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◾️ 落平(ウティンダ) ◾️

奥武山のセルラースタジアム近くにある落平に行ってきました。ここは小禄の垣花にあった樋川跡です。樋川とは、丘陵の岩間から流れ落ちる湧水を、樋を設けて取水する井泉のことです。落平は、崖の中腹から流れ出て漫湖に注いでいました。かつて、落平とその背後の丘陵の松林は、漢詩や琉歌で詠まれるなどの名勝だったそうです。

那覇港に出入りする船は、朝から夕方まで落平に参まり、取水のため先を争って口論が絶えなかったそうです。中国からの冊封使が琉球を訪れることになり、落平を調べると樋が壊れ水量が減っていました。そこで、泉崎村の長廻筑登之親雲上など寄付を募り、1807年に新しい樋を設けるなど落平の樋を修繕しました。

何度か書いていますが、今とは違い昔の那覇は浮島と呼ばれ周りを海に囲まれていました。そのため井戸水は塩分が多く、飲料には適していませんでした。1879年の琉球処分後、人口が増加した那覇では水問題が深刻化。大きな水桶に落平の水を注ぎ、それを伝馬船で那覇に運び、その水を女性がてんびん棒にかついで売り歩く水商売が繁盛したそうです。1933年になり水道が敷かれ、水商売も姿を消していきました。

終戦後、アメリカ軍の軍港整備にともない、そこから出た土砂や那覇港浚渫の土砂を用いて、落平と奥武山の間が埋め立てられました。水が湧き出る落平の岩肌は残されましたが、宅地化が進み水量も減少しました。現在では、岩肌からしみ出るほど、1807年に新たに造られた樋川は拝所となりました。 しみ出る程度ですが、水は綺麗で生き物も生きづく、大事に残した落平です。



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