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◾️ パイプライン通りの線路 ◾️

大平特別支援学校前バス停近くにある「線路」を撮影してきました。久しぶりに行ってみるとキレイに整備されていました。

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パイプライン通りには1922年から那覇~嘉手納線が運行し、浦添では内間・城間・牧港の3ヶ所に駅舎がありました。内間と牧港は無人駅、城間駅は駅長1人と駅員2人がいたそうです。

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沿線の住民のばかりでなく、農家がさとうきび搬入などでケービンを利用しました。そんなケービンも沖縄戦で損壊してしまい、運行が廃止となりました。この線路は1991年の改良工事の際に見つかり、ここに置かれています。

ちなみになぜ「パイプライン通り」と呼ばれるのか…
沖縄戦後、アメリカ軍は沖縄に多くの軍用施設を建設しました。1952年、那覇軍港から北谷桑江ブースターステーション間にジェット燃料を送油するための鋳鉄製油管を建設しました。この油送管を一般的に「パイプライン」と呼び、浦添市内では内間、大平、伊祖、牧港の地中に埋設されていました。

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線路横にあるコンクリート製の杭は「油線・軍用地境界杭」といって、アメリカ軍が油線軍用地の境界を示すために設置していた実物です。以前は、トップ写真の左に日本語の杭もあったそうですが、現在はなくっています。

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