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キャラクターのチューニングについて:『凪のお暇』漫画版とドラマ版の比較

中学の美術の時間、長方形の中をいくつかに区切って、鉛筆で白から黒へのグラデーションを描く、という課題があった。私は絵は得意なほうだと自負しており、だからこの課題にも結構自信があったのだけれど、教室を巡回していた先生に、こう言い放たれた。

「うーん、全然、段階の描き方が粗いねえ」

3メートルもの高さを誇るプライドを持つ私は(心理テスト調べ)、だからこういうことを言われると一生覚えているのだけれど、場面場面でこの出来事を思い出して、ある結論にたどり着いた。

各分野で「一流」と呼ばれる人は、「チューニングがうまい人」だ。

左ききのエレン第59話で、天才モデル「岸あかり」のマネージャーが彼女のモデルとしての才能について考えるシーンがあるが、これはモデルに限ったことではないと思う。


元々、漫画版の『凪のお暇』のファンなのだけれど、あの作品の魅力は「100%の善人も悪人も出さない」ところだ(前にそのことについてnoteで書いた)。

絶妙のチューニングなのだ。

ドラマ版に出てくるキャラクターは、原作のキャラクターをベースにしながら、演技・脚本・演出でまた違ったチューニングに仕上げており、それがまたよいので、2点ほど紹介したい。

キャラクターの呼び方

漫画版の最新刊・6巻に、うららちゃん(凪の隣人の小学生)の母・みすずさんが、自分のことを「うららちゃんのお母さんじゃなくて、下の名前で呼んでほしい」と頼むシーンがある(便宜上まとめてしまったが、実際のシーンのみすずさんは、もっとそうっとそれをお願いしている)。

漫画の凪ちゃんとドラマの凪ちゃんは、同じであり、違う、とここで気づいた。

ドラマの凪ちゃんは、もっと早い段階から彼女を「みすずさん」と呼んでいる。そういえば、上の階に住むおばあさんも、ドラマの凪は「緑さん」、漫画の凪は「吉永さん」と呼んでいるよな。

恋人である慎二のことを名前で呼ぶのも一苦労だった凪。いくら人生リセットしたからと言って、新しい人間関係を築けるようになったからといって、すぐにご近所さんのことを簡単に名前で呼べるようにはならなそうだよなあ。

いやいや、簡単にできないからこそ、悶々と考えまくった果てに、ある日おずおずと「みすずさんって呼んでもいいですか・・・?」と申し出た可能性もある。八百屋さんで声をあげたみたいに、勇気を出した日があったのかもしれない。

どちらのルートも「凪ちゃんの性格や心境を考えたらありそう」で、どちらのルートに至る道も、想像するのが楽しい。描かれている時間の裏側も想像させる物語って、力強い。

凪の上階に住むおばあさん「吉永さん」

ドラマの吉永さんは、漫画よりちょっと意地悪な感じだな、と思っていた。
節約志向の彼女の性質が、「だから人からお金せびりがち」な人としてチューニングされすぎていて、ちょっと苦手だな、と。

だけど、9月13日のドラマでは、そのモラハラぶりからみんなにゆるっと敵視される慎二をかばっている台詞があり、「優しさの発露の仕方が、漫画と少し違うのだ」と納得した(しかし、モラハラ、ダメ、ゼッタイ)。

反対に、漫画版最新6巻では、吉永さんの「善人度減」のチューニングがされていて、これがまたよかった。

吉永さんの趣味は、家で映画鑑賞することなのだけれど、その理由について語るこのシーンを見てくれ。


視姦って。

凪と吉永さんが、オールナイト映画鑑賞@吉永さん家を終えたあとの、このシーンも好き。

(コナリさんはとってもメタ思考の方なんだろうな…)

意地悪な人は大嫌いだけれど、意地悪をまったく知らない人、自分のクリーンさを誇っている人は、人を傷つけることにかえって無自覚だ、とも感じる。だから私は、吉永さんの聖人じゃないキャラクター設定が、とても心地いい。

第一、善人過ぎる人はセクシーじゃないものな。

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(以下、つれづれなるままにゾーン)
<ドラマ最新話(最後から2話目←ダンサー・イン・ザ・ダーク感)について断片的な感想>
ドラマのゴンの告白シーン、漫画のゴンだったら言わないだろうな・・・。
しかしかわいすぎる・・・。愛しすぎる・・・。
中村倫也氏をゴンに据えた人は天才ではないか。完全にときめくわ、あんなん。

そして同様に慎二に高橋一生を呼んだ人もすごい。
彼の見た目を好きだと今まであんまり思っていなかったのだけど(すみません)、
このドラマを観たら好きになっちゃいますな。。。
脳内の妄想でそうしてたみたいに、素直に凪のことを肯定して好きだって言えたらいいのに。

全部見終わってから後半をもう一度観てみたのだけど、廊下を歩いている段階で慎二母の表情がずっと曇っているのがわかって面白かった。

ギャモンの自伝、全国販売するのかな?慎二が職場で働きにくくならないかなって心配になってしまった・・・。

あとは、エリィちゃんがゴンに「がんばれ」っていうシーン・・・。
そのあと、しばらくある間(ま)にすべての切なさが詰まっていたね。
漫画の6巻を読んでから見ると切なさはひとしお。

このドラマはいっつも面白いけど、節子さん米寿お祝いパーティーのシーン→慎二とシンクロ二人で号泣シーン→ゴンの告白シーン、この一連の流れ、素晴らしすぎて、ここまでドラマにドはまりしたのは久しぶりです。

<漫画最新刊(6巻)&エレガンスイブの最新話について断片的な感想>
エリィちゃんが古着の魅力を語るシーンを読んで、私もまた古着を着てみたい気持ちになった!
そしてエリィちゃん、普段近寄るな、とか言ってるのに、タイミングがあればゴンにおんぶされがちで、なんかそれがもう・・・うっうっ。

5巻で、凪に「慎二だってやでしょ?仕事のグチばっか言ってる人達」と聞かれた慎二が
「反吐るわな」「でも そんな踏み絵みたいのでなんとか回ってる世界があんのもわかる」
って話してたこと、最近頭の中でぐるぐるしているのだけど、だから慎二は凪のお母さんのつらさをもしかしたら少し溶かしてあげられる存在かもしれない、なんて思った。

6巻と、ドラマ最新話はめちゃめちゃリンクしているのだけど、それぞれにお母さんへの向き合い方が違って面白い。そして、胸に刺さる。

かわいそうだとしても、子供に人生を救ってもらおうとするのはやっぱりだめだ。
でも、やっぱり、かわいそうで仕方なかった。
(お母さんの北海道の暮らしを描いたシーン、つらすぎた・・・)

(ふぐりって書いてたら、私だって笑う)

<もっと書きたい感想を>
昨今、恋愛を描いた優れた作品のほとんどが、主要キャラクターの抱える親との確執について触れている。恋愛だけが独立して存在している世界は、キャラクターの性格を立体的にしづらいと思うので、少なくとも私はそこまではまれない。

で、『凪のお暇』について「親と子と恋愛」という観点からも記事を書いてみたい・・・とずっと思っているのだけど、む、難しい・・・。毒親と主人公の関係について描いているという点で、実は『青野君に触りたいから死にたい』と共通するところがたくさんあるなと思い、そういうことも書けたらいいのだけどなー。というか、それこそが書くべきことだとは思うのだけどなー。
 
どうにかして塊としてまとめることができましたら、また公開します。

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