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さべーるこのせーる

スペイン語を勉強する中で、「saber(さべーる)」と「conocer(このせーる)」という観点を手にいれた。

「さべーる」も「このせーる」も、「知る」という意味の動詞である。「さべーる」は「情報や知識として持っている」、「このせーる」は「経験的に知っている」、の意味。「これはさべーる」「これはこのせーる」なんて思いながら生きるなかで、私が気を付けたくなったことが、ふたつある。


ひとつ。「さべーる」をばかにしない。

ぼんやりしていると、すぐに「経験至上主義」に陥りそうになってしまう。本当の恋愛は映画より尊い、って、断言しそうになってしまう。
でも、自分が身を置いてきた世界のことだけ、通ってきた道のことだけ、「高い」とすることはあまりに傲慢な気がする。映画で感じたドキドキも、私の人生をちゃんと豊かにしていると思う。本で、映画で、インターネットで、誰かの人生を垣間見れるから、疑似体験ができるから、私の人生は何倍にもなる。知らない間に通りすぎてきた曲がり角に、気づける気がする。ありがとう、想像力。ありがとう、メディア達。


もうひとつ。「このせーる」を厚くする。

観光名所に行ったとき、「この行為は『さべーる』を『このせーる』に裏返しているだけなんじゃ」と思うことがある。ああ、このブルーモスクは、たしかに資料集で見たぞ、と、指差し確認してスタンプを押すような。
だから、「このせーる」を「さべーる」からなるべくはみ出させようと、頑張っている。
美術館に彫刻があれば、裏にまわって背中を眺めたりして。

昔は、さべーるを全部このせーるにひっくり返して、「もう悔いはない」って死ぬのが、いいなあ、と思っていた。
最近は、たくさんのさべーるとこのせーるを集めて、「世の中にはもっとすごいものがあったろうな、もっと知ってみたかったなあ」って後悔しながら死ぬのも、またよし、と思っている。

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