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■ 第32軍司令部終焉の地 ■

ニュースでフランスのアーティストが平和祈念公園に地上絵を書いたと知り、行ってきました。地上絵自体は上空から見ないとよく分からず、結構探し回っている人もいたようです。

崖を降りていくとある壕跡

地上絵を見たあと、公園内を歩き回ってきました。久しぶりに公園の南側、先っぽまで歩いてみました。そこで見つけたのが「第32軍司令部終焉の地」です。以前は気づいていなかった?

アメリカ軍の猛攻を受けた旧日本軍の司令部は、首里から撤退し摩文仁に司令部を拠点を移しました。狭い壕の中に住民や日本兵が集まったこともあり、住民の犠牲が増えたとされています。1945年6月23日、司令官である牛島満中将、参謀長の長勇中将などが自決、残る部隊も玉砕を行い日本軍の組織的な抵抗が終わりました。

壕の入り口

現在、壕の入り口には柵が設けられています。壕の手前には「勇魂の碑」その先には沖縄遺族連合会によって建立された「黎明之塔」があります。多くの方があまり訪れることがないひっそりした場所にあります。できれば、広い公園内をゆっくり歩いてみてはいかがでしょう?

第32軍司令部壕跡


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