見出し画像

私はこの気持ちを知っている:『塩田千春展:魂がふるえる』

辛酸なめ子さんのSPURの記事を読んでから、ずっと行きたいと思っていた塩田千春展に行く(この記事で紹介されてる塩田さんが参加したワークショップが気になりすぎたため)。非常によかった。とても新しいのに、この展示を見て感じた気持ちは、幼いころしょっちゅう感じていたものと同じもののように思われた。例えば、マンションの建物と建物の間で、黄色や水色の透き通るBB弾を拾って、チョコベビーの空き容器にたくさんためて眺めていたときのような。小学校のプールの自由時間、一人で底のほうにもぐって、揺れる光をみつめていたときのような。おかしくて、でも怖い、でも引き付けられる、という展示も多くて、寝不足だったのにずっと夢中でまわった。

まず面白かったのが、本展の一番のメインと思われる作品がしょっぱなから出迎えてくれるところ。「不確かな旅」という作品。赤いのは毛糸。

影の部分も面白い。

一緒に鑑賞した職場の同期が「赤だけど、不思議と安心感があるよね」と言っていた。そう、不思議だった。赤いし、暴力的な多さなのに、逃げ出したくならない。

それは、儚いからかもしれない。何枚も写真を撮りながら(この展覧会は、動画等以外はほとんど作品を写真に撮っていい)、私は「会期が終わったあと、この作品はどのように解体するのだろう」と考えていた。私が、あるいは誰かが、「ご乱心」で赤の端っこをカッターナイフでちょっと撫でたら、このきれいに張り巡らされた組織はぱちんと失われてしまうのだ。扇風機を見ていると私は自分がうっかり指を入れてしまうことをよく想像するのだけれど(実際にはそうはしないけれど、いつも考える。似たようなことを前にしまおまほさんも話されていた)、境界線を外れたらすぐに「死」に到達しそうな感じが、美しいように思った。

これは、塩田さんが大学1年生のとき初めて描いた油絵であり、最後の油絵となった作品とのこと。
私はこの絵、とても好きなのだけれど。色のバランスが。

彼女の、ドローイングも何点か飾られており、それらはあまり好きではなかったのだが、この油絵はすごく好き。油絵って絵の具の厚さが重要になる(と、油絵を習っているとき先生から聞いた)から、特に「写真の代わり」時代以降の油絵は、だいぶ物としての存在感があると思うのだよな。作品をずっと見ていくと、塩田さんは「存在」に関心がある人だと感じたけれど、だからこそ油絵も合いそうだけどな。
(しかし、入学後すぐに「私はもう描けないな」と判断できるところ、すぐに違う道を模索し始めるところに、彼女の天才を感じさせる。この人は主人公の人だ、とキャプションを読みながら考えた)

まず、タイトルが好き。「私の死はまだ見たことがない」。
今回の展覧会、キャプションが心躍るものが多かったのだけれど、この作品もその一つ。食肉処理場で骨を集めて電車で運んだというエピソードが小説のようだ。つまるところ、私はどこでも物語を求めているということなのだろう。物語中毒。
牛の骨を並べているのに、鳥みたいに見えるところがユーモラス。なんとなく、かわいい。

30歳の私は、20代で何かを確立した人の話を読むと悔しくて泣きそうになるが、泣いている場合ではない。自分にできる最上を目指してやっていくしかない。悔しがりながらも、この作品の見た目が大好き。

ただただ怖いが、ちょっとイカみたいなおかしさもある。

この展示の全キャプションの中で、このキャプションが一番好き。「何時間も湯船につかりながら、窓の外の流れ行く雲を眺めていると」という部分と、「夕方の4時くらいになると何かしなければと焦りだし」の部分が特に好き。誕生日の日に自殺する人が多いと聞くけれど、時間としては何時に自殺する人が多いのだろう?私は、自分が死を選ぶことがあるとしたら、やっぱり夕方4時頃だろうなという感覚を持っている。最初のフレーズは、読んでいるだけで映像が頭に浮かんでくるところが好き。冷えていくお湯の感じが、ありありと想像できるところとかも。塩田さんはベルリンに住んでいるそうだが、彼女はあの街にすごくよく合いそう。

しかし、前も書いた気がするが、天才の人も虚無感を抱えているのかと思うと私はどうしていいのかわからなくなる。忙しくも虚しくもない生活を手に入れるのが今生の夢なのだが、それは不可能なのだろうか。

