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今日からnote始めます!よろしくお願いします!

どうも皆さま、こんにちは!今日からnoteを始めます。まだまだ初心者なので分からないことも多いですが、初回の投稿ということで、簡単な自己紹介とnoteを始めた理由をお話ししたいと思います!

では、レッツゴー!

1.誕生から中学生くらい

誕生:1994年12月に名古屋で生まれました。誕生後両親の勤務地だった兵庫県に戻りますが、阪神淡路大震災で被災。人生始まっていきなりの試練!

就学前:幼少期は主に京都で過ごしました。京都では約1年ほどモンテッソーリ教育を受けていました。興味のある方はこちらをチェック!

https://studystudio.jp/contents/archives/36795

小学校に上がる前に長野県に移住しました。親が転勤族だったこともありますが、喘息やアトピーなどで苦しんでいた自分のために自然療法を選んだ母には感謝の気持ちでいっぱいです。

小学生:自然豊かな地域にある小さな小学校に入学しました。のどかなところで、毎日のように暗くなるまで外遊びしていました。しかし、そんなある日想像だにしない出来事が起こります。それは越県合併です。当時住所は長野県でしたが、岐阜県との合併により気付いたら岐阜県民に。今から思い返しても衝撃的でした。これは「平成の大合併」とも呼ばれており、平成では唯一の県をまたいでの合併となったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E5%A2%83%E5%90%88%E4%BD%B5

その後、中学生になる少し前に名古屋に戻ります。ここまででもお分かりだと思いますが、なんとも引っ越しの多い人生です。なので、地元と言える場所がなく、出身を聞かれると困ることが多いです。

中学生:小学校のからの繰上りで、そのまま地域の中学校に入学。なので、履歴書に書くとどっちも名古屋市の卒業になってしまい、名古屋出身だと思われますがそうでもありません(笑)中学生は特に多感な時期で、良くも悪くも思春期のベースが形作られました。馴染めずに苦労したことも多いですが、修学旅行で神戸を訪れたのはいい思い出です。

2.高校生

さて、時は流れ高校生になりました!高校では、なんとまた岐阜県に戻りました。何回引っ越しすれば気が済むねん!と突っ込まれそうです(笑)ただ、お陰様で一から人間関係を作るのは割と上手になりましたね。
高校では、部活に勉強に打ち込んでいました。部活はサッカー部でしたが、インターハイで県大会に出場(高校3年次)しましたし、勉強でも常にクラス1位でした(たまに2位だったかも...)。特に英語に力をいれて勉強していて、岐阜県高校生スピーチコンテストでは2年生の時に決勝に進出し、東海大会出場まであと一歩のところまで迫りました。大学受験を控えたときに受けたTOEICでも、750くらい取れたので高校生にしてはできた方だったと自負しています!この頃から留学への思いは漠然と抱いていましたね。

3.大学生

大学は名古屋市内のカトリック系の学校に進学しました。

余談ですが、生まれた病院が大学のすぐ近くです。何かの縁ですかね!

入学当初、高校との違いに戸惑いながらも楽しい学生生活を送っていましたが、ここで人生のターニングポイントがやってきます。
それは、「ニューヨーク一か月滞在」です。

これは、当時の岐阜県青少年育成県民会議が若者の遊学を支援する事業の一環で、“たまたま”応募した結果見事2名のうちの1名に選ばれ、急遽ニューヨークに行くことになってしまったのです。そこで、1年生の夏休み期間を利用して初めての単独渡航を果たします(海外にはその前にも少しだけ行ったことがあります)。何もかもが初めての経験で、それこそ初めてのスマホで使い方もよくわからず、Wi-Fiを求めて彷徨っていました(笑)
滞在当初は早く日本に帰りたいと、初めてのホームシックになっていましたが、それでも帰国前にはむしろ「まだいたい!」と思えるほどに環境に適応しつつありました。一方で、英語に対する自信は完膚なきまでに打ちのめされ、ここから留学への思いが決心へと変わります。

一念発起し、2年生の時にIELTSを受験。スコアは決して高くはありませんでしたが、2年終了時に休学しアイルランドへ初めての留学を果たします。

IELTSについてはこちら!
https://www.eiken.or.jp/ielts/
英国圏への留学や移住を考えている方は必要になると思います!

