絓秀実『1968年』超難解章“精読”読書会(2017.4.9)その1

 【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】

 絓秀実氏の『1968年』(06年・ちくま新書)の“精読”読書会(の一部)のテープ起こしである。
 2017年4月9日におこなわれ、『1968年』の中でも最も難解だと思われる「第四章」と「第五章」を対象としている。紙版『人民の敵』第31号に掲載された。
 絓氏の『1968年』の現物をまず入手し、文中に「第何章第何節・黙読タイム」とあったら自身もまずその部分を読んでから先に進む、という読み方を推奨する。

 第1部は原稿用紙15枚分、うち冒頭7枚分は無料でも読める。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)にはその7枚分も含む。
 なお、全体の構成は「もくじ」参照。

     ※     ※     ※

  “新書”にあるまじき難解な本

外山 では始めましょう。2月から始めたこの“週イチ読書会”は、初回からまずは絓秀実の『1968年』をテキストとして、とにかく“新書”にあるまじき難解な本なので、ゆっくりゆっくり、だいたい毎回1章分ずつ読み進めて、途中に(第6回)“学生向け教養強化合宿”(2017年3月1〜10日)を挟んで中止とした週もありつつ、“合宿”直後の3月12日までの計3回で「第一章 先進国の同時多発的現象」、「第二章 無党派市民運動と学生革命」、そして「第三章 『華青闘告発』とはなにか」まで進んできました。3回とも、わが福岡“我々団界隈”が誇る“インテリ右翼”藤村修君が参加していたんですが、3月19日、26日は“ちょっと予定があって”参加できないとのことで、“ちょっと”というのはおそらく、あまりにも革命的すぎる用事なので官憲等の目を憚って詳しいことは云えないということで、まさか“AKB的な何か”にウツツを抜かすためではありますまい(笑)。
 で、実はこの『1968年』という本、そもそも全体的に難解なんですけど、とりわけ「第四章」がそうで、近年の絓さんの主張はだいたい理解しているつもりであり、しかも都知事選前の05年以来、20回か30回ぐらい本人に直接お会いしていろんな話もして、今ではたぶん、もともと著作を通じて一番強く影響されていた笠井潔よりも絓さんに影響されているような気がするこのぼくでさえ、これまで10回近くこの本を通読していながら、毎回この章だけはどうも理解できた気がしないままになってしまっているという難攻不落の高峰で、今回の読書会で藤村君の協力のもと、今度こそ完全にココを理解するぞと意気込んでいたわけです。


