おこたしゃべり

「スマホのステッカー、それ何?」
「あっ、えーっと、『おこたしゃべり』って書いてあるんですけど、これはトンツカタンの森本さんと、同期の鳥山生配信さんが毎日1時間生配信をしているYouTubeチャンネルで…」
「えっ…えっ?生配信ってのが名前?芸名?で毎日?1時間!?どういうこと?」
「生配信をずっとしているから最近生配信って名乗ってますね。もう6周年とかになってますけど、ほぼ毎日生配信してます。僕が見始めたのは2019年とかですね、リアルタイムとは限らないですけど、ほぼ毎日見てます」
「ん?え?…毎日…?」

文字起こししてみたら奇怪さが際立つな。
つまりそういうこと。
おこたしゃべりはそのものもリスナーも常識とやらから外れてしまっているらしい。自覚はないんですけどね。
もはや日常。ないと寂しい、もの足りないと感じるまでになっている。

普段色々と稚拙にも考えすぎるタチだからか、何も考えずにぼーっと笑っていられるおこたしゃべりはとてもありがたい。最近生配信さんが鼻を骨折して(骨折したまま配信していたのはさすがに驚いたが)、久々に「鼻の手術後笑い方がおかしくなってしまった回」を見返した。

なんでこんなに面白いんだろう。手術の話なのに。
お笑い界が賞レースで火花を散らしている様が時々息苦しくなると、ますますおこたしゃべりの気ままさが欲しくなる。
コンビを組んでいるわけでなく、しかもフリーで生配信を「生業」に活動されている鳥山生配信さんがいるからこそ、昨今の荒々しい競技お笑いと少し距離を置きつつ(R-1とかは出場されていたけど)、ずっと変わらず配信ができているのかもしれない。(御本人はM-1とかで勝ちたい、って思っていらっしゃるかもしれないが)
そうだよね、賞レースだけがお笑いじゃないよね。そうじゃなかったはず。勝ち負けなんてなかったはず。
TikTokみたいな短くて分かりやすいものが好まれる中で果敢に変わらず生配信をし続けるのも(そういえばTikTokやってたな、点滴ポールダンス)、そういう不器用さが応援したくなる。
もちろん、売れてほしい。多様性が叫ばれるなら、賞レースのようなノーマルなルートだけでなく、生配信という(現状)イレギュラーなルートもあり得るはず。
売れた上で、「鳥山はーにーほーにー」とかで大はしゃぎしていてほしい。

A◯のサンプルで大はしゃぎしていてほしい。

mixiとか原付免許とかも名作だったな。
無理のない範囲でいつまでも、我々おこたーの日常にいてくれたら嬉しいことこの上ありません。

あ、ひとつだけ。 
そろそろチャット欄を開放してほしいです。待ってます。
ご検討のほどよろしくお願いいたします。


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