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サカナクション「ナイロンの糸」の歌詞解釈・MVの考察

2019年6月5日、サカナクションのアルバム「834.194」の収録楽曲である「ナイロンの糸」のMVがYouTube上に公開された。

この楽曲、及びМVについて、既にネット上でも様々な考察が行われている。今回、私も私なりに考察を行ったので、こちらの記事を執筆していきたい。

ポイントは、「かつての日々への思い」「転生」「母性」である。


1.背景整理

●アルバム「834.194」
「ナイロンの糸」は、「834.194」に収録される新曲としては、発売前の時点で唯一、各種サービスでの配信や、MVの作成・公開が行われている。それだけ、このアルバムの中で重要な位置を占める曲なのだろう。
逆に言えば、この楽曲の解釈には、このアルバムの持つ意味を理解する必要があると言える。

まず、タイトルについてである。「834.194」という数字は、発表以来様々な予想がなされた。しかし、アルバムの発表と共に行われたツアーで発売されたTシャツが、その意味を確定させた。詳しくは、下記の記事を読んでいただきたい。

こちらの記事にも書かれている通り、「834.194」は、サカナクションが故郷である札幌で活動していた頃に利用していたスタジオと、現在東京で利用しているスタジオの距離であることは、ほぼ間違い無いだろう。

次に、収録楽曲についてである。今回のアルバムの中で私が特に注目したのは、「セプテンバー」という楽曲だ。これは、サカナクションの前身バンド、「ダッチマン」の頃に作られたものである。
そして今回、この楽曲は「東京 version」と「札幌 version」の2パターンとして収録されている。

さて、この2点から推測できることは何か。
それは、このアルバムは『「札幌での活動」と「東京での活動」をテーマとしている』ということである。

このアルバムのテーマから、「ナイロンの糸」もまた、「札幌での活動」と「東京での活動」に関連していると推測できる。


●インタビューを読む
「ナイロンの糸」は、カロリーメイトのCMに使用された楽曲である。
山口一郎さんが、CM、及び楽曲について、以下の記事でインタビューに応じている。

『今回の楽曲となっている「ナイロンの糸」は、まだアマチュア時代の二十歳くらいの頃に、歌詞が付く前の原曲は完成していました。当時、将来も見えていない中で、毎日、釣りばかりしていた時一緒にモラトリアムを謳歌していた仲間がいました。その当時、曲を人前で作ったことはなく、いつも、1人で部屋にこもって作っていたのですが、余りにも、その友人が家に入り浸っていたので、ごく自然に、彼がいることを忘れて、曲を作り始めたんです。その時が、初めて曲を人前で作った経験となっていて、そこで作っていた曲が「ナイロンの糸」になります。』
『何度も、サカナクションでアレンジをして、世に出そうと思っていたのですが、想い出の曲だったので、ためらっていました。そんな中、デビューから、11年を迎えた際に、「郷愁」ということを考えている時期があり、この曲をアレンジして世に出そうと思ったんです。』
(※rockin’on.comより引用)

このインタビューから、山口さんにとってこの楽曲は、楽曲制作の「原点」ともいえることがわかる。

また、私は特に《郷愁》という言葉に着目した。
郷愁とは、辞書的には以下の意味になる。

①他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。
②過去のものや遠い昔などにひかれる気持ち。「古き良き時代への郷愁」

この言葉から、この楽曲のテーマに「故郷(札幌・小樽)」、「音楽活動を始めたばかりの頃」「故郷で育った思い出」、「子供の頃のこと」などが含まれていると推測した。

●背景整理まとめ
ここまでの情報をまとめてしまうと、この楽曲が持つテーマの一つに「故郷で過ごしたかつての日々への思い」が間違いなく含まれているといえよう。今回はこの視点をもとに、解釈を行なっていく。


2.歌詞解釈

ここからは私なりの歌詞解釈を行なっていく。

はじめに、歌詞解釈をするうえで、重要なのは「タイトル」である。
「ナイロンの糸」というタイトルにはどのような意味があるのか。このことについても、山口さんはインタビューで語っている。

