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■ 釋奠祭禮 孔子祭 ■

那覇市若狭にある孔子廟で行われた「釋奠祭禮」に行ってきました。この日は、廟から門まで赤い絨毯がひかれ、いつもとは装いが違います。

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釋奠(せきてん)とは、釋「おく」、奠「供え物、まつる」という意味で、後漢の頃に始まったそうです。もともとは天子を祀っていたそうですが、後漢以後は孔子やその弟子達を祭る儀式を指すようになりました。祭礼が始まると孔子の御霊を迎い入れるため「至聖門」を開きます。

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この門は年に一度、この時しか開きません。そして孔子の御霊を酒・後三味(豚・鳥・魚)、果物・野菜などのお供え物が置かれた「大成殿」へ案内します。ちなみに儀式の最中、門の前に立つことは許されません。

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1610年、久米村総役の紫金大夫蔡堅喜友名親方が進貢使として明に渡りました。その時、山東省の孔子廟を参拝し、孔子とその弟子の絵像を久米村に持ち帰りました。久米村では、有志の家を輪番で祭典を行ったのが始まりと言われています。その後、琉球王国の国家的祭禮となり祭主を三司官が務めるようになりました。沖縄戦による空襲で至聖廟は焼失し、祭禮は一時中止を余儀なくされました。昭和50年、那覇市若狭の天尊廟地に久米至聖廟が再建され釋奠が復活しました。

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この催事は、世界各地の孔子料廟で行われているそうです。祭礼の様子も撮影したいのですが、祭礼中は廟の中に入れず写真が撮れません( ;∀;) ただ一般の方も参加することができ、最後に上香することもできます。毎年おこなわれるので、気になる方はぜひ来年!

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