外山恒一&藤村修の時事放談2017.06.08「ファシスト&天皇主義者、Fラン国家ニッポンを憂う」(その1)

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 たぶんそれなりに好評な、福岡の同世代の天皇主義右翼論客・藤村修氏との“時事放談”シリーズの第4回である。2017年6月8日におこなわれ、紙版『人民の敵』第33号に掲載された。
 “時事放談”と銘打ちつつ、外山の極端な政治的無関心(議会政治への完全なる無関心)と、藤村氏の野間易通氏への特殊な関心の持ちようから、毎回“しばき隊の話”に終始しがちなシリーズなのだが(それでも、“しばき隊問題”を通して現代社会のさまざまな問題が浮かび上がってくるのだから不思議なシリーズではある)、この回は(まあ比較の問題だが)フツーの時事放談っぽくなっている。

 第1部は原稿用紙換算16枚分、うち冒頭6枚分は無料でも読めます。ただし料金設定(原稿用紙1枚分10円)はその6枚分も含みます。

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 高校時代から浅田彰を愛読していた早熟な藤村氏

藤村 こないだ(6月4日)の読書会のテープ起こし(ウェブ版『人民の敵』で全文公開した東浩紀・他の『ゲンロン』創刊号での座談会「昭和批評の諸問題」の読書会)を読んでたら、オレが浅田彰の『GORO』(小学館・74〜92年)での連載を初めて読んだのは大学生の時だということになってたけど(この後に公開に際して訂正)、実際は高校生の時です。

外山 そうなのか。ネットで調べたら、その連載がおこなわれたのは89年からみたいだから、そういうふうに藤村君のセリフを補っといたんだけど……。

藤村 88年だったはずだよ。だって昭和天皇が御不例の時(“御不例”は、貴人が病に倒れたりすること。具体的には、昭和天皇が吐血して危篤状態となった88年9月19日から、翌89年1月7日の死去までの期間)だもん。オレが初めて読んだ回が連載第1回でもあった。

外山 じゃあ89年のアタマだったのかもしれないね。載ってる原稿は88年中に書いたもので……。

藤村 いや、読んだの自体が88年のうちだったはず。とにかくオレはそれ以来、大学に入学して以降も『GORO』の浅田彰の連載はずっと読み続けてたんだ。隔週の刊行で、毎号とっても楽しみにしてた。浅田彰の連載と、あと「狼たちへの伝言」っていう落合信彦の連載(笑)。その2つを毎号、心待ちにしてたっていう……狂ってるでしょ?(笑)。

外山 そもそも『GORO』ってそういう雑誌じゃないよね(笑)。

藤村 しかし“89年”ってのは外山君が改めて調べたんだろうから、そっちが正しいのかなあ。

外山 89年でも3月までなら“高校生の時”っていう記憶のほうは間違ってないわけだし……(とネットで検索して)あ、出てきた。「浅田彰の超ジャーナリズム・ゲーム」の“第6回”が、89年3月9日号に掲載って書いてある。

藤村 あれれ、やっぱりそう? じゃあ……いや、隔週だから“第1回”は89年のアタマってことになるよね(実際、「89年1月1日号」から連載が開始されたようだ)。雑誌は“1月号”とかだったら、1月に入ってからじゃなくて12月のうちに刊行されるから、オレの記憶も合ってるんだ。

外山 問題解決、と。

藤村 そもそも大学受験の直前の時期だったことは間違いない。

外山 今後は藤村君のことは“高校時代から浅田彰を読んでた人”と云いふらそう。我々の世代にしては東浩紀なみの“早熟なインテリ少年”だったみたいだ(笑)。

藤村 しかし浅田彰がそういう“エロ本”に連載を持っていたという事実は、もっと広く認識として流通すべきだと思う。

外山 ぼくはまったく知らなかったな。

藤村 エロ本に、落合信彦と共に連載を持ってた(笑)。


 昔のエロ本には“読むページ”があった

外山 もうちょっと後の時代になるけど、福田和也も長いことエロ本に連載してたし、少なくとも昔のエロ本って、意外とちゃんとした“読むページ”があったよね。

藤村 もっとも福田和也が連載してたのは……あれは何て雑誌だっけ?

外山 “ウォー”とかいうやつ(福田の「人でなし稼業」はサン出版の『マガジンWOoooo!』および『ウォーA組』に93年6月から05年5月まで連載され、『人でなし稼業』96年・新潮文庫、『乃木坂血風録』01年・同、『俺の大東亜代理戦争』05年・ハルキ文庫としてまとめられている)。

藤村 あれはもう、モノホンの“エロ本”じゃん。

外山 うん。“右寄りのエロ本”って(笑)、福田和也が「あとがき」か何かで書いてた(「『マガジンWOoooo』は『右寄りのエロ雑誌』という、大変斬新なコンセプトのもとに編集されてる。あまりに斬新すぎてめまいを覚える読者もいると思うから、一応解説をさせていただく。/『右寄りのエロ雑誌』といっても、けして『右翼思想を女のハダカをダシにして宣伝する』という意味ではない。『右寄り』とは『小理屈をならべないで勢いよくいく』ということであり、『エロ』とは『体裁や道徳にとらわれずに一番大事なものを見つめる』ということ。つまり『右寄りのエロ雑誌』とは、『肝心なモノをガンガン追い求める雑誌』という意味だね」と『人でなし稼業』の「あとがき」にある)。

藤村 でも『GORO』はそこまで本格的に“まさにエロ本!”ってほどの雑誌じゃなくて……。

外山 『週刊プレイボーイ』と大差ないぐらいの……。

藤村 うん、『GORO』とか『スコラ』(スコラ社・82〜10年)とかは、『週刊プレイボーイ』がもうちょっとエロくなったというか(笑)、グラビアが多少増えたぐらいの、まあかなり“ソフトなエロ本”。『スコラ』にもたしか呉智英とかが連載してたでしょ?

外山 いや、それも知らない(確認できた範囲では、同誌が月2回刊だった82年5月13日号から9月23日号にかけて連載されたものが、『大衆食堂の人々』84年・双葉文庫の「題詠随筆」章に含まれているようだ)。しかし『プレイボーイ』も反体制というか反警察で、オウム事件の時も大手版元の雑誌の中では唯一、まあ『週刊SPA!』も“両論併記”的に頑張っちゃいたけど、『プレイボーイ』は一方的に警察の強引な捜査手法を徹底批判し続けて、ぼくなんか“日本で真に左翼雑誌の名に値するのは『週プレ』だけだ”と当時も今も思ってるし(笑)、“エロ本”ってなぜかそういう側面があったりするよね。


 浅田彰という“新しいアカ”

藤村 とにかくオレにとって最初の“現代思想”は浅田彰なの。もちろん当時は“ニューアカ”とか知らんかったし、『GORO』で初めて存在を知って、「むむ、コイツは何者だ? なかなか侮れない奴だ」って……。

外山 スゴい“新人”が現れたぞ、と。89年段階で(笑)。

藤村 まさに“新人類”だと思ったね(笑)。プロフィールか何かを見ると“ニューアカ”がどうこう書いてあって、当然オレは“アカども”って云う時の“アカ”だとずっと勘違いしてた(笑)。

外山 “アカども”の中の“新しい”タイプ、と。あながち間違ってるわけでもない(笑)。

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