ホームレス支援におけるお節介おじさん&おばさんの限界

昨夜は都内のある区でホームレス支援をやられている方からお話を聞く会へ。「支援が必要」といえるコミュニケーション力や、それが言える家族や地域での関係性を大事に!という人が多かったけど、それだけ唱えていてもいつまで経っても変わらないだろう。

もちろんあるに越したことはないし、そういうお節介をしてくれる人の存在は大きい。だけども、コミュニケーションや家族との関係性の断絶があることが原因そのものでは。加えてこの2つが提示する解決策は結局、教育だとか家族との関係性の強化の文脈に回収される。だから変わってこなかったのでは。

「地域のネットワークの重要性」は地域性を考慮する必要がある。例えばお節介おばさん的アプローチは都内よりも田舎のほうが想像しやすい。都市社会では、個人主義、プライバシーのこともあり、お節介することがそもそもリスクになってしまう。知らないおじさんにはついていかないのが普通。(その中ででてきた、「お節介おじさん&おばさん2.0」はおもしろいと思ったけども)

こういう話の文脈で北欧社会がよく引き合いに出される。社会関係資本が強いとか地域のネットワークがあるからいいなとか。いや、実は逆であんな個人主義な国はあまりない。むしろ見知らぬ個人が、どのような背景を持った人であっても共生できるようになることを目的として社会保障政策が組まれている。

お節介おじさん&おばさん主義だと、そういう人がいる地域とそうじゃない地域で差が出るし、そもそもお節介されるのが嫌な人だっている。そういう意味では、お節介をおじさんおばさんがいなくても、どう社会保障がカバーされていくかの方が大事では。

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