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その舌は永遠に手に入らない

食に関してKの話すことは、そして彼女の味覚は、十代にして、一端の大人のそれみたいだった。少なくとも、昔の私にはそう思えた。

私たちがまだ高校生だったある日、同じクラスのKは、お昼にスイートチリソースをかけたオムライスを持ってきた。よくベトナム風春巻なんかにかかっている、あのソースだ。彼女は、母親がタイ料理が好きで家にエスニック料理用の調味料がたんとあること、ケチャップがなかったから代わりにチリソースを適当にかけてきたことなどを話した。チリソースを「適当に」かけてくる日なんて永遠に迎えないであろう私は、母に作ってもらった弁当を食べる自分をなんとなく恥じて、もそもそと小さいグラタンなんかをつついた。

高校卒業後も、Kと私は時々連絡を取って会った。新鮮な野菜をつまみにおいしいワインが飲める店や、変わった燻製を出す店など、彼女は洒落た店をよく知っており、同じ年月生きてきたと言う事実は、その信憑性をどんどん薄くしていった。

ある日彼女は、「味はよいけれどコーヒー一杯が千円はする喫茶店が、大都会の真ん中にあるのだ」と教えてくれた。私は、どんな場所なんだろうと憧れながら、一人でいくには敷居が高すぎる、と怖じ気づいた。だから、もし彼女がそこに行ってみないかと提案してくれなかったら、私はあの店とは無縁なまま生涯を終えただろう。提案を受けたのは、喫茶店のことを教えてもらってからしばらく経ったある日のことで、たしか、お酒と食事を一通り楽しんだ後、といったタイミングだった。締めにコーヒーを飲みにいく、それも、都会の喫茶店に。このことが、先に摂取したアルコールより私を高揚させたなんて、彼女はきっと知らないはずだ。

道行く人にぶつかったり、ぶつかられたりしながら歩いていって、通りに面した階段を下りると、隠れ家のような喫茶店の入り口にたどり着いた。
扉をそうっと開けると、そこにだけ作り物の空気を閉じ込めたような、暗くて静かな店内が広がっていて、モノクロ映画を彷彿とさせた。場違いじゃないか、と不安な気持ちになる私をよそに、Kはすんなりとこの空間に馴染んで、腰を落ち着けた。

子どもが来たと気づかれないように声を潜めて注文したから、印象まで薄まってしまったのだろうか。私は肝心のコーヒーの味をあまり覚えていない。他に何か頼んだのかも、Kと何を話したのかも、思い出せない。

思い出すことと言えば、店にふさわしい話題を探して寡黙になったことや、マスターとおぼしき男性の背後に飾られていた沢山のコーヒーカップ、照明を受けて堂々と光っていたピアノの姿ばかりだ。扉一枚開くだけで、こんなに遠くに来ることができるのかと私は驚き、人々が何に対価を支払っているか、確認できたように思った。

Kは、そんなこと当たり前に、ずっと前から知っていたのだな。

ちょっとした達成感と劣等感を携えて喫茶店の扉を閉めると、それまでのことを全部塗りつぶしてしまうくらいに騒がしい街が、私を迎えた。

喫茶店もKも、すぐそばにあって、いるのに、私には永遠に手が届かないもののように思われた。大人になった私、連絡すればきっとすぐにKから返事がもらえるのに、途中下車すれば、またいつでもあの喫茶店に行けるのに、なぜか、そんな簡単なことが、できない。

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