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世界一周準備メモ番外編:これまでいったところ(ヨーロッパ編2)

どの場所の話も、前にどこかで書いたような気がしながら、いつかまた同じことを書いてしまいそうな気もしながら、徒然なるままに。

スイス


・ローザンヌ
・ジュネーブ
(人に連れて行ってもらったところばかりで、ほかの都市の名前を覚えていない…とりあえずその近辺)

これまでの旅の中で一番感動したのは、スイスの、人がほとんどいない教会でみたステンドグラスだと思う。私にとって、それはマチュピチュよりもずっと心に刺さる光景だった。淡い色に染められた光が美しくて時が止まるようで、こんなところに毎日いたら、そりゃ神様も信じるだろうな、と実感した。

↑この記事のカバー写真も、スイスで撮ったもの(ここで触れてるけど、cakes note フェスについて私はまだ記事を書いてないな)。

国…で括ると雑で、結局都市の印象だとは思うのだけど、私がかつて憧れていた「美しいヨーロッパ」に一番近いと思ったのはスイスだった。
オリンピック博物館の近くのベンチで、船を見ながら食べたサンドイッチ、今までで一番小説っぽくてよかった。

ところでスイスは、友人の親戚の、エリートという概念を擬人化したような60代くらいの女の人(元国連職員)が車を運転して案内をしてくれたのだけど、彼女は素晴らしい家に住んでいて、頭がよく、センスがよく、終始試されている感じがした。

国連の食堂や広間、美術品をみてまわる中で「これは何をあらわしていると思う?」と、問われたり(間違えるにしてもよい答えを出さねばと焦った)、「今、素敵な音楽持ってる?」と問われたり(知られてないけどおしゃれで、でも浅くない音楽を提供しなければ、と焦った)、「私もうお腹いっぱいなんだけど、ピザ食べない?」と、すでに腹十五分目だけれど彼女のピザを引き取ったりした(胃袋の意志よりも居場所を確保しなくちゃという気持ちが勝った)。

ラクレットのチーズを取りすぎて「ふふ、じゃがいもも一緒に食べてね」と言われたり(私は自分のマナーのなさを恥じた)、ナイフとフォークの使い方が下手なのを見られないようにがんばったり(私は自分のマナーのなさを恥じた)、彼女が用意してくれた「クイーンズブレックファースト」に並ぶおいしそうな品々を見つめ、どのくらいの量に留めれば野蛮な女だと思われずにこの場を終えられるか考えたりした(私は自分のマナーのなさを恥じた)。

彼女の友人だという画家(中年男性)の家が、これまた琴線に触れまくるナイスな家で、私はできればその様子を写真におさめたかったけれど「マナーマナー」と自分に言い聞かせてやめた。彼の娘(大学生)の部屋は手塗りっぽいピンク色で、屋根裏で、靴下とか干してあって、私もあんな部屋で育ってみたかった。

↑ちなみにこの記事で書いたおにぎりを持たせてくれた方が、歩くエリートである。

ローザンヌ工科大(ロレックス・ラーニングセンター)の、砂山みたいにうねるコンクリートも好きだった。東京にも、もっと床がうねうねした建物が増えたらいいのにと思う(三鷹天命反転住宅、君はナイス)。

コンクリを流し込むのに失敗する様子を撮影しようと、たくさんのマスコミが押し寄せたが成功したらしい。

当時は、学生の学習スペースにビーズクッションが置いてあることに非常に驚いたのを覚えている。リラックスしても勉強する人たちだと、大学から学生が信用されているのか、と。

フランス
・パリ

(写真はゴッホの家の扉。モジリアーニの妻が身を投げた場所の近くと思われる辺りも歩いた。パリでは画家のことばっかり考えちゃうな)

B&Bを初めて利用したのはパリだった。オーナーは英語を話すおばあちゃんで、初日、「明日食べたいものをスーパーで買いましょう」と私達を連れ出してくれた。翌朝、温められたクロワッサンがかわいい缶に入って部屋の外に置かれていて、それは庭を見ながら食べることもできて、ゆるく光が差して、毎朝がこんなだったら生きるのも嬉しいだろうと思ったりした。


門の鍵が固くてなかなか開閉できないことや、おばあちゃんが早寝で門限が早い(20時くらい)こと、隣の部屋を借りてる人を紹介してもらっても英語でうまく話せないことなど困ったこともあったが、こんなにかわいい家で猫や夫と一緒に楽しく暮らしている人がいるというだけで、パリはいい町なように思われた。

(ちなみに、そのおばあちゃんとは今でもFacebookで互いの誕生日だけ祝い合っている。たまに、私がアップした私の友人の写真におばあちゃんはいいねしてくれる。きっと私の写真だと思っているのだろう)

パリのいいところは、なんといっても「いい絵がたくさん、ゆったりと観られる」ところ。ルーブル美術館にはいくつか入り口があるけれど、空いている入り口から入ると、有名どころの絵にたどり着くまでに大変時間がかかるので、注意されたし(ちょっとどうかと思うほど広い。ちなみに私達は宗教画コーナーを通っていったので、夢に見そうなほど大量にキリストとマリアをみた)。

有名な絵の前でもぎょっとするほど人が少なくて、アルチンボルドやジョルジュ・ド・ラトゥールの好きな絵を舐め回すように堪能できて幸せだった。特にアングルの絵がよかった。しかしモナリザの前だけはなぜか長蛇の列が途絶えず(繰り返すが、この美術館には有名な絵が他にもいくらでもあるのに)、横からちらっと眺めただけで、実物がどんなものかよくわからなかった。それを後悔してるだろうか、私は?よくわからない。

パリの、地下鉄がくさかったり汚かったりするところと、割と知らない人に怒鳴られる機会があるところは、好きじゃない。(フランス語が話せたら違うのだろうか?)

また、今後旅行をするなら、私がトイレが近くても許してくれる人と行こう…と思ったのもこの街だった。

(外国では無料で使えるきれいなトイレがほとんどなくて、その点は日本を評価している私です)

そういえば、私が行ったとき、まだノートルダム寺院があった。たくさんの人がばしゃばしゃ写真を撮っていた。もう同じものを観ることはできない。失った機会のことを考えるときより、失いそうだった機会のことを考えるときのほうが、不安になる。

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