今度は黒い。今度のひもはかなり丈夫なやつ。

たしか9歳ころと書いてあったかな、隣の家が火事になってピアノが焼けたところを見たことが、塩田さんの心にずっと残っているという。

脚を失ったのに立たされている椅子

美しい影

『ミッケ!』を思い出す。最近、もう一回ままごとをやってみたいなという気持ちがしている。ビルが、椅子と同じくらいの大きさに見える場所に置かれているのも面白い。ちょうど太陽の光が差し込むタイミングでこの展示が観られて、よかった。隣には、ここの方角はどっちだろうと、英語で会話している人たちがいた。

なぜかわからないが、いくつかのスーツケースはいつまでもカタカタと揺れている。

ディズニーランドにある「スターツアーズ」の、アトラクションに乗り込むまでの通路がすごく好きなのだけれど、それを思い出した。どこまでも運ばれていく荷物を見ていると、妙な気持ちになるのだ。ロストバゲージはどこに行くのか。我々にとってはロストだが、バゲージにとっては、どうだろう。

塩田さんの展示の記録はここまで。

同時開催されていた、高田冬彦さんの映像作品も妙な雰囲気で面白かった。
以下、森美術館のサイトより引用。

高田冬彦は、宗教、神話、おとぎ話、ジェンダー、トラウマ、性、BL(ボーイズ・ラブ)などさまざまなテーマを扱いながら、ポップでユーモアのある、時折エロティックな映像作品を発表してきました。人間社会の普遍的なテーマを独自に分析、批評し、誇張した高田の作品群は、荒唐無稽に見えながら、緻密に構成されています。それゆえ、ユーモラスでありながら、さまざまな問題提起をはらんだある種のカリカチュアとなっています。特に、現代社会において再考が求められている男らしさや女らしさの定義に対する批評性は顕著だといえるでしょう。
本プログラムでは、2007年から2019年までの11作品を一挙に紹介することで、高田の映像作品の多彩な魅力に迫ります。

我々含む大勢の人が、何組ものカップルが濃厚なキスをしている様子を静かに眺めるのは、それ自体が作品みたいで愉快だった。しかし、変に緊張した。
自宅?と思しき、庶民的な背景で撮影されている作品が多く、私も、始めたいなら明日からでも現代アートが始められると勇気づけられた。
(撮影場所がどこであれ、高田さんの研鑽の歴史が作品として結実しているのはまちがいないが、まあとにかく)

写真が雑すぎるがこれは「偉い石プロジェクト」という作品のキャプション。一番好きな作品だった。ウジ虫が肉にわいている様子を(映像だとしても)じっくり観たのは初めてのことで、一緒に観ていた同期と同じ感想を持った(遺体は、やはりすみやかに火葬したほうがいい)。そしてその後、ちんどん屋がウジ虫経験済の石を持ってまわり、「幸運の石ですよ、なでてあげてください」みたいなことを言って、たくさんの人がぽんぽんさわっていてぞっとした。見知らぬ石はどんな経験をしているかわからないということを、肝に銘じたほうがいい。
儀式の、人間の声が重なってできる音がおもしろくて、わたしもなんとかあれをやってみることはできないだろうかと考えた。

荒唐無稽な作品です、というまとめ方が好きだ。高田さんの作品は、全体的に荒唐無稽だった。ああいう人に限って普段は寡黙だったりするよね、と勝手な予想を同期とした。

キャプションは撮影しなかったけれど、「LOVE EXERCISE」という作品も好きだった。ツイスターゲームの、マットを人体に、色を人形の頭にして、無理な体勢で人形をキスさせることでエクササイズを行う、というもの(ちょっと何を言っているかわからないと思うが)。ほぼ裸の女性の体に、口を尖らせた人形の頭がたくさん張り付けられていて、トレーナーであるキューピッドが、そのうちのどの人形同士をキスさせるか指示する(ひじの金髪の子と、足の先の黒髪の子。この子たちをくっつけて、といった具合に)。位置によってはもうとてもくっつけることはできず、でもいったんは試すようにキューピッドがけしかけ、だめだと怒られる。というか、投げやりに「もういい」といわれる。キューピッドはこわく、おかしく、非常にエロティックだった。

なお、まったく展示とは関係がないが、美術館に行く前に行ったラ・パスタイオーネというパスタ屋さんが、ちょっとどうかと思うほどおいしかった。今まで食べたパスタの中で一番おいしかったかもしれない。今ウェブサイトを見たところ、5年連続でミシュラン東京に掲載されたという。納得のスタンディングオベーションが起こる。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

いただいたサポートは、ますます漫画や本を読んだり、映画を観たりする資金にさせていただきますm(__)m よろしくお願いします!