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■ 許田の手水 ■

許田集落にある「後の御嶽」を探している時にみつけたのが「許田の手水」です。橋がかかる前の許田は、大きく入りくんだ入江沿いに道があり、遠く迂回して、ここにたどり着いたそうです。その道沿いにあるこの泉は、旅人の喉をうるおしたそうです。

昔々…
許田の村にたいへん美しい娘がいたそうです。ある日、娘が村の「クシヌカー」という泉で水を汲んでいると、首里の殿様が馬に乗ってそこを通りかかりました。殿様は娘に、

「水を下さい」

と、声をかけました。娘がニーブ(ひしゃく)で水を汲むと、

「あなたの手で水を汲んで下さい」

と、言ったので、娘は手で水を汲んであげました。娘のしぐさと美しさにほれた殿様は、娘を首里に連れ帰りました。娘を連れていかれた村人は、ずいぶん嘆いたそうです。それから、その泉を「手水」と呼ぶようになったそうです。

現代の人がこの話を聞くと、かなりひいちゃう話ですが、この泉での話は広く知れわたり、流歌も詠まれています。

 馬よ引き返せしばし行ぎ見ぼしゃ 音に聞く名護の手水

 面影よ残す許田の玉川に なさけ手にくだる水の鏡

 汲みよ始めたる誠真実の 流れても絶えぬ許田の手水 

平敷屋朝敏作の組踊「手水の縁」の題材にも使われました。そんな許田の手水は、昭和48年に名護市市指定文化財に指定されました。


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