコーで藤村君から“そんなの読むだけ時間のムダだ!”と強硬な反対意見が出て(笑)、では妥協案として、前にも検閲した北田暁大が重複してしまいますが、『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版・16年)という、五野井と北田暁大と白井聡による鼎談の本をやることにしました。
 これを選んだ理由はもう1つあって、実は近々(11月26日)、東京で白井聡との対談イベントをやることになってるんです。その“予習”というか、かつ、できれば実際に会って話す前に今回の読書会をテープ起こししてウェブ版『人民の敵』にアップして、こっちの“手の内”をいっそ白井氏に前もって明かしてしまおうと思ってます。あらかじめこっちの問題意識というか、こっち側は白井氏の主張のどこに疑問を持ち、どこに同意するか、事前に向こうに伝えておいたほうが当日の議論も盛り上がるんじゃないか、と。当日、まずはお互いの立場を探り探り対談を始めるより、そっちのほうが手っ取り早い気がする。……とまあ、そういう個人的な動機もあります(後註.結局テープ起こしが遅れてイベント当日までにアップできなかったので、こうして紙版『人民の敵』用のコンテンツとした次第である)。
 「はじめに」も読んだほうがいいのかな? まあ一応、読んでおきましょうか。


 リベラル転向した白井聡にレーニン主義者の面影なし?

 (白井聡「はじめに」黙読タイム)

外山 やっぱりフツーに“リベラルなこと”を云ってますね。会う前になるべく読んでおこうと思って、白井聡の著作はすでに、とりあえず単著は全部入手して、今ちょうどデビュー作の『未完のレーニン』(講談社・07年)とかを読み進めてるところなんです。そっちではもっと原則的で過激なことを云ってるのに……。

藤村 やっぱり元々は過激な人なの?

外山 過激というか、レーニンの外部注入論(労働者たちの中からは、放っといたら“賃上げ”とか“労働時間短縮”とか、職場環境改善の要求とかしか出てこないので、マルクス主義者たちの“党”が、“革命をやるしかないんだ”という社会主義イデオロギーを、労働者組織の“外から”注入してやらなきゃいけないんだ、というレーニンが云い出した路線)の“正しさ”とかを論じてますよ(笑)。

藤村 「叛乱論研究会」っていう長崎浩の……。

外山 笠井潔が主宰してる勉強会ですね。

藤村 (69年に『叛乱論』を上梓した)長崎浩自身も参加してて、テキストに『未完のレーニン』が取り上げられた時に、長崎浩は結構厳しく批判してたという話をネットで読みました。まあ当然だよね、長崎浩も『オルガン』左派というか、“マルクス葬送派”陣営の1人だったんだから(笑)。白井聡もその場にいて、うまく反論できずにシドロモドロになって、それ以来、叛乱論研究会には来なくなったって(笑)。
 ……ぼくは『永続敗戦論』(13年・講談社+α文庫。白井の“ブレイク”作と云ってよかろう)以降しか読んでないんで、よく知らないんだけど、そのエピソードをネットで読んで、やっぱりそもそもは“本格的なレーニン主義者”なんだろうなあと、おぼろげに思ってはいたけどさ。

外山 ぼくも今日の読書会の前提になるだろうと思って、『永続敗戦論』を先に読んでおきました。つまり遡って『未完のレーニン』を読んでるところなんだけど……『永続敗戦論』には『未完のレーニン』の面影がないね。

藤村 『永続敗戦論』の「あとがき」でも、“戦略的に書いた”というようなことを云ってたもん。例えば、福田恒存とか江藤淳の名前を出して、“昔の保守論客は偉かった”みたいなことをコトサラに書いてたでしょ。ほんとは“偉い”とか思ってるはずないんだ(笑)。
 ……しかし、この「はじめに」で出てくる“認知症”の人の話は、ちょっと疑問だな。「認知症患者の介護施設に、かつて新聞記者を務め、新聞社の重役にまでなっ」て、「自分がまだ新聞社に勤めていると思っている」人がいて、それは違うと指摘すると「怒りだし、手がつけられなくなる」ので、施設の人たちがその「妄想に付き合ってあげることにし」て、そしたら機嫌が良くなって、「大人しく言うことを聞いてくれるようになった」っていう。白井聡は、安倍ちゃんもこの老人と一緒だ、と云ってるわけです。安倍ちゃんがワケの分かんない妄言を連発するのに対して、官僚とかもそれに付き合ってあげていて、その結果、マズいことになってる、と。
 でも実際はちょっと違ってて、安倍ちゃんは天然で妄言を連発してるんじゃなくて、そうしていれば周りが合わせてくれることを分かっていて、つまり確信犯で、わざと「認知症患者」のフリをしてるように、ぼくには見えます。麻生さんとかは、介護が必要な人かもしれないけどさ(笑)。安倍ちゃんの場合は、“わざと”やってるフシがあって、そのことに周りの人間が気づかずに、安倍ちゃんに合わせてあげてる状態だと思う。麻生の認知症に周りが合わせて、それで麻生もますます調子に乗る、っていう様子を間近で見てるうちに、安倍ちゃんも“これはイケる”と判断して、わざとやってるフシがある。つまり白井聡の見方は、ちょっと甘いんじゃないかと。


 レーニン主義者なら“野党共闘”に反対すべし

外山 まあよく分からないんで、第1章を読んでしまいましょう。……結構長いね。でも読みやすい本みたいだから、いいかな。

 (「第一章 左派陣営の仕切り直し」黙読タイム)

外山 第2章以降でどうなるか分からないけど、ほとんど白井と北田で喋ってて、Fランの五野井は置いてけぼりになってますね(笑)。

藤村 そういう印象は非常に強い。

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