『曲名の由来としては、当時、友人と北海道・小樽の海に釣りに行くときに使うのが「ナイロンの糸」でした。「ナイロンの糸」は使っていくとすぐヨレてしまうので、すぐ買い換える必要があるのですが、当時はお金も無かったので、そのヨレた「ナイロンの糸」を何年も使い続けていました。その当時の感覚を、今、東京で、もう一度、歌にしようと思って、最終的にこの曲名になりました。』
(※rockin’on.comより引用)

このインタビューから、「ナイロンの糸」というタイトルにも「故郷で過ごしたかつての日々の思い」が含まれているということがいえる。

さて、本題の「ナイロンの糸」の歌詞はこちら。読み進める前に、サラッとでも目を通していただきたい。

このまま夜になっても
何かを食べて眠くなっても
今更寂しくなっても
ただ 今は思い出すだけ

このまま夜にかけて
多分少し寒くなるから
厚着で隠す あの日のこと

君が消える 影が揺れる
甘えて もう一歩
風が消える 髪が揺れる
甘えてる様

どれだけ忘れたくても
どれだけ君と話したくても
あの頃感じてたこと
ただ 今は思い出すだけ

縒れてた古い糸を
静かに手で巻き取る様に
いつかは分かる あの海のこと

君が消える 影が揺れる
甘えて もう一歩
波が消える 風は知ってる
甘えてる様

この海に居たい
この海に居たい
この海に帰った二人は幼気に
この海に居たい
この海に帰った振りしてもいいだろう 
この海に居たい
この海に居たい
この海に帰った二人は幼気に
この海に居たい
この海に帰った振りしてもいいだろう 
この海に居たい 
この海に居たい

私はこの歌詞について、主人公が一時的に故郷に戻っている場面だと考えている。そこで昔のことを思い浮かべつつ、現在の気持ちを歌っているのではないか。
山口さんの場合だと、北海道に戻りながら、北海道で活動していた時のことを思い浮かべているのである。
この仮定のもと、区切りながら解釈を行っていく。

このまま夜になっても
何かを食べて眠くなっても
今更寂しくなっても
ただ 今は思い出すだけ

冒頭のこの歌詞は「リアルタイムな状況」に対し、頭で思い浮かべているのは「過去」であるという描写である。
この「現在」から「過去」を思い浮かべるというのが、歌詞全体の構成であることを示しているのではないだろうか。

このまま夜にかけて
多分少し寒くなるから
厚着で隠す あの日のこと

「夜にかけて少し寒くなる」というのは、「物思いにふけるにつれ、”寂しさ”や”悲しみ”などの感情が大きくなる」という暗喩であろう。
そしてそれを膨らませる何か、すなわち「あの日のこと」だけは思い起こさないようにして、寒さを乗り越えようとしているのではないか。
また、「寒くなる」という言葉から、北海道の気候的な寒さも表現しているかもしれない。(主人公が「故郷に帰っている」と考えた理由のひとつである。)

君が消える 影が揺れる
甘えて もう一歩
風が消える 髪が揺れる
甘えてる様

ここでは、様々なものが、消えたり揺れたりしている。何かを失っていってしまったのだろうか。その失ったものについて、答えとなりそうなことが、先ほどのインタビューの続きで言われている。

『子どもの頃の感覚に戻りたいって、思うときは誰しもあると思います。僕ら、音楽を作る人間って、常にそこなんですよ。少年時代の多感な時期の感覚を、心に貯蓄して、音楽にしていく。今回の曲はまさしく、そういうことを歌にした曲になります。』
(※rockin’on.comより引用)

つまり、「故郷で過ごしたかつての日々」のなかで得ていたもの、すなわち「子どもの感覚」が「君」や「影」、「風」、「髪」なのだろう。
そういった感覚を取り戻したいという思いを、「甘えたい」と表現しているのだろうか。
また、「故郷」という空間にいることで、安らぎを得ているからこそ、「甘えている」という表現をしているということも考えられる。

どれだけ忘れたくても
どれだけ君と話したくても
あの頃感じてたこと
ただ 今は思い出すだけ

「子どもの感覚」を取り戻したい主人公は、忘れたいような思い出も、人に話したくなるような思い出も、どんなことでも思い起こそうとしている。

縒れてた古い糸を
静かに手で巻き取る様に
いつかは分かる あの海のこと

ここで初めて、「ナイロンの糸」を示唆する単語が出てくる。ナイロンの糸は、「故郷で過ごしたかつての日々」の暗喩であることは先ほど述べた。
それをじっくりと思い起こす作業のように、「あの海のこと」を考えれば、いつかはあの海のこともわかるようになると言っている。
「あの海」とは、故郷以外の海、すなわち活動を行っている海のことだろうか。山口さんの場合は、「東京」のことだと推測した。すなわち、東京でもより一層、意欲的な活動ができるということなのではないだろうか。

