見出し画像

■ 外間殿・大松堂殿 ■

前回紹介した上津波古井泉の向かいには2箇所拝所があり、うち1つが「外間殿」で、「大松堂殿」はその途中にあります。

外間殿は右奥へ進む

外間殿はコンクリート造りの大きな祠で、中には香炉と火之神があります。途中にあった「大松堂殿」と「外間殿」は「津波古の四元」とされ、津波古の集落の人たちに大切にされています。

大松堂殿

昔々、琉球が三山時代の頃の話…
1416年、中山の巴志(後の尚巴志)によって北山王の攀安知(はんあんち)が滅ぼされました。三男の外間子(ふかましー)は側室の真加戸金(まかとかね)の助けで弟(四男)の喜屋武久子(ちゃんくしー)と共に船で南部に逃げて来ました。しかし、三人は捕らえられて捕虜となりました。ですが、敵の遺児でありながらも解放となり、それぞれ住居を与えられました。その外間子の住居跡が外間殿とされています。

外間殿

後に彼らの住居周辺に人が移り住み集落ができたことから、現在の津波古集落の始祖とされています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?