念願だった留学の夢を叶えましたが、どうにも環境に馴染めず、当初1年間の滞在予定のところわずか4か月で帰国します。理由の一つは、レベルの違い。語学学校の授業内容は正直日本にいても受けられるレベルのもの。だったら、いっそのこと留学先を変えてしまえ!と思い立ち、帰国後すぐにカナダに半年間留学します。
カナダでは、本当に沢山の方の支えもあり充実した生活を送ることができました。一番のハイライトはオーロラを生で見れたことですね!冬のイエローナイフは凍てつく寒さだったので、次は屋内から観察したいという学びを得ました(笑)

カナダの留学プログラムはこちら!
https://www.ualberta.ca/admissions-programs/visiting-student-and-internship-programs/international-visiting-student-program/index.html
いつの間にかプログラムの名前が変わってる...

カナダから帰国後は、ゲストハウスで住み込みで働きながら大学に通ったり、2年間の休学中に同級生がいなくなっていたり、最後の半年間はフランス人と同居したり、怒涛の日々を送って無事に卒業できました!

4.社会人

へんてこな学生生活に終止符を打ち、24歳で就職しました。

あと少しで終わる(はず)なので、しばしお付き合いを

4年生になるときには就活自体するつもりはありませんでした。というのも、何かと貴重な経験を沢山得ることができた学生時代だったので、普通に就職するのは何か違うなと感じていたのです。なので、卒業後は青年海外協力隊や国際NGOなど、「英語力を鍛えて海外で働きたい!」「誰かの役に立ちたい!」と漠然と就職以外の道を模索していました。しかし、明確に「こうなりたい」という姿がなかったので、就職することに。約2か月の就職活動の結果、無事に内定を頂きました。

1年目:新卒で入社した会社は、内定者時代を含め試練の連続でした。社会の厳しさという面もありましたが、何より自分の力不足を痛感しました。新卒入社の同期は400人ほどいましたが、自分の立ち位置は下から数えたほうが早く、苦悩の日々でした。所属は海外事業部だったこともあり、数か月の日本での研修の後に配属国へと派遣されましたが、そこまで心が持ち堪えられたのは多くの仲間がいたからに他なりません。ありがとう。
研修後の配属はベトナムでした。人生初ベトナム!雨期の間は毎日のようにゲリラだし、ご飯は美味しいし、ベトナム人はみんな陽気な人ばかりだけど、仕事はまるで結果が出せず。このまま残るのも結局会社に迷惑をかけることになるし、例え部署を異動したとしてもそれは果たして自分のやりたいことだろうかと悩み抜いた末に、退職を決意。入社からわずか半年でした。

2年目:新卒で入社した会社を退職後、帰国。日本での就職先は特に考えず帰国しましたが、縁あってユニクロに就職。最初は慣れないことばかりで、特に前職とのギャップに苦しむこともありました。それでも、当時の店長やスタッフの皆さんに支えられ、段々と仕事の要領を掴んでいきました。この時初めて「仕事って楽しいんだ!」と思えました。なにせ、前職は自分の意志とは無関係にやらなければいけないことが山積みで、それに振り回されて一日が終わることも珍しくなく、楽しさを会社外に求めていた自分にとって、笑顔で仕事できることに喜びを感じていました(笑)
次の就職までの一時しのぎとして始めたユニクロでの仕事ですが、気付くと1年半ほど経過しており、そのまま働き続けても良かったのですが、ステップアップと新たな環境への挑戦を決意し、退職しました。辛いこと(嫌なこと?)も沢山ありましたが、貴重な経験でした!

現在:社会人3年目を前にして、遂にフリーランスとして独立しました。お仕事はプロフィールに記載の通り、コーチングをしております。こちらについては、次回以降でご説明します!

5.なんでnote始めたの?

さてさて、最後にnoteを始めた理由を簡単に。

理由は大きく分けて2つ。
1つ目:情報発信
これは読んで字のごとくですね。前から興味はあっていつか始めてみたいと思っていましたが、フリーランスになるタイミングで自由に使える時間も増えたので、今後様々な情報を発信していきます!不慣れなことも多いですが、応援よろしくお願いします。

2つ目:文章力強化
普段文章を書くことをあまりしていないので、こういった機会を利用して沢山文章を書いていこうと思います。皆さんにとって分かりやすい表現や読みやすい長さ(今回モリモリに書いてしまってすみません...)を意識して書いていければと思うので、コメントなど頂けるととても嬉しいです!

どんなご意見でも大歓迎です!

ということで、今回自分の生い立ちとnoteを始めた理由を書かせていただきました。簡潔にまとめるつもりが非常に長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!

今後も定期的に更新していく予定なので、また覗いてもらえると嬉しいです!

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