君が消える 影が揺れる
甘えて もう一歩
波が消える 風は知ってる
甘えてる様

再び、様々なものが失われかけている。
しかし、消えるものに「波」が増え、「風」は「消える」から「知ってる」に変化している。
正直、私の読解力では、この歌詞についてはよくわからなかった。
一番の歌詞も含め、なぜ「君」「影」「波」「風」が消えたり揺れる対象なのか。さらに、「風」が何を知っているのか。
思い浮かんだら、追記したい。

※7/2 追記
レイさんという方が、これについて、大変興味深い考察を残してくださっています。ぜひそちらもご参照ください。


この海に居たい
この海に居たい
この海に帰った二人は幼気に
この海に居たい
この海に帰った振りしてもいいだろう 
この海に居たい
この海に居たい
この海に帰った二人は幼気に
この海に居たい
この海に帰った振りしてもいいだろう 
この海に居たい 
この海に居たい

この箇所が、この楽曲唯一のサビであり、大サビでもある。
まず、「この海」とは、「故郷」、もっと言えば「故郷で過ごした日々の感覚」ということだろう。山口さんも、インタビューでこの海のことを、「当時釣りをしていた海」と断言している。
その感覚を呼び起こせそうな「この海」に居続けたいという、切実な願いを歌っている。つまり、「子供のときの感覚」を思い出そうとすることで、より「幼気」、すなわち良くなれるのだから、「帰ったフリ」、すなわち思い出そうとし続けてもいいじゃないかと歌っているのである。
ややわかりにくいが、「昔のように自由な感性で物事を行いたい」ということだろう。

以上が、「ナイロンの糸」の歌詞解釈になる。
まとめると、やはり「故郷で過ごしたかつての日々」への思い、憧れといったことが、この楽曲のテーマであるといえよう。


3.MVの考察

ここからは、私なりのMVの考察も行っていく。
MVを紐解くと、「ナイロンの糸」の解釈により深みが増した。
冒頭にもリンクを貼ったが、ここでももう一度、リンクを貼り付ける。ぜひ一度ご覧いただきたい。

このMVを初めて見たとき、私は「若い男女の恋愛に関するストーリー」なのかと思った。
しかし、楽曲のテーマや歌詞などを考慮し、私は異なるストーリーを思い浮かべた。

このMVのストーリーの基軸は、「転生」と「母性」である。


●シーンごとの解説
なぜ、私が「転生」と「母性」をストーリーの基軸と考えたのか。さっそく解説を行なっていく。
ここでは、MVに登場する主なシーンを列挙し、それぞれのシーンが持つ意味を考察していく。

【海の映像】
「海」は、歌詞にもMVにも何度も登場することから、「ナイロンの糸」において最も重要なものだと考えられる。

では「海」が持つメッセージは何か。

「海」は、世界で最も大きく、深い。さらに、地球上に初めて生命が誕生した場所でもある。
そのようなことから、往々にして「海」は「母性」の象徴としてあげられる。
波の音が母親の胎内で聴く音と似ているという話もある。

その他にも、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉のように、高い志や広い世界の象徴として使われることもあるが、「ナイロンの糸」が持つ「郷愁」を考えると、「母性」と捉えることが、最も合理的なのではないか。


【裸の男性が都市を背に倒れていくシーン】
このシーンについては、以下のように捉えられる。
・「裸」=生まれた時の姿
・「都市」=現在の状況
つまり、「現在の状況」から生まれ変わろうとしているというのが、最初のシーンなのではないだろうか。
(自ら意図してそうしているのか、何かがそうさせたのか、そうせざるを得なかったのか。)

【裸で、もがくように泳ぐ男性】
裸の男性は、海にたどり着く。生まれ変わる先を探しているのだろうか、必死に泳ぐ姿が印象的である。
この男性の泳ぎは、かなりぎこちなく、今にも溺れてしまいそうである。
これは、転生し、赤子となったことを示唆しているのではないだろうか。