 “検閲”読書会シリーズについて

外山 ところがその肝心の藤村君が、きっとたぶん何らかの革命的活動のために2回休むと云う。そんなわけで仕方なく、『1968年』の読書会は中断して、ちょっと気分を変えて“最近の若い連中”の書いた“そっち方面”の本をこの機会にじっくり読んでみようか、ということを思いつき、そしたらちょうどぼくも面識のある福岡在住の“哲学者”である森元斎君が『アナキズム入門』(ちくま新書・17年3月)という本を出したんで、3月19日、26日の読書会ではそれをテキストにしよう、ということになりました。
 ところがやはりさすがに絓秀実の本と違って、まあ“良くも悪くも”非常にサックリ読めて(笑)、1日で読み終わってしまい、26日に読む本がなくなってしまった。そこで今度は、森君の『アナキズム入門』の帯に推薦文も寄せてるし、森君とも長らく近しい関係であるらしく、しかも“新進のアナキスト論客”としてここ数年そこそこ売れているようで、ぼくもあちこちでしょっちゅう名前を聞く気がしてた栗原康って人の何か新書を、ってことで『現代暴力論』(角川新書・15年)を26日にやることになったわけですね。こっちも森君の本と同じように1日で読めるだろうと思ってたんですが、たぶん同じような厚さに見えても活字が小さくて分量が多かったんでしょう、1日では終わらず、せっかくなんで翌週4月2日も続けて『現代暴力論』を読みました。
 森君の本も栗原康の本も、これはウソ偽りなく“最初から批判するつもりで”読んだわけではないんですが……正確に云うと、批判せざるをえないだろうと予想はしつつも、先入観を排して公平に公正に読んだつもりなんですが、案の定というか、やはり“我々団界隈”のラジカルな思想水準からすればオハナシにならん“軟弱ヘナチョコ本”だったので、結果としては文字どおり“酷評”することになってしまい、その模様は紙版『人民の敵』の第29号第30号、そして近々出す第31号(本号)でテープ起こしして“完全再現”してあります(後註.『アナキズム入門』読書会『現代暴力論』読書会もすでに「note」でも公開済み)。“89年”以来の“歴戦の活動家”で、かつその当初からの著述家でもある私は、相変わらず日本のド3流出版界ではまったく相手にされておらず、今なお新書の1つも出せずにいる不遇をかこっているということもあって、後進の“軟弱ヘナチョコ文化人”の著作を“ちゃんと”こき下ろす体験は非常に良い腹いせになることに気づき(笑)、今後も時々そういう云わば“検閲モード”の読書会もやっていこうと決めつつ(後註.東浩紀らの『現代日本の批評』読書会、北田暁大らの『現代ニッポン論壇事情』読書会、同じく北田暁大らの『リベラル再起動のために』読書会もすでに公開済み)、今回は“通常モード”に戻って、前回からまた藤村君も復帰したことだし、絓秀実『1968年』の懸案の「第四章」以降をやります。


 読書会参加者紹介

外山 今日は、先日の“学生合宿”の参加者で、3月19日の『現代暴力論』読書会にも参加して『人民の敵』第30号のテープ起こし(後註.上記のとおり、すでにnoteでも公開済みの『現代暴力論』読書会のこと)では発言順でとりあえず“D嬢”としといた福岡の若き期待の高校生と、同じくやはり先日の合宿の参加者で、合宿中に“アナキズム”に目覚めてしまったらしい(“E氏”まで登場してるのでここでは仮に)F嬢、この春に京都の大学を卒業して今は大阪で働き、大阪で千坂恭二氏がやってる月イチ学習会にも参加し始めたというF嬢が、合宿中の“忘れ物”をわざわざ関西からはるばる回収しにきたついでに、参加しています。『1968年』は合宿でもテキストに使ったんですけど、繰り返すように「第四章」そしてそれに次ぐぐらい最終「第五章」も難解すぎて、とりあえずは“初心者向け”である合宿ではテキトーに流し読んだにすぎないんで、改めてじっくり読んでみるのもいいでしょう。
 あと、今日の読書会も録音して後でテープ起こしをし、『人民の敵』に載せることになると思います。ほんとはもう出てなきゃいけない4月1日付発行の第31号は、先週の『現代暴力論』読書会・後篇のテープ起こしと、千坂恭二の“68年”体験についてじっくり聞いた昨年末のインタビューとの2本立てにしたいんですけど、そもそも千坂さんインタビューは第28号に載せるつもりで、1月のうちにテープ起こしして“チェックをお願いします”と渡してあるのに、もう2か月以上も経った今なお千坂さんは校正を戻してこない(後註.2019年11月現在まだ戻らない)ので(笑)、28号、29号、30号と編集には苦労していて、31号でも“千坂インタビュー”の代わりに今日のコレを載せることになるんじゃないか、と。それはそれで、栗原康『現代暴力論』の“検閲モード”読書会と、絓秀実『1968年』の“通常モード”読書会との併載ってことになって、いいのかもしれませんけど。
 ……前置きが長くなりました。それではさっそく、まずは問題の「第四章」の「1」を各自、黙読してください。ま、本当にムズカシイのはこの後の「2」のほうなんですけどね。

 (「第四章 ヴァーチャルな世界のリアルな誕生
  1.右翼と左翼の奇妙なコラボレーション」黙読タイム)

ここから先は

3,037字

¥ 150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?