【青色のマニキュアを塗っている女性】
このMVのもう1人の登場人物である、こちらの女性。
一見すると、男性と同年代の見た目をしており、男性と触れ合っていることから、恋人なのではないかと思わせる。

しかし、私はこの女性を「母親」と捉えた。これは、歌詞やMVの内容を総合的に考えた上で出した結論だが、あえて理由を挙げるとすれば3点。「マニキュアの色」と、後述する「大雨」「鼻と鼻のキス」である。

「マニキュアの色」について、映像では鮮やかな青色を塗っているが、これは「海」の色なのではないだろうか。
マニキュアは、女性特有のオシャレである。(もちろん、男性がマニキュアをするのもいいと思うが。)
そんな「女性らしいオシャレ」ができる場所に、母性の象徴である「海」の色を選んでいる。
そこを踏まえ、私は、この女性が恋愛関係というよりは、母親である、と捉えたのである。

【東京の海で泳ぐシーン】
途中、明らかに「東京」と思われる海で泳ぐシーンが登場する。
なぜこのシーンが差し込まれているのかは、正直これといった答えは私の中で出ていない。
ただ、いくつか仮説はあるので、列挙する。
・「都市」という「現実」を映すことにより、このMVでの「転生」が、「非現実」のものであることを強調する効果。
・「海」という必ず世界中と繋がっている場所にいることで、故郷との繋がりを感じたいと思う気持ちの表現。
・「東京」という名の荒波に、苦しさを感じている様子。

【大雨の中で絡み合う男女】
終盤に差し掛かると、大雨の中で男女が絡み合う様子が映る。ここで初めて、バラバラに映っていた男女が同時に映るのだ。

ここでひとつ、ポイントがある。それは「大雨」ということだ。
実は、「海」は「大雨」によって誕生している。詳しか知りたい方、以下を見ていただきたい。

つまり、「大雨」は「誕生」を示唆しているのではないか。
さらに、この場面で、男女が初めてハッキリと同時に映る。これは、この女性の元に、男性が誕生したということを示唆しているのではないか。
ここにも私は、女性が母親であるという可能性を感じた。

MVをよくみると、まだ目も開かない男性に、女性の方から優しく触れているようにも見え、母性を感じさせる。


【鼻と鼻でキスをするシーン】
このシーンでは、あえて唇を重ねず、鼻と鼻でキスをしている。
この鼻と鼻のキスについて、その心理をネットで調べると、「深い愛情」がそうさせているとある。(心理について、根拠のある情報は見つけられなかったが…)
そうだとすると、このキスのシーンは、ここまでの解釈も踏まえると、「親子の愛」を象徴するものとも捉えられるのではないだろうか。


【海からあがる2人の足元を映すシーン】
ラストシーンでは、2人の足元が、海からあがってくる。
この2人の足は、登場する男女の足とみて間違いないだろう。
また、それまで薄暗かった海の映像に対し、ここで登場する海には光が差している。
ここまでの解釈を踏まえると、このシーンは
「転生した主人公が、母となる存在を得て、光を見出し、また人生を歩み始める」ということを示唆しているのではないか。


●MVの考察のまとめ
まとめると、このMVのストーリーは「現状から転生しようとした青年が、生まれ変わろうと必死にもがき、やがて母となる存在に出会う。そして、生まれ変わった青年が、未来へと歩き出す。」ということである。

つまり、「転生」と「母性」の物語なのである。


4.全体のまとめ

ここまで「ナイロンの糸」の歌詞・及びMVの解釈を行ってきた。
「ナイロンの糸」の歌詞は「故郷で過ごしたかつての日々への思い」、MVは「”転生”と”母性”の物語」であるというのが、私の結論である。

そして、歌詞とMVの2つの解釈に共通して言えること。
それは、「自分の『原点』を見つめ直し、大切な何かを得たいという願い」なのではないだろうか。

これこそが、「ナイロンの糸」という作品の解釈の、私なりの結論である。


ここまで拙文を読んでいただいた方には、本当に感謝したい。
もしよければ、感想や疑問、意見をぶつけてくれると、なお嬉しく